1941年5月22日、ドイツ軍が突如、ソ連へ侵攻し、独ソ戦争が始まります。数ヵ月後にはモスクワの手前数十キロまで攻め込み、西部ロシアを占領してしまったのです。しかしレニングラードやスターリングラードでは過酷な攻防戦が続行されドイツ軍が消耗していきます。そして冬将軍がドイツ軍を襲い、独ソ戦の風向きが変わるのです。1942年以後のドイツ軍はじわじわと後退を重ね、遂に1944年5月にはソ連軍によってベルリンが陥落し、ドイツが降伏します。ソ連はさらにベルリンの西側まで占領し、広大な東ドイツを手中におさめます。英米仏軍の進撃が遅すぎたので戦後ソ連がドイツ東半分を領有することになったのです。こういう教科書的な知識は皆が知っています。
しかし独ソ戦争はこんな単純な戦争では無かったのです。東ヨーロッパの国々が戦争に参加し、多くの犠牲者を出したのです。ルーマニア、フィンランド、ハンガリー、スロバキア、クロアチア、ブルガリア、スペイン義勇軍などが始めはドイツ軍に加わり、ドイツ軍が劣勢になるとソ連側に加わったのです。
また一方、降伏したロシアの将官と捕虜になった多数のロシア兵がドイツ軍に加わり共産主義の祖国の軍隊に銃口を向けたのです。
日本人が独ソ戦争を単純に教科書的に理解していたのでは現在の東ヨーロッパやウクライナやベラルーシの重要性が理解できません。
例えば、昨日の新聞にウクライナ共和国のヤヌコビッチ大統領がベルギーのブリュッセルを訪問して欧州連合(EU)の本部に行き、ファンロンパイEU大統領と会ったという記事がでていました。そしてEU加盟の前に自由貿易協定の締結を目指すことに合意しました。しかし、EU本部と同じ市内にある北大西洋軍事同盟(NATO)本部は訪問しませんでした。この事はウクライナは西ヨーロッパとは貿易を促進しながらEUのメンバーになりますが、軍事同盟には加わりませんという意思表示です。
エストニア、リトアニア、ラトビア、ポーランドなどが西ヨーロッパ諸国との軍事同盟の加わってしまったのです。その上で、ウクライナとベラルーシが西側軍事同盟に加わればロシアを刺激し過ぎて戦争の危機が迫ってきます。ウクライナは天然資源にも恵まれた工業国です。それがロシアと西ヨーロッパの緩衝的な役割をしてくれる限り平和が定着すると考えられています。日本の産業界がウクライナにもっと多くの工場を作り、交流を深めると良いと思っています。
ポーランドはカトリック国でウクライナは正教というキリスト教の国です。ウクライナ正教会はロシア正教会とも交流があります。ローマ法王が東方の諸正教会と友好関係を築くことも東ヨーロッパの平和の為になります。
人間は感情の動物です。平和を維持するには民族、文化、宗教の違いをお互いに許し合うように細心の注意が必要と信じています。
平和に流れているボルガ河と旧スターリングラード(ボルゴグラード)の風景写真をこの記事の上と下に示します。(出典はWikipediaの「スターリングラード攻防戦」です)