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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教の簡単な説明(4)何故イエスは異教徒に話しかけたか?

2017年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教は日本人が約1500年位も馴染んで来た宗教です。一方、ザビエルが450余年前に伝えたキリスト教は未だに日本人に馴染んでいません。
明治維新以来、数多くの宣教師がやって来ましたが、信者の数は総人口の3%を超えたことがありません。
その理由の一つはその教えが日本人には理解しにくいからです。
そこで私は無謀にもキリスト教を簡単に分かるように以下のような記事を書いてきました。
キリスト教の簡単な説明(1)何故イエスは処刑されたか?(2017-11-05)
キリスト教の簡単な説明(2)水を葡萄酒に変えたイエス(2017-11-08)
キリスト教の簡単な説明(3)イエスは何故生き返って来たか?(2017-11-12)

私はキリスト教を理解するには聖書の中に書いてある幾つかの場面を抜き出して、それらが起きたいきさつを説明すればキリスト教が理解出来ると考えています。
今日はユダヤ教という民族宗教が、民族の違いを越えてキリスト教という世界宗教に何故なったかを簡単に説明します。
新約聖書には世界宗教になるようなイエスの教えがいろいろ書いてあります。
今日はイエスが異教徒のサマリア人の女にキリスト教を教えている場面をまず紹介します。
その後で多くの使徒達がいろいろな外国語が話せるようになった場面を紹介します。それはキリスト教が世界中に広がることを意味しています。

それではイエスが異教徒のサマリア人の女と対話する場面を見てみましょう。サマリヤは、エルサレムから南に広がるユダヤ地方と、イスラエル北部のガリラヤ地方の間にある地域です。サマリア人はユダヤ人と違う民族宗教を持ち、お互いに反目していた間柄でした。
そのサマリア人の女の登場する場面は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の第4章に書いてあります。抜粋文を以下にしめします。

・・・ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませてください」と言われた。
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人(びと)と交際していなかったからである。
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、汲む物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、また渇くであろう。
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇くことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
女はイエスに言った、「主よ、わたしが渇くことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。
イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。
女は答えていった、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。
あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。
女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。 ・・・・

こうして異教徒のサマリアの女にキリスト教を教えたのです。身持ちの悪い女を救おうとしたのです。
この場面を示す絵画を紹介します。

1番目の写真は現代風に描かれた絵画です。イエスとサマリアの女が並んで近くに座って話をしています。身持ちの悪い女の雰囲気が描き出されています。この絵は画家、エルチーノ
によって1640 - 1641年に描かれました。

2番目の写真は中世の宗教画のように見える絵画です。女がイエスの前に膝まついています。この絵画の出典は https://www.lds.org/media-library/images/quote-eyring-jesus-woman-well-1173100?lang=eng です。
2枚の絵画のうち1番目の写真のほうが本当だったと私は思います。
以上は一つのエピソードですが、次に紹介する聖霊降臨(ペンテスコ)の場面はキリスト教が世界宗教になる決定的な場面です。
聖霊降臨に関する記事は新約聖書の『使徒言行録』2章に書いてあります。
それによれば、復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて、天に昇っていくのです。
このキリストの昇天の10日後に、使徒とイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が一人ひとりの上に分かれて降ったのです。
そして集まって祈っていた信徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で語り始めたのです。
地中海世界全域に離散していたユダヤ人たちが、五旬祭のためにエルサレムに集まっていたが、(パレスチナ出身の)信徒たちが地中海世界各地の言葉で語っているのを聞いて驚きます。ペトロが中心になってイエスの死と復活の意味について語ると、多くの人が信じて洗礼を受け、使徒たちのグループに加わった。これが聖書が語る聖霊降臨の場面なのです。

3番目の写真はこの場面を描いた宗教画です。使徒とイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女たちが集まって天を仰いでいます。中央にイエスの母のマリアが描かれています。
この絵画の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%86 です。

今日はユダヤ教という民族宗教がキリスト教という世界宗教へと変わっていった様子を簡略に説明しました。
これをお釈迦様の教えた仏教と比較すると面白いのです。お釈迦様の教えは、「この世のものは全て空です。本来、空なものがこの世なのです」という教えです。この教えはどんな民族にも通用する真理なのです。
ですからお釈迦様の教えは始めから世界宗教として国境を越えて広がって行ったのです。
イエスさまも「この世のことに心を惑わせるな」と教えました。似たような教えですが、キリスト教と仏教は教理が非常に違うのです。その違いが分かればキリスト教が簡単に理解出来ます。私の個人的な意見ですが。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)