後藤和弘のブログ

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宗教のことをネットに書く私は馬鹿でしょうか

2018年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教には不立文字という言葉があります。
「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」の語句の始めに当たる言葉です。
「経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する」という意味だそうです。禅の根本を示すものとして知られるようです。
ですからインターネットの上に私の浅はかな仏教の話やキリスト教の話を書いている私は馬鹿なのでしょうか?
そのように迷いつつ時々、仏教の話やキリスト教の話を書いています。
以前に「佛教を簡単に理解する方法」という記事を書きました。そうしたらある方から大変分かり易かったというコメントを頂ました。
そこで今日はキリスト教を簡単至極に説明したいと思います。
分かり易く説明するために皆さまよくご存知のお釈迦さまの教えと比較しながら話を進めて行きたいと思います。
さて、ユダヤ民族だけの民族宗教として旧約聖書が紀元前 900年頃に出来ました。それから、長い年代にわたって改正が続きましたが、ユダヤ民族がバビロニアに捕囚されていた時代に大部分が完成し、編集されたそうです。
この旧約聖書は長い間、ユダヤ教の基本でしたが2000年前にイエス・キリストが改正をして世界の全ての民族に通用するキリスト教を作ってしまったのです。ユダヤの民族宗教が全ての民族に普遍的に通用する世界宗教になったのです。
この宗教の特徴は『神はヤハウエ神だけである。偶像崇拝は行わないこと』ということにあります。
仏教も全ての民族に普遍的に通用する世界宗教です。
その仏教と比較しますとキリスト教では唯一の神が存在しますが、仏教では神の存在を認めていません。
お釈迦さま自身はあくまでも人間であって死んだら空(クウ)になるだけです。ですからお墓を作るな、仏像を作るなと言って入滅したのです。
人間はお釈迦さまの教えた「色即是空、空即是色」を理解し、固く信じることによって悟りの境地に入り恐れも悲しみもない幸福な状態になれると教えたのです。
「色即是空、空即是色」とはこの世のことはすべて空しいという意味です。空しいからこの世なのですという意味です。ですから恐れも悲しみも空なのです。
一方、キリスト教では「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」と教えます。
佛教もキリスト教も、この世の全てのことに執着するなと教えている点は全く同じなのです。
どうすれば此の世に執着しないことが実行出来るかという方法が全く違うのです。
佛教では修行をつんで悟りの境地に入るのです。神の助けもイエスさまの助けもありません。
一方、キリスト教では「神やイエスさまを愛せ」、そうすれば「神やイエスさまが貴方を愛します」と教えます。そして此の世に執着しないようになれるのです。
繰り返しますと、人間が神の愛、イエスさまの愛を信じ、確信出来れば、この世のことには執着しなくなります。いろいろな悪い欲望が消えるので心が平和になります。幸福になれます。
仏教とキリスト教の違いは仏教では神がありませんが、キリスト教では神が中心になっています。

ここで一休みしてユダヤ民族だけのためにあったユダヤ教が全ての民族へも普遍的に通用するようにしたのがイエスさまでした。
その改革の重要な部分を考えて見ましょう。
それはは「神は全ての人を、異民族も平等に愛す」と言い出したのです。異教徒のサマリア人も愛したのです。取税人も愛したのです。
イエスさまは弟子たちに全ての言語が話せるようにして外国へ派遣したのです。
これは神は人種、職業、金持ち、貧しい人を問わず全ての人を愛しているという、当時としては衝撃的な教えでした。
これはユダヤ教徒だったイエスさまの大きな宗教改革だったのです。
一方、お釈迦さまの教えは始めから、人種、職業、金持ち、貧しい人などを問わず普遍的な重要な教えだったのです。
ですからこそ仏教もキリスト教も世界宗教として現在も多くの人々に信じられているのです。

ところで日本の仏教とキリスト教の大きな違いは信者の参加する宗教的な儀式の違いにもあります。
日本の佛教では信者が毎週お寺に集まってお釈迦様にお祈りするという儀式はありません。たまにお葬式や法事の時に僧侶が読むお経の声を聞くだけです。
しかし一方キリスト教では毎週一回教会に集まり、神やイエスさまにお祈りをささげます。そして驚くべきことにイエスさまの肉体の一片に模したパン片をたべる宗派もあるのです。カトリックがその宗派です。
この宗教的儀式はミサと言いす。そしてその儀式の概略は以下のようになっているのです。

まず簡単に言えばミサは次の4部分から成り立っています。
1、開  祭
2、ことばの典礼(旧約聖書、新約聖書の朗読)
3、感謝の典礼
4、交わりの儀と閉祭。
この4つの部分で一番重要なのが、4、交わりの儀なのです。
この時、信者一人一人が神父の前に行って、イエスさまの肉体の一片に模したパン片(聖体)を拝領します。
これは仏教には無い行為です。お寺に行って、仏教徒はお釈迦様の肉体の一片に模したパン片(聖体)を食べません。
一般的に日本の仏教は多神教的なのでお釈迦さまだけをことさら大切にしません。
一方、キリスト教では神がこの世に派遣したイエスさまを非常に大切にします。
これも仏教とキリスト教の大きな相違です。
このような大きな相違はありますが、仏教もキリスト教もどんな国々の人にも普遍的に通用するという性格が全く同じなのです。

如何でしょうか?キリスト教の内容がご理解頂けたでしょうか?

今日の挿し絵代わりの写真は神代植物公園で撮ってきた菊の花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)