後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人生の輝きと暗い日々(2)陽気な孤独死

2009年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

独り暮らしの人が近所にいます。山梨の「山林の中の小屋」の近辺にもいます。そのうちの4人とは友人です。特に2007年2月にブログを始めた鬼家雅雄さんは、15年以上も雑木林に囲まれた山荘に独りで住んでいます。自然を相手に悠々と暮らしています。孤独に死んで行く覚悟をしていますが、実に陽気な人です。先日も少しのビールを持ってお邪魔しました。談論風発と言えば大げさですが、2人で陽気に喋り合いました。話題は孤独死のことでした。達観しています。人間が、たまたま独りで死んで行くのも自然なことです。と、言う。お葬式もいりません。発見したら玄関の外に書いてある遠方の弟へ電話して下さい。と笑っている。こちらも、山に来るたびに寄りますよ。電話もしますよ。と応ずる。弟さんは馬場駿という小説書きだ。伊豆で岩漿という文学会を主宰している。

鬼家雅雄さんが活き活きと目を光らせて話すことは孤独死の他に山荘の回りに植えたクリンソウ、フクジュソウ、カタクリ、ミズバショウ、などの花の話題が多い。シイタケやナメコの栽培の話もする。今年こそモリアオガエルを沢で増やしたいと言う。彼からクリンソウやシイタケ、ナメコの原木を貰っていて、このPCで文章を書いている窓の外に見えている。昨年は花が美しかったクリンソウは芽をまだ出さない。シイタケも出てこない。シイタケの菌をあまり律儀に深く植え、蠟であまりにも完全に封じ込んだのかも知れない。昨年の5月以来、黒い網をかけ水道水を何度もかけて濡らしている。

シイタケが出てこなくてもそんな作業をするたびに山林を思い出して楽しいものです。

山林の中の小屋の近所に独りで住み着いている他の3人とも時々話をする。皆とても明るい。独りで死んで行くことをごく自然の成り行きと思っている。以前に宗教の話をしましたが、あまり興味がなさそうでした。ですからもう宗教の話はしません。

孤独死は可哀想だから何とかしようとするのは人々の優しさです。でも本人達の心の持ち方が一番重要なのでは?と思うようになりました。

この4人の安らかな生き方を見守るように甲斐駒岳が神々しく蒼穹に輝いています。(続く)

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人

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