後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

安倍総理の集団的自衛権行使の考えに反対する理由(続き)

2014年06月29日 | インポート

これは長い日記の後半、本論部分です。お時間があれば、前頁の日記からお読みくださいますよう。
                ☆
集団的自衛権。今国会期末には間に合わなくても、早晩公明党が折れて閣議決定となると思っていた。けれど、この日記が間に合わなくなるほど早いとは。露骨すぎる。

6月24日の早朝のニュースが、それを伝えた。しかも、トップニュースは、ワールドカップでの日本予選敗退。
憲法の危機なのに、そんな呑気なことでどうする!だから皆が目覚めないのだ。
いや、わざと目覚めさせないよう、計算の上だろう。


米軍の日本駐留が憲法違反だと争われたのは、かの砂川事件。
東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に反対して入り込んだデモ隊7人が逮捕された。一審の東京地裁では「米軍は戦力にあたり、憲法九条違反。」として無罪を言い渡した(裁判長の名をとって、伊達判決と呼ばれる)。検察側は高裁を飛ばして、最高裁に飛躍上告した。
最高裁は「米軍は外国の戦力であり憲法九条の範囲に入らない。安保条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見して明白に違憲無効と認められない限り、違憲かどうかの法的判断を下すことはできない。」と、一審判決を破棄、地裁に差し戻した。

この最高裁判決は、司法(裁判所)自らが、立法(国会)・行政(政府・官庁)の下にあると宣言したのと同じである。
三権分立はどこに行ったのか。
さらに驚くことに、4年前の外務省公開公文書と、アメリカ公文書館での資料検討で、当時の最高裁長官田中耕太郎が米駐日公使に15人の裁判官全員一致で一審を破棄差し戻すと、約束していたのだ。

判決の内容は、言い渡しの時まで外部に知られてならないとされている。裁判長自らアメリカ側に伝えていたことだけても大問題なのに、「条約について、裁判所は違憲かどうか判断できない」とは。
1959年、終戦からわずか14年。裁判所が持つ違憲立法審査権はどこに消えたのだろう。このとき、司法は『死んだ』と言われる。

こうしたことを現政権は巧みに利用し、アメリカの子分として武器を持って戦える国にしようとしている。
アメリカの歴史は、戦争の歴史と言ってもよい。そのことは、以前『アメリカ合衆国』という日記に書いた。

http://smcb.jp/_ps01?post_id=3129705&oid=28342..

安倍首相がわざわざ図示して見せた「日本人母子を救助している米戦艦が攻撃されたときに、護衛の日本戦艦が反撃する」などということはあり得ない。アメリカ軍による救助順位は①米国籍者、②米国永住権保持者、③イギリス国民、カナダ国民、④その他の国民と決められているのだから。それを重々知りながら、フリップを作った者は、どんな気持ちでいたのだろう。

また、米軍が攻撃されたとき、というのはどの時点を指すのだろう。例えばイラク戦争のように、米軍が先制攻撃をかけて反撃され、不利な状態に陥ったときも含まれるのか。

前の日記で触れた4月9日の体験というのは、横浜市日吉台にある、旧海軍司令部の跡地見学だった。補修中のため中に入れなかったが、戦争末期、敗色濃厚になったとき、戦艦の中にあった海軍司令部が、慶応大学の校舎を接収し、2キロに及ぶトンネルを掘って、移転した、その跡地である。物資が枯渇する中で40センチの厚さのコンクリートで造られ、昼間のように煌々と明かりがともされ、換気口の上には分厚い防空屋根が設けられていた。1945年4月7日、沈みゆく戦艦大和がそのさまを伝える無線を、壕の中で受信し続けたという。

洋上で戦えるものを失った海軍は、特攻隊を繰り出した。人間魚雷回天は知っていたが、それより粗末な、船体がベニヤ板でできた震洋、人間が海底を歩いて敵艦に近づき、長い棒の先に付けた爆弾をぶつけるという伏竜。
まるで狂気の世界。一旦戦争が始まれば、最後にはここまで追い詰められるのだ。

戦争とは、平時の無差別大量殺人と、自爆テロに等しい。
だが、国が戦争に続く道に大きく踏み出そうという今、私に何ができるだろうか。
私の知人は、「自分が殺されるとしても、人は殺さない。攻撃されても反撃しない。甘んじて受ける。」と言い切る。究極の平和主義である。

先の大戦について、以前私は、「庶民はただ手をこまねいて大きな流れを見ていた。流れはさらに勢いを増し、すべてを飲み込む巨大なうねりとなってしまった。庶民には責任がないのではない。『無作為の作為責任』がある。」と書いた。

その言葉が今、私自身に向けられている。
果たして、この流れに逆らって堰き止めるために、ほんのささやかでもよい、何らかの役割が果たせるのだろうか。(終わり)

