後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

埼玉県、行田市の巨大な古墳群と蓮の花咲く公園への観光のおすすめ

2014年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

都心から約90km、東北高速道路の加須ICを出て、西へ行くと、埼玉県 行田市に着きます。

少し遠方なので行く人も少ないのですが、そこには5世紀から7世紀に作られた巨大な古墳群があり、その近くには「古代蓮の里公園」があります。

東京から車で日帰りの観光地として心からお薦めしたい場所です。

関東地方にこんな大規模な古墳群があるとご存知無い方も多いと思いますので簡単にご案内いたします。

まず行田市に5世紀から7世紀に作られた古墳が9個も集中してあるのです。

下にその巨大な前方後円墳や円墳の航空写真を示します。住所は、埼玉県行田市大字埼玉(おおあざ さきたま)です。

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そして以下に小生と家内が2008年6月7日に撮影した写真を示します。クリックすると拡大した写真が楽しめます。

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これらの写真は、埼玉(さきたま)の古墳時代に強大な王国が存在したことを示しています。

出土した、見事な細工の金属製馬具や装飾品の展示もあり、5世紀終わりから7世紀はじめに作られた古墳から出たその他の副葬品が展示されています。

その金属製の馬具や飾りを見てハッとしました。1983年頃、小生が韓国、慶州で見た古墳からの出土品とあまりにも似ているのです。素人の気安さで言えば、埼玉の古墳を作った人々は韓国、慶州から渡ってきたようです。高麗という地名も埼玉南西部に現存すくらいですから。

それはさておき、この古墳群の近所には蓮の花の綺麗な公園もあります。

「古代蓮の里公園」です。10万株、世界中の蓮の花を集めています。以前に3,4度訪れたことがあります。下に2008年6月7日に寄って撮った写真を2枚示します。094_31_2

 

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今年の開花状況は、http://www.ikiiki-zaidan.or.jp/kodaihasu/ に出ています。

この公園では蓮の花だけでなく、広大な芝生と高い展望台も楽しめます。

都内の公園とは異なり、展望台は建物に取り囲まれていません。ですから周りの水田が見渡せ、その先には日光連山まで見えます。

又行田市の中心には下の写真のような美しい行田城(忍城)もあります。

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行田市は東京から日帰りで観光旅行に丁度良い所と思います。東京の人は行田にあまり観光に行きませんが隠れた観光名所名所です。大きな無料駐車場もあります。お誘い合わせの上、一度お出かけになって下さい。


中世の宗教戦争・30年戦争と同じようなイラン・イラク・シリアの内戦

2014年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、イラクではスンニ派の過激組織のISISが熾烈な内戦を繰り広げイラクの北部を支配下に置いています。このISISはアル・カーイダ系とも手を組んで戦っています。

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上に内戦の起きている中近東の地図を示します。

これに対抗するイラクのシーア派のマリキ首相は同じシーア派のイランのロウハーニー大統領から支援を受け、毎日軍需物資を満載した輸送機がバグダット空港に着陸しています。その上、イランは無人攻撃機をイラク領へ送りスンニ派のISIS占領地にある拠点を攻撃しています。

この混戦に油を注いでいるのがマリキ首相と同じシーア派の隣国のシリアのアサド大統領です。イラクの国境を越えてイラク領内のスンニ派のISISの占領拠点に空爆を加えているのです。

この混迷を更に深くしているのがグルド人の部族勢力です。彼等は近代国家の国境など完全に無視しているのです。

以上のように現在、中近東で起きている内戦は大まかに言えばシーア派とスンニ派の内戦と言えます。しかし同じシーア派やスンニ派の中にもいろいろな派閥があってお互いに勢力拡大の闘争をしています。

イスラム社会は中世そのままなのです。アメリカが干渉すれば一層複雑な戦争になります。

イスラム社会はイスラム教に任せておくのが良いという意見が強いのも理解出来ます。

この状況を毎日新聞で読んでいると私は中世の中部ヨーロッパで30年間も続いた「30年戦争」を思い出しています。

ですから中近東の戦争も30年、あるいはそれ以上続いても不思議は無いと冷静に観察しています。

それではヨーロッパの30年戦争とは何だったのでしょうか?

簡単に言ってしまえばその戦争は宗教改革の後の1618年から30年続いた戦争です。当時のドイツ人の総人口1800万人が700万人に減少し、国土を荒廃させた大戦争だったのです。

それでは誰が誰と戦ったのでしょうか?それが判然としないのです。

勇気を出して簡略化して書けば以下のようになります。

ウイーンのハプスブルグ家の支配下にあったカトリック側の神聖ローマ帝国(当時のドイツの国名)とそれに反発するドイツ国内のプロテスタン領主達の反乱と言えます。

しかしこれはこの戦争のほんの一面に過ぎません。実態は宗教戦争を装った領主たちの領土拡大と権益拡大を主目的にしたおどろおどろしい戦争でした。それにスウェーデン、ノルウエイ、フランス、デンマーク、スペインなどの国々も参加し、領土拡大を狙った国際戦争でもあったのです。

この戦争は、道義もルールも皆無な傭兵が主体で行われました。

この傭兵たちがドイツの農民を殺し、略奪をしつくしたのです。ドイツ全土が傭兵たちによって荒廃させられたのです。

そして戦争には残虐も付きものです。各地で木の枝に吊るした死体があったそうです。

人間の領土欲、権力欲、殺戮欲などの低次元な欲望が恥も外聞もなく発揮された戦争でした。ですから私はこれを、「ヨーロッパ文化の闇」の一つと考えています。

末尾に少しだけ参考資料を付けました。

ユダヤ教のイスラエルも含めた中近東の戦争は日本人にはかかわりの無い宗教戦争と考えられます。しかし難民支援のために日本人が数多く現地で働いていることを忘れるべきではないと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料:30年戦争につぃて=========

 

民衆を含む死者は800万人。ドイツ(神聖ローマ帝国)の人口が1800万人から700万人に減少したのです。

世界史講義録(http://www.geocities.jp/timeway/kougi-65.html)「ドイツの混迷」