後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「次期ローマ法王の候補者、マニラ大司教タグレ枢機卿」

2022年08月11日 | 写真
フィリピン出身のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿はマニラ大司教で、現教皇のフランシスコ教皇からの信頼が厚く、次期ローマ法王の候補者です。
アジアからローマ法王が出るのは歴史的なことです。そうなるように祈っています。


「フィリピンの農村風景と海の風景」

2022年08月11日 | 写真
今朝、「宗教と人生(4)追放された高山右近を歓迎したカトリックのフィリピン」という記事を掲載しました。
主に都会の教会の写真を示しました。ところで農村の風景はどうなのでしょうか?
インターネットの写真をお借りして農村風景と海の風景の写真をお送り致します。





「フィリピンの国花サンパギータとブーゲンビリアのいろいろ」

2022年08月11日 | 写真
太平洋に浮かぶ7107個もの島々からなる国がフィリピンです。国花は「マツリカ」です。この植物の別名を「ジャスミン」と言います。このジャスミンをフィリピンでは「サンパギータ」と呼びます。
フィリピンの国花サンパギータとブーゲンビリアのいろいろの写真をお送り致します。





「宗教と人生(4)追放された高山右近を歓迎したカトリックのフィリピン」

2022年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム
フィリピンはアジア唯一のカトリック教国で、国民の約93%がキリスト教徒です。フィリピンには、スペイン植民地時代に建てられたカトリック教会や大聖堂などが沢山あります。
今日はまずそれらの教会の写真を示します。
教会の写真の出典は、https://philippinetravel.jp/feature-catholic-church-tour/ です。
1番目の写真はサント・ニーニョ教会です。1565年にスペインの植民者レガスピとウルダネタによって建てられたフィリピン最古の教会 です。セブ島にあります。

2番目の写真はモロ教会です。モロ教会は、1831年スペイン統治時代に建てられたゴシック様式の美しい教会です。イロイロ市 にあります。イロイロ市 はフィリピン中部ビサヤ諸島のパナイ島南岸にある都市です。
3番目の写真はバンタイ教会です。ビガンの隣町バンタイにあるローマ・カトリック教会で、イロコス地方で最も古い教会の一つです。 イロコス地方はフィリピン北部ルソン島の北西にある地方で す。マニラの近くです。

4番目の写真はサンアグスチン教会です。マニラで唯一の世界遺産に登録されている歴史的建造物です。1599~1606年に建てられたフィリピン初のスペイン建築様式の教会で、石造りの教会としてはフィリピン最古です。 

5番目の写真はバクラヨン教会です。バクラヨンに、1595年に建設されたボホール最古級のカトリック教会です。 ボホール島はフィリピン中部にあります。 
これらの写真が示すようにフィリピンには日本の江戸時代以前からカトリックの信仰が根づいていたのです。
その日本ではキリスト教が禁止されキリシタン大名の高山右近がフィリピンへ追放されたのです。
高山右近は高槻の地方領主の家に生まれました。そしてカトリックの洗礼を12歳で受けます。その後、数多くの戦いで頭角をあらわし、有名な戦国武将になります。後に織田信長や秀吉に仕え、秀吉のもとで高槻城の城主になり、戦国大名になったのです。
右近は人徳の人として知られ、多くの大名が彼の影響を受けてキリシタンとなったと言います。たとえば牧村利貞・蒲生氏郷・黒田孝高などがその例です。
慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近は、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去します。
長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる船に乗り、マニラに到着しました。
イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近はマニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けたのです。
しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、翌年の1615年2月4日に息を引き取ります。享年64。
葬儀は総督の指示によってマニラ全市をあげて聖アンナ教会で盛大に行われました。

6番目の写真は大阪の近くの高槻城の城跡に立っている高山右近の像です。
数年前に高山右近はローマ法王によって福者に認定されました。
同様にマザーテレサやヨハネ・パウロ2世がやはり福者として認定されています。
福者はカトリック教会が世界的に活躍した人へ死後に送る称号で、福者になると数年後には、最高の称号の聖者を与えられます。信仰を貫いて殉教した人や奇蹟を起こした熱烈な信者に贈られます。その大部分は聖職者です。
日本の武士が福者になるのは前代未聞の珍しい出来事です。
高山右近はこの世の栄華をさらりと捨て長崎から船に乗ったのです。カトリックの信仰さえ捨てれば高槻城の城主としてとどまっていることが出来たのです。

今日はフィリピンのカトリックの教会をご紹介いたしました。そして信仰を貫いてフィリピンへ追放された高山右近のことを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)