後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

デパートにはもう春の色があふれています

2014年01月26日 | 写真

1月23日に久しぶりに家内と吉祥寺の東急デパートに行きました。

そうしたらデパートの中の婦人服売り場は春がきたように、明るい色彩であふれていたのです。

黄色いロウバイや紅白の梅やスイセンやクロッカスが一斉に咲き出したようです。すっかり春です。それとなく写真を撮ってきました。

下にお送り致します。春の色彩をお楽しみ下さい。

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それにしてもデパートも変わったものです。自分が大学生だった1954年から1958年の頃はデパートといえば美人の店員さんであふれていたものです。

写真を撮りながら、それとなく観察してみると店員さんたちはみな中高年のご婦人なのです。あの時代の美人の店員さんたちは何処へ消えてしまったのでしょうか?

あれから56年の月日が流れました。人生は一朝邯鄲の夢と言いますが本当です。

そんなことを考えて、婦人服売り場の「待ち人用の椅子」に座って家内を待っていました。老境の午後のひとときでした。(終わり)


外国の宗教を尊敬し、一緒に祈ると心豊かな人間になれる

2014年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なので宗教の重要性について書いてみたいと思います。これからミサへ行く前の静かな時間です。

どこの国へ行っても、そこに住んでいる人と仲良くなり、楽しい人間関係を作れる人を「心豊かな人間」と定義します。

生まれつきの性格や外国語を知っていることも重要ですが、その国の歴史や文化を尊敬し、現地の人に教えてもらおうという態度が非常に重要です。

信頼すれば、信頼される。尊敬すれば、尊敬される。感銘すれば、感銘を与えることが出来る。これを実行できる人が「心豊かな人間」なのです。

我々日本人が外国に行っても、その国の人を深く理解が出来ない一つの理由は宗教とか信仰というものを無視しがちなためです。

いくら英語やスペイン語やロシア語や中国語や韓国語が達者でもその国の宗教を理解し、それを尊敬していなければ親密になれないのです。

それも無理からぬことではあります。日本人は、ある統計によると宗教を信じない人は70%前後なのです。

このような国は世界中で日本だけの特異なことなのです。例えばアメリカ合衆国では80%前後の人が神の存在を信じています。

それでは世界中の人々はどうのような宗教を信じているのでしょうか?

そして、それぞれの宗教の信者の分布はどうなっているのでしょうか?

それはちょっと調べればすぐに判ります。末尾の参考資料に示した通りです。

まず以下の文を読んでからゆっくりご覧ください。そして深くお考え下さい。

さて、「心豊か人間」になるための第一歩は世界中の宗教と信者の分布を知っておくことです。

しかしそれは知識に過ぎません。知識は、しょせん知識です。無力です。

行動と体験が重要なのです。

行動とは、外国に行ったらそこにある寺院や教会やモスクを訪問することです。異教徒でも入って良い場合は、中に入って信者の祈っている姿を尊敬しながら眺めます。

無宗教でも異教徒でも拝んでよい場合は現地の人々と一緒に祈ります。

例えば道教寺院では長くて太い線香を買って、周りの人々を真似して家内安全・無病息災を祈ります。そうすると道教寺院に来る人々の悩みや苦しみを共有しているような気分になります。

そしてカトリックの教会では常に扉が開いていて、誰でも出入り自由です。中に入って静かに座っていると信者が独りでお祈りに来ます。座ったり、膝まづいて祈っています。祈っている人の悩みや苦しみを共有しているような気分になります。

深い親近感が湧いてきます。尊敬の念も湧いてきます。

話は飛びますが、昔、南米のカラカスという大都会に行ったことがあります。日曜日にカトリックのミサに行きたくなりました。ホテルのカウンターで聞くと裏にある大闘牛場で日曜日朝10時からあるから行きなさいと教えてくれます。

そのミサの光景は一生忘れられません。闘牛士と牛が死闘をしていた広場の中央に大きな赤い絨毯が敷いてあります。その上に数十人の神父さんたちが立っています。周りには折りたたに椅子に座った信者たちがビッシリといます。そして私が立っている高い観客席にも信者がいます。

後で聞いたことですが、その信者は皆、山の斜面にある貧民街の住人たちだったのです。原住民の血が混じった浅黒い人々です。

一緒に讃美歌を歌い、一緒に祈りました。それがキッカケで、後に山の斜面の村落に行ったのです。

この体験のおかげで人間の苦しみや悩みは貧富や国籍に関係なく、皆同じだという確信を持つようになりました。

そこで、その後、いろいろな外国へ行った時、その土地の寺院や教会を訪問するようになりました。一緒に祈りました。

その土地の人々と話をするとき、その国の信仰に感銘をうけたと少しだけ話をします。そうすると相手も親近感が湧くらしくていろいろな話をしてくれます。

私は知ることだけでなく、一緒に体験をすることが大切だと信じています。

悩みや苦しみを共有する努力が重要だと信じています。

すると「あらゆる民族の宗教には優劣が無い」ことを確信できるのです。

私は依然として愚かな人間です。しかしほんの少しだけ「心豊かな人間」になれたような気分になるから不思議です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料=======

===世界の主な宗教の分布===

Img_021

(出典は、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/statistics/public_facilities/graph_01.html です。)

===世界の宗教と信者数===

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(出典は、http://www.hm.aitai.ne.jp/~genkou/isikimu/reikonn/syuukyoujinnkou.html です。)

そして下には台湾にある道教寺院の写真を示します。

===堂々たる台湾の道教寺院===

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(出典は、http://m-mikio.world.coocan.jp/taiwanshuukyou.htmlです。)