共産主義は宗教はアヘンと同じとして弾圧します。共産主義革命後のロシアでは教会が焼かれ多数の聖職者が処刑されました。しかし共産党独裁の中国では現在、キリスト教は自由です。中国各地に立派な教会があり盛んに活動しています。
今日は共産党独裁の中国のキリスト教の実態をご紹介したいと思います。なお他の宗教の現状もカトリックと同様です。
米国の調査によると中国内には以前から「地下教会」があり、カトリック信者は約1200万人いると推定していました。
その上2018年に長年対立してきたバチカン(ローマ法王庁)と中国が和解します。両者の間で司教任命権問題で合意したのです。この関係改善でフランシスコ法王は中国が信者数拡大に貢献しました。
現在の中国のカトリック教会には共産党独裁を非難しない中国天主教愛国会に所属する大多数の教会と中国天主教愛国会に所属しない地下カトリック教会があります。バチカンと中国の関係改善は地下カトリック教会の切り捨てを意味します。
それをテコにして中国政府は全ての地下カトリック教会が中国天主教愛国会に入るように圧力をかけているのです。
以下に現在活動中の中国のカトリック教会の写真をお送りします。
1番目の写真はある農村部のカトリック教会です。
2番目の写真は中国の東北部の瀋陽にあるカトリック教会です。瀋陽南関天主堂です。
3番目の写真は北京の王府井にある王府井カトリック教会です。
4番目の写真は北京の西安門のそばにあるカトリック教会です。天主教西什庫教堂です。
5番目の写真は上海にあるカトリック教会です。徐家匯天主教堂です。徐家匯聖イグナチオ大聖堂とも言います。
以上の写真で示した他に、中国には多数のカトリック教会があります。
さて私の中国の東北部での体験を少しご紹介したいと思います。
1981年2月ヨハネ・パウロ2世は日本の殉教者をとむらうために長崎まで来て、浦上天主堂でミサをしました。
その次の年、私は中国の東北部にある瀋陽市の天主堂で現地の人々のミサへ出席したのです。
その教会の外側は煉瓦作りの立派な教会でしたが、1976年までの文化革命の間に荒らされていました。内側には大きな落書きや、破壊の跡がなまなましく残っていました。椅子も撤去されていて床板があちこちで剥がれています。満員の中国人信者がその床に膝まづいていて祈っているのです。
毛沢東指導の文化大革命の間、徹底的に弾圧、破壊されたのです。勿論キリスト教だけではなく全ての宗教が攻撃されたのです。
1982年当時は中國人の信者は皆人民服を着ていました。ミサの後、中國人の信者たちは背広姿の小生を取り囲んで、何処から来た?何しに来た?と問いかけます。連れて行ってくれた東北工学院の金応培教授が通訳してくれました。
私は「ヨハネ・パウロ2世が巡礼の旅と称して日本へ来たことを知っていますか?」と聞いて見ました。すると全員が大声で、知っている!と答えたのです。私が「中国の天主教(カトリック)が何故ローマ法王傘下の組織にならないのですか?」と聞くと、皆んなの顔が氷のようになり誰も声を出しません。聞いてはいけない質問だったのです。
帰路、金応培教授の説明を聞くと、全員、即刻、ローマ法王傘下に戻りたいのだが中国政府が厳しい条件を要求していると言います。「台湾のカトリック教会を破門にすれば中国全土の天主教をローマへ返す政策」をとっていたのです。ローマ法王は理由もなしに台湾を絶対に破門はしません。
あれから茫々40年、私はローマ法王庁と中国共産党の和解に胸を熱くしています。嬉しいのです。
今日は中国のカトリックの事情を書きましたが他の宗教も同様です。イスラム教も仏教も道教も1966年から1976年までの文化革命で酷い目に遭ったのです。全ての宗教施設が破壊され信者が弾圧されたのです。文化革命は狂気でした。現在の中国では全ての宗教が自由です。政府を批判しない限り自由です。
中国は共産党独裁ですが経済活動、文化活動、海外渡航、全て自由なのです。政府を批判しない限り自由です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)