後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

さようなら、と再見とそして我再回来との重みの違い

2009年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

日本で人々が別れるとき、さようならと言います。中国人は再見と言います。もっと情をこめて我再回来と言います。私は又、必ず帰ってきます、という意味です。

でも言葉の違いは、絶対的な、その響きの重みの違いにあるのです。鄧小平の改革開放政策の前の中国は大躍進運動や文化大革命という内戦状態が続き、社会が混乱していたのです。一度別れたらまた会えることが困難でした。そんな状態で友人や家族が別れる時の、「再見!」とそして、「我再回来!」という言葉には万感の別離の哀しみがこもっていたのです。

第二次大戦の終戦以来、日本では平穏な社会が続きましたので、別れたら二度と会えないという恐れはありませんでした。そのような社会に生きている人々の別れの時の、「さようなら!」は軽い気持ちで言えるのです。

ドイツではAufwiedersehen と言います。再び又会います、という意味です。しかし冷戦時代に、このドイツ語を東西に分断されていたベルリンでドイツ人の友人から聞いた時の感慨の深さは忘れることが出来ません。ベリリンの壁が崩れた時、この言葉が歓喜の響きになって心の中に湧き上がりました。

外国語の翻訳が無理だという意味はそういう事なのでしょう。

しかし死んでしまえば中国人も日本人もドイツ人も、また天国で再見出来るのです。年の暮れに日中の国境を越えたテレビドラマを見ました。

さようなら、と再見とそして我再回来との重みの違いを考えさせる時間を静かに過ごす年の暮れでした。来年も良い年でありますようにお祈りいたします。藤山杜人


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