後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

仙台市立愛宕中学校の同窓会が東京でありました

2012年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

戦後すぐに日本の学校制度が新しく変りました。占領軍総司令部の命令です

仙台市には新制中学校が幾つも出来、私共が入学した第十中学校(後に愛宕中学校と改称)は昭和22年に発足し、我々はその二期生として昭和23年に入学しました。

卒業以来61年になりますが同級会や同期会や卒業生全体の同窓会が仙台や東京で連綿として続いています。

特に東京での同窓会は「萩の会」という名前で一期生の内ケ崎儀一郎さんが長年幹事としてよく纏めてくれたおかげで毎回出席者も多く、楽しい会でした。2年毎の開催ですがもう7回も開催しています。その上、「萩の会」と正式な名前になる以前から一期生と二期生だけの同窓会が東京で何度もありました。すべて内ケ崎儀一郎さんの献身的な準備のお陰でした。

それが今回から幹事を6期生の佐藤統夫さんと赤川 綾さんへ交代し、案内も一期生から八期生まで拡大して開催したのです。

会場は一橋大学の如水会館で今日の12時から開催されました。出席者は当時の音楽の先生だった松坂美智子先生をはじめ合計36名でした。

一期生から八期生まで広い範囲の人が集まるので話が弾まないのではないかと危惧しながら出席して見ましたに

ところが少しアルコールがまわると談論風発で、愛宕中学校時代の思い出話に花が咲きました。卒業した時代が少しずつ違うので中学校の様子が変わります。それが又面白い話題になるのです。出席者の卒業年度に8年もの違いがあるのに、すっかり打ち解けて話がはずんだのです。

幸い私には4期生と7期生の弟が2人愛宕中学校を出ているのです。すぐ下の弟も仙台から出席しました。7期生の弟は欠席です。しかしこの2人の弟とよく遊んだ友達が私のところに来て懐かしそうに昔話を聞かせてくれるのです。

私どもの2期生は私と梶原千代子さんの2人だけでした。

出席者が2人だけだったのには理由があったのです。丁度2週間ほど前の10月14日に杉下茂美さんが幹事長で二期生の同期会を仙台の秋保温泉一泊で開催したのです。皆がそちらに出席したので今日の同窓会には来なかったようです。

そこで各学年の同期会の幹事同士が名簿を交換したり、同期会と同窓会の開催時期が重ならないようにしようという事になりました。

私自身は秋保温泉の同期会にも神田の如水会館での「萩の会」にも出席し、どちらも非常に楽しい思いをしました。

秋保温泉での同期会に関してはこのブログに以下のように3回の記事を掲載しました。

深い悲しみと、深い喜びの混じり合った感動・・・卒業後61年目の同窓会

友だちへの追悼・・・疎遠だった私のお詫び

懐かしい故郷の風景・・・片平丁、お霊屋下、鹿落坂、大年寺山、愛宕山

老い先も短い年齢になってみると同期会や同窓会が実に楽しくなります。健康である限りどちらも出席しようと決心をして幸せな気分で帰って来ました。

皆様は同期会や同窓会をお楽しみになっていらっしゃいますでしょうか?

下に今日の「萩の会」のスナップ写真をお送り致します。

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