宗教的迫害の激しかった中世ヨーロッパに住んでいたユダヤ教徒はカトリック信者のふりをして生き延びていたのです。
そのような人々のことをマラネンと呼んでいたそうです。
本物のカトリック信者よりも敬虔なふりをします。マラネンであるとバレれば残酷な処刑が待っています。イザヤ・ベンダサン著の「日本人とユダヤ人」に書いてあることです。
しかし現在でも隠れユダヤ人は多いと思います。もう30年以上昔のことですが私はアメリカで、あるユダヤ人の空軍大佐と親しくなりました。彼はなるべくユダヤ人であることを周囲のアメリカ人に秘密にしているそうです。その気持ちは現在の私には痛いほど判ります。
その後、カトリックになった私は こうして信者であることをブログには書きますが、日常、人々と接するときはなるべくその事を秘密にします。キリスト教徒であると言うと私の周りに何かザワザワした雰囲気が立ちこめるのです。ですから私は日本教徒のふりをして世間を渡ってきました。
言ってみれば現在の隠れキリシタンです。
人間は本心を明かさなければ平穏に暮らせるのです。
それとまったく同じように日本人の多くは案外、「原発賛成派」なのかも知れません。しかしその本心は秘密です。現在は「原発反対!」という雰囲気が日本列島に立ちこめているのですから。
こういう一派を「隠れ原発賛成派」と言います。私がそう言うだけかもしれませんが。
イザヤ・ベンダサンによれば日本教の考え方は「この世を創ったのは神でなく人間である」というものです。そして日本教の聖典は、万葉集、源氏物語、平家物語、枕草子、徒然草、などなどです。さらに夏目漱石、内村鑑三、川端康成、などを読み、共感を覚え、世の中はそういうものだと信じている人々を日本教徒というらしいのです。そして日本教の聖者は西郷隆盛のような人なのです。
と、ここまで書けば「原発賛成」とか「原発反対」とかは実にアヤフアな考えであることがお分かり頂けたと思います。
日本教には神が存在しません。「原発賛成」とか「原発反対」とかは神の命令ではないのです。ですから世の中の風向きが変わればどうにでもなるのです。
野田総理大臣はそのことを熟知しています。「原発ゼロ政策」を掲げて時間を稼ぎ、世の中の風向きが変わるのを待っているのです。
イザヤ・ベンダサンは後に山本七平氏であることが判明しました。今から42年前の1970年に彼が出版した「日本人とユダヤ人」という本の内容が現在にも当てはまることに驚いています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