下の写真は陸上自衛隊の戦車と航空自衛隊の戦闘機の写真です。出典は自衛隊の装備のHPです。これらの装備を見ると自衛隊は軍隊と呼んだほうが正しいようです。

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いろいろな花々の写真をお楽しみ下さい

2014年06月29日 | インポート

いろいろな小さな花々と八重のタチアオイの花、シモツケの花、そしてスモークツリーの花の写真をお楽しみください。  撮影は6月23日、京王フローラル・ガーデンです。

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今日は日曜日なのでキリスト教にまつわる心温まるエピソードをご紹介いたします

2014年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

まだ梅雨が続いていますが、皆様お元気でしょうか?いつも私の拙文を読んで頂きまして有難う御座います。

さて今日は日曜日です。そこでキリスト教に関連した心温まる3つのエピソードをご紹介したいと存じます。

私に会ってくれて、私を大切にしてくれた人の話です。

心に残る3人を選びました。気楽にお読みください。

(1)ドイツのローテンブルグで会ったインド人のフェルナンデス君のこと・・・

それは1969年の夏から秋にかけてたった3ケ月間だけのお付き合いでした。

毎週日曜日に私を誘ってカトリックの教会へ行ってくれました。ドイツ語のミサなので理解出来ません。

ミサ後、一緒に昼食をたべました。メニューはチキンの半分をオーブンで焼いたものとパンとスープでした。

彼は細身で小柄なインド青年でした。英語で会話をしました。

しかしキリスト教のことは一切説明しません。ただニコニコと笑って食事をするだけです。

何も話しませんでしたが彼が私を非常に大切に思ってくれている事が分かります。彼の優しくて穏やかな笑顔を見て私は決心したのです。来年帰国したら日本で洗礼を受ける決心をしたのです。

(2)神田、ニコライ堂で会った金田一豊さんのこと・・・

宗教で一番注意しなければいけない事は狂信しないことと思っています。ですから私は仏教も勉強しますし、キリスト教の他の宗派の教会も広く訪問しています。

色々な神父様、牧師様とお会いしましたが、ニコライ堂で偶然お会いした伝道師の金田一豊さんの事が忘れられません。

ロシア正教の影響を深く受けた日本正教会の本部教会はニコライ堂です。

その歌ミサの藝術的美しさに惹かれて見物に行ったのです。2009年の11月の事でした。

初対面の私を昔からの幼馴染のように大切にしてくれました。

彼は聖職者ですからミサの最中は他の聖職者と一緒に祭壇の上に立っています。それが途中で祭壇を下りて、私のそばに来て、「どうですか?違和感を感じませんか?」と聞いてくれたのです。

それも3回もです。カトリックの私が正教会のミサへ自然に溶け込んでいるか気をつかってくれたのです。

正教会もカトリックも同じイエス様を拝んでいるので私は大らかな気分で歌ミサを存分に楽しみました。一緒に御祈りもしました。

ニコライ堂のことは、宗教に少しでも関心があったらニコライ堂の日曜礼拝を一度は見て下さい という記事にしてこのブログに2009年11月30日に掲載しました。

(3)ネットで知り合ったオカブさんの事・・・

このブログの左サイドバーに推薦したいブログとして「昼のガスパール」というブログがあります。

それを書いているのがオカブさんです。ヨーロッパ文化を愛し、ウィーンに何度も行っている方です。

ある時、下北沢の喫茶店で会いました。そして彼の行っている世田谷教会の礼拝へ誘ってくれたのです。

数週間後に三軒茶屋駅そばの世田谷教会の礼拝に出席しました。彼はその独立採算のプロテスタン教会の運営責任者の一人でした。

牧師さんへも紹介してくれました。オルガンを弾いている奥様も紹介してくれました。オカブさんは宗派の違う私を非常に大切にして下さったのです。そして他の宗派の教会を訪問することを薦めてくれました。

そのお陰で小金井市内のメノナイト系の貫井南町教会の牧師様や日本キリスト教団の小金井教会の牧師様にもお会いし、親しくお話を聞くことが出来ました。どちらの牧師さんも初対面の私をとても大切に思ってくれたのです。

以上の文章の中に「私を大切にしてくれた」という表現が何度も書きました。そのことで、皆様は下手な文章だとお思いになったことと存じます。

実はこの大切に思われた体験こそが、私にとって「イエス様に愛されている」という体験と同じなのです。

イエス様の愛は神父様を通してだけ感じるのではありません。何気なくお会いした方々を通して感じることが出来るのです。

そういう事を私に感じさせてくれた全ての人々へ感謝しているのです。

ここでは3人の例だけを書いたのです。私の心の中の財産として大切にしている心温まるエピソードです。

下の挿絵代わりの写真は長崎県五島列島にある教会の写真と、海辺で祈る信者たちの様子です。

今日はこの文章を読んで下さった皆様を心から大切に思います。そして、

皆様の周りに貴方を大切に思ってくれる人が多いことを心からお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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下の写真は、「岬の民」 富岡満隆氏撮影です。出典は、http://www.toruken.com/4rd/  です。「岬の民」は、神ノ島教会で開かれた野外ミサの光景です。

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