後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の大衆車で感じる文化の変遷・・・最後の買いもの

2015年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム
2月18日に写真に示すようなニッサンのノートという大衆車を購入しました。現在、私は79歳なので我が人生の最後の車の購入になると思います。
以前はエンジン排気量は2000cc以上と決めていましたので、排気量1200ccの小型車なのでかなり暗い気持ちで購入しました。
この前の車はニッサンのラ・フェスタ2000ccで7人乗りのセダンでした。
それを買ったのがニッサン小金井販売店の木田さんからでした。
それ以来、5年間、故障も無く快適なドライブを楽しみました。
五年後の最近、ニッサンのノートという大衆車を購入して以下の2つのことで感動しています。
(1)ニッサン小金井販売店の木田さんの友情を感じさせるセールス活動に感動したのです。5年間、うるさいくらいに訪問したり電話をくれます。今忙しいからあとで、というと機嫌よく引き下がります。それを5年間続けたのです。私は自分の職業でこれだけ打ち込んで仕事をしただろうか?木田さんの誠実さに圧倒されたのです。
(2)その木田さんが排気量1200ccの大衆車を購入するように勧めたのです。老いては子に従えと言いますから仕方なく買いました。
中央高速道路で甲斐駒岳の麓の小屋に通う必要性から高速加速性能が必要です。さっそく高速道路に入り100Km以上の範囲での加速性能を試してみました。排気量2000ccの車と同じか、それ以上でした。特別な構造のタ-ボをつけているそうです。サスペンションもロードホールディングも満足です。
この車の見かけは質素です。正直に言えば貧しげです。しかし性能は抜群です。
見かけによらずに性能で購入を決めるのが最近の日本の車文化なのだと隔世の感を深くしました。時代が変わると人々の考え方が変わることを実感したので記事にしました。(終わり)

今日は早春の渓流の写真を撮りに行きました

2015年02月21日 | 写真
奥多摩の鳩の巣までドライブして冷たい早春の風に吹かれながら多摩川上流の清流の写真を撮りました。水はあくまでも透明で川底まで見えました。
写真を撮っていると自然と一体になったような気分になります。すがすがしい気持です。帰り道、吉野梅林の紅梅苑で銘菓「紅梅饅頭」を買いました。今日も静かに日が暮れていきます。川底まで見えるとご想像しながら写真をお楽しみください。









戦場ジャーナリストの犠牲をいろいろな視点から考える(2)従軍記者とフリージャーナリストの相違

2015年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はどのような立場に立って報道をするのが良いかというこみ入った話です。
しかし「そのような正解の無い問題の議論には興味が一切ありません」「私は花鳥風月以外に関心を持たないという生き方をしています」というような考えの人もいます。それは一つの理想的な生き方と思います。敬意も感じます。そのような方々のために一昨日新宿御苑で撮ってきた花の写真を3枚お送りします。





さてそれはそれとして、本題に戻ります。
イスラム国の犠牲になった後藤健二さんはどの会社にも属さない完全に独立したフリージャーナリストでした。
一方、第二次大戦やベトナム戦争では従軍記者や従軍カメラマンが活躍していました。日本の新聞社の記者が特派員として軍隊と行動をともにして戦場の様子を報道していたのです。その戦場への特派員の命は従軍した軍隊が守ってくれたのです。紙と鉛筆やカメラを持って軍隊の作戦行動を共にするのが普通でした。
当然、戦友意識が芽生え、従軍した軍隊の勇気や捕虜に対する優遇ぶりを報道し、戦争の正義が一方にだけあるような報道になります。これこそ従軍記者や従軍カメラマン欠陥でした。
この欠陥を無くそうとしたのが、フリージャナリストという記者とカメラマンと一人で遂行するプロの報道人なのです。
戦場で自分の命を守ってくれる軍隊はいません。自分一人の才覚と勇気で戦争の悲劇を客観的に報道するのです。自分の頭で考え、自分の人間性を反映した文章と写真を編集して、新聞社やテレビ局へ持ち込み、売るのです。買う、買わないは新聞社やテレビ局の自由です。
後藤健二さんの文章と写真はこの業界で、質の高いことで定評があったそうです。
この職業の形態はアメリカで発達したベンチャー企業とよく似ています。アメリカ人の好きな形態なのです。
そもそも報道とは自分が所属する会社の方針とは関係なく報道するほうが良いのです。そのほうが客観的で公平な報道になります。報道する人の個人的な緻密な観察と、深い思索のもとでなされるべきです。それこそがジャーナリズムの根幹です。
昔、ベトナム戦争の時、某新聞の記者が共産主義の北ベトナムに行き、アメリカ軍の残虐ぶりをしきりに報道しました。これは共産主義の好きなその新聞の会社の方針に忠実な報道だったのです。
戦争では一方だけが残虐ということは絶対にありません。戦場の現場に行き、注意深く観察し、自分の頭で考え、何をどのように報道すべきかを決めるのがフリージャーナリストの貴い使命なのです。
このような個人プレイは日本の伝統文化にはなじみ難いものです。
今回の後藤健二さんの犠牲は悲しいことです。しかし同時に正しいジャーナリズムとは何か?そして日本の文化もアメリカ的に変化しつつあるのか?
いろいろなことを考えさせられます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)