後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

少女の心を持ち続けている「ちひろ」さんの最近のブログをご紹介いたします

2014年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

ちひろさんは琵琶湖のほとりに住んでいて、ご自分専用の車をあちこちに走らせて写真を撮っています。

感動的な写真が多いので何度もこのブログ上でご紹介してきました。

最近は冬の琵琶湖かいわいの美しい写真が掲載してあります。久しぶりにメッセージを送り、転載の許可を頂きましたので以下にご紹介いたします。

写真と文章をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

=====カメラと遊ぶ日々:http://blog.goo.ne.jp/yumenohanamiti8739より=========

雪が舞う静寂の世界へ!(兵主大社にて)

雪舞えば老いる事無き心のままに

ひたすら走る熱き想い乗せて

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肉体は誰しも老いてゆく

手の皺も背中の丸みも歩む姿も

でも 何故か心だけは老いてはゆかない

もしかしたら永遠に生きているのかもしれない

お前の歳は

思わず我が心に問うてみる

未だ幼稚さが残る15歳だと

心が笑う

永遠の少女のように・・・・・ちひろ

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お元気ですか。

シロサギソウが咲く頃には教えて戴いた所へ行こうと思っています。

春になれば金勝山から眺めてみたいと思っています。

今度愛車を買い換える時はシルバー(赤にするかも)の4駆にしようと思っています。

一方通行は不便だけどもう慣れました。

リボンの騎士から届いたお手紙を読んで

あれから4.336歩歩いてきました。

どうしたら3キロ減らせるでしょう!

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1月19日は志那浜のコハクチョウは2羽だけでした。

18日は5羽飛来していたと記録されていました。


おいしいもの(2)旧甲州街道、小仏関所奥の「するさしの寄せ豆腐」

2014年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

現在の甲州街道のJR高尾駅の先のほうに行くと駒野木へ入る交差点があります。そこを入ると旧甲州街道が小仏峠へと続いています。

交差点から少し入ると小仏関所のあった跡が空き地になっていて、小仏関所の説明版が掲示してあります。

旧甲州街道を更に奥にはいると「するさしの寄せ豆腐」という看板や幟が出ている峰尾豆腐店が見えてきます。(http://www.mineo-tofu.com/index1.html

そこの豆腐は高尾山の湧水を使っているので美味しいのです。特に寄せ豆腐は大豆の香りがつよく何とも言えない風味があります。

ああ、これこそ日本の美味だな、と感動するような味です。

防腐剤など一切使っていないので夏場は帰宅早々食べないといけません。

小仏峠への登山は静かな裏高尾の山道なので何度も通いました。行くたびに「するさしの寄せ豆腐」を買って帰ります。

豆腐の風味が好きな方へお薦めできる一品です。360grの一パック240円です。

写真でご説明いたします。

まず下は旧甲州街道から見上げた裏高尾の尾根です。

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下の写真は旧甲州街道に面した峰尾豆腐店です。街道の反対側に駐車場があります。上に見えるのは圏央道の高尾ジャンクションの一部です。

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下は店のお嫁さんの写真と「するさしの寄せ豆腐」です。帰宅して早速ワサビ醤油を少々かけて大豆の風味を楽しみました。

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豆腐は江戸時代の末まで日本人の貴重な食べ物でした。生き物を殺して食べてはいけないとう仏教の戒律が守られていたのです。タンパク質に飢えていた人々にとって豆腐は現在以上に美味に感じられたに違いありません。

勿論、戒律があっても魚や鶏は食べていたのですが、その消費量が各段に少なかったようです。

私の祖父も叔父もお寺の就職をしていましたが魚や家畜の肉は避けるようにしていました。「食べなくてもすむものなら、食べないのも良い」としばしば言っていました。そうして豆腐と湯葉を美味しそうに食べていた姿を思い出します。私の父もその影響で湯葉が大好きでした。

話がそれて失礼しました。終わりにいたします。


この時代にもう一度、村山談話を丁寧に読む・・・それは忘却のかなたにある

2014年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

1995年以後に就任したすべての歴代の総理大臣は、「村山談話を踏襲する」と発表します。しかし新聞やマスコミは「村山談話」の文章を出しません。

もう19年も前の1995年には発表された談話ですから、それは忘却のかなたへ行ってしまいました。私も忘れていました。

ところが最近、日本は軍備強化と中国との軍事対決の姿勢を鮮明にし、新しい時代に舵を切ったのです。

この時期に「村山談話」をもう一度、丁寧に読み、深く考えてみたいと思います。下に示したように短い文章ですから、是非、お読みください。

読後にどのような感慨をおぼえるかは、人それぞれです。どのような感想を持っても良いのです。日本は民主国家ですから、その感想を発表するのも全く自由です。

私はこの談話の内容と最近の多くの日本人の一般的な感じ方を比較して、いかのように2つの感想を持ちました。

(1)村山談話の内容と日本の軍備強化と中国との軍事対決の姿勢は少し矛盾しているような印象を受けました。

(2)日本と中国・韓国の最近の抗争の原因はお互いの政治家同士の争いであり、我々一般国民とはかかわりの無いことですという意見を散見します。しかし一般国民が中国や韓国を嫌い、非難している事実を見逃せません。

相手が悪辣な方法で執拗に日本をいじめるからで、関係悪化の原因は先方にあるという意見が日本の世論です。

しかしこのような世論も相手国から見ると、「村山談話」に矛盾しているような印象を与えると私は感じます。

村山富一さんが一私人として談話を発表したのなら問題はありません。しかし総理大臣として発表したのです。

「覆水盆に返らず」というとうり、総理大臣談話はもう撤回出来ません。

この深刻な問題をどうのように超越するかは日本人一人一人の叡智にかかっているのです。あなたの賢さに依存しているのです。政治家だけの責任ではありません。本当に困った問題です。

私にもどうしたら良いか判りません。しかし逃げないで深く考え続けたいと思っています。

===「戦後50年の終戦記念日にあたって」(総理大臣村山富一の談話)====

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。(終わり)

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下に海南島を攻略し、行進をしている大日本帝国の将兵の様子の写真を示します。そしてもう一枚、中国空軍機を撃墜し、談笑をしている大日本の戦闘機乗務兵の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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上と下の写真の出典は、http://matome.naver.jp/odai/2137975503266409701/2137983456303631103です。

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