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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

珍しい植物の宝庫、滋賀県、伊吹山

2014年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

  薬草園で小さな花の写真を撮っていたら、イブキヤマ0000という名前が多いことに気がつきました。伊吹山には何か秘密があるに違いないと思い帰宅後びいろいろ調べてみました。

そうしたら以下の文章や写真を、http://www.ibukiyama-driveway.jp/enjoy/alpine_plant/で見つけました。

植物に詳しい方々にとっては既にご存じとは思いますが、以下にご紹介いたします。

伊吹山の山頂は「天然のお花畑」。春から秋にかけて色々なお花が咲き、全国各地から多くの観光客が訪れます。

滋賀県で最高峰の伊吹山(1,377.4m)は、日本のほぼ中央に位置し、北方系の植物が南下してきたり、また日本海に近い関係もあって、日本海側に分布の本拠をもつ植物も存在します。さらに典型的な石灰岩地帯ということや冬の寒冷な季節風の影響を受けて、好石灰植物や美しい広葉草原(お花畑)が見られます。また、古い山なので特産種(固有種)も存在します。昔から草本植物や薬草の宝庫として知られ、多くの学者により調査がなされ、植物研究史上貴重な山なのです。

伊吹山全体では、シダ植物以上の高等植物が約1,350種分布していますが、そのうちお花畑など山頂一帯には約350種が見られます。

7月下旬~8月上旬頃の山頂風景

         

春に咲く花の一例

ヒメレンゲ

イブキトラノオ

グンナイフウロ

夏に咲く花の一例

シモツケソウ

メタカラコウ

クガイソウ

コオニユリ

ヤマホタルブクロ

カワラナデシコ


東京都薬草植物園に咲く地味な花々の写真をお送りします

2014年06月02日 | 写真

薬草植物園に咲く地味な花々の写真をお送りします。

一番目は中国で葉がお茶に用いられるキョウチクトウ科のラフマ(紅麻)です。
二番目はブルーサルビアです。
三番目は強心利尿剤に使われるケジギタリスです。
四番目は下痢止めに使われるタテ科のイブキトラノオです。
五番目はイネ科のライムギです。寄生菌が薬品原料になります。

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親しかった人、愛する人との惜別

2014年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

親しかった人や愛する人との別れは悲しいものです。悲しい惜別です。

そして別れにもいろいろあります。

もう随分と昔の、1973年の頃ですが、ある方と不思議な別れ方をいたしました。

カトリック立川教会で知り合った神学生の山本さんと門間さんが神父になって何処かに行ってしまったのです。お二人とはほんの立ち話をするだけでしたが、その清々しい雰囲気に圧倒されていました。それから間もなく東京カテドラルで彼らが神父になる叙階式があったのです。

出席してその叙階式の一部始終を見ました。途中で新しく神父になる人が床に長々とうつ伏せになったのです。下の写真では2人の叙階を受ける人が床にうつ伏せになっています。

それは不思議な光景です。この世と別れて自分は死にます。そしてこの身を神へ捧げますという意味のように見えます。

ああ彼等とはもう気楽に話も出来ない遠い所に行ってしまったのです。

一緒に出席していた家内が「叙階式は結婚式とお葬式を一緒にしたようですね。嬉しくて悲しい不思議な式ですね」と言います。新しく神父になる山本さんと門間さんの母親の気持ちを想像していたようです。

私も何故か悲しい思いをしながら叙階式から帰って来ました。

その山本神父は洗礼を受けたとき私の代父をしてくれた山本大二郎さまの息子さんだったのです。

山本量太郎神父さんとはそれ以来会っていませんでした。

ところが2000年頃になって、私共の通っているカトリック小金井教会の主任司祭として着任したのです。それは劇的な再会でした。そして10年間お世話になったのです。

このようなこの世での別離には再会の喜びがあるものです。

そして、この体験は私どもにとっては小さな奇跡のように思えたのです。

このように再開出来る別れもありますが、人間の死に会えば、この世での再会はかないません。永遠の別れです。それだけに悲しみも深いものです。

そこで人々はお葬式を行います。日本では仏教に従ったお葬式が多いようです。

その仏教的教えでは僧侶がお経をあげて故人をあの世へ送り出す儀式です。

そして送る出すとき故人に戒名を与えてお釈迦様の弟子にしてから送り出すのです。ですから、お葬式はあたかも故人の出家の儀式のような意味を持っています。これは宗派によって多少違いますが、そのような宗派が多いのです。

お釈迦さまの弟子になってあの世で幸せに暮らせるように祈ることが「冥福を祈る」ことになります。この仏教式お葬式については下記の記事で説明しましたので今日は致しません。

趣味としての宗教あれこれ(14)何故、お葬式でわけの分からないお経を読むのか?(5月14日掲載記事)

キリスト教では死とは天にもともとあった自宅に帰ると考えます。ですから死ぬことを帰天と言います。

親しかった人や愛する人との別れは悲しいものです。深い海のように底知れない悲しみです。宗教だけで癒されるものではありません。周囲の人々の暖かい支えも重要です。

そして宗教的な理解の仕方も少しは役に立つと信じて、少しだけ書いてみました。

死者に手向ける花々は春の花が良いと思い下にこの春に撮った写真をお送りします。

一番下の写真の小道を見て、私は親しかった故人たちが歩いて去って行った道を想像しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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(上の写真は東京司教区ニュース:http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/2002/kn191b.htm から転載しました。)

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