ベラルーシという新しい国が出来たのは1991年です。日本人に馴染めのない名前です。ロシアの西部地方です。この地域には白ロシアという国がありまました。しかしウクライナ地域のように独立運動は起きなかったので日本人はロシアの一地方と理解していたのです。
現在でもロシアと親密です。ウクライナへ軍事侵攻したロシア軍の一部はベラルーシにある基地からウクライナへ軍事侵攻したくらいです。
荒っぽく言うとベラルーシはロシアに隷属した半独立国なのです。この点はウクライナと非常に違う点です。
ロシアと一体化していたので1941年からナチス・ドイツに占領されたベラルーシは壊滅的な打撃を受けたのです。
これは大きな悲劇です。第2次世界大戦中、ベラルーシは人口の約25%をナチス・ドイツに殺されたのです。
ベラルーシの当時の人口900万人でした。そのうち160万人以上の民間人と60万人以上の兵士が戦時中に殺されたのです。首都ミンスクの約85%の範囲が爆撃で破壊されたのです。
そのベラルーシすなわちロシアの西部地方の歴史を簡略に書いてみました。
詳しくはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7 をご覧下さい。
現在あるベラルーシの地域は17世紀にロシア帝国の支配下に入りました。そしてベロルシアと名付けられました。日本人には白ロシアの名で長らく知られれていました。
ソ連崩壊直後の1991年9月15日に正式な国号をベラルーシ語を尊重した「ベラルーシ」に定め、各言語でもこの語を用いるようになったのです。
それはさておき、1917年にロシア革命が起こり、1918年には史上初の独立国となる現在のベラルーシのもとになる白ロシア人民共和国が樹立されます。
そしてソビエト連邦崩壊に伴って1991年9月15日には国名が白ロシアから正式にベラルーシ共和国となったのです。
ベラルーシは三権分立の共和制の国で、1996年にベラルーシ共和国憲法が改正されます。
行政の中心である大統領(任期5年)に非常に強い権限が与えられています。
ベラルーシの議会は二院制で、上院に相当する共和国院と、下院に相当する代表者院があります。
この権力体制はロシアと酷似しており大統領の独裁の体制で共和国院と代表者院は飾りに過ぎません。この体制なのでベラルーシの大統領もプーチン大統領のように権力を振るうのです。
旧共産圏の国々は中国も含めて独裁制が強く議会が存在していても飾りに過ぎません。共産主義の負の遺産です。
ウクライナとベラルーシとロシアの関係歴史は次のように要約出来ます。
1,ウクライナは常にロシアからの独立運動が続いていた。
2,ペラルーシとロシアは歴史的に親密であった。
以上の歴史的背景があったので今回のロシアのウクライナ侵攻が起きたのです。しかし軍事侵攻は最悪の行為です。21世紀の悲劇です。
今日はベラルーシの歴史をご紹介しました。添付した写真はペラルーシの風景写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は2番目の写真はベラルーシの首都ミンクスです。
2番目の写真はベラルーシにある教会です。
3番目の写真はベラルーシの農村風景です。
4番目の写真はベラルーシのネマン川です。
4枚の写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7 です。