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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「行田の『古代蓮の里公園』の蓮の花」

2025年07月10日 | 写真
古代蓮の里のハスの見頃は、例年6月下旬から8月上旬頃です。 古代蓮とは花弁の数が少ない原始的な形態を持つ蓮です。 行田蓮とも呼ばれています。約1400〜3000年前の蓮です。 写真の出典は、https://iwalkedblog.com/?p=31292 です。

「施餓鬼供養とは何か?」

2025年07月09日 | 写真
夏のお寺では施餓鬼供養という儀式があります。 飢饉で悲しくも餓死した農民の供養をするのです。供養をするため近隣のお寺の住職が10人くらい集まり、本堂で、お経を読み、鐘やシンバルを鳴らして輪になって廻るのです。 曹洞宗がこのように派手な儀式をするのはその後あまり見たことがありません。 1番目の写真は施餓鬼供養の場面です。  2番目の写真も施餓鬼供養の場面です。

3番目の写真は施餓鬼供養に集まった村人です。 本堂の左右の客間には集落の人が合掌して座っています。 そして人々は供える野菜や果物を祭壇に溢れるほど持ってくるのです。

老境にいたると無性にその 正林寺寺のことが懐かしくなります。そして祖父母の暮らしを客観的に考えるようになります。とにかく貧乏なお寺でした。

 施餓鬼供養養とは何かを書きました。 

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)

「中世のままのドイツの地方の町」

2025年07月08日 | 写真

1969年にドイツ在住に慣れたころ、フンボルト本部から封書が届く。マイクロバス一台でドイツ全土の観光に連れていってくれるという。シュツットガルトから始まり、アウグスブルグ、ミュンヘン、ロマンテッシェ・シュトラーセ、ベルリン、ハノーバー、ブルーメン、リューベック、ボン、ケルン、モーゼル河を遡って、トリアー、カールスルーエ、シュツットガルトに帰る二週間ほどの長旅である。

黒い針葉樹の森と新緑の広葉樹の美しい五月であった。各地の中世の絵画館、近代美術館、教会や修道院、歴史的な町並み。これが伝統的なドイツ文化だというものを徹底的に見せる。音楽ではベートーベンに代表される古典音楽、暗い宗教画の歴史、デユーラーの絵画、カント、ショウペンハウエルに代表される哲学、ゲーテやトーマスマンの文学、それら伝統に関連した記念館や生家を見せる。

壮大な教会や修道院も訪問する。出発時は新緑であった林が深い緑になったころドイツ遍歴の旅を終え、シュツットガルト市へ帰る。

この国が誇る文化はすべて暗く重々しく、深みのあることが特徴である。例えば、日本で有名なヘルマンヘッセは軽過ぎるらしく、ドイツでは評価が高くない。ドイツの留学制度は外国人にドイツ文化の素晴らしさを教え、帰国後もドイツ文化の支援者になって貰うことである。

中世や封建時代の雰囲気がドイツに漂っている。住んでみるとドイツ人はそれを誇りにするのか酒席の主な話題になる。ヨーロッパ諸国では、ドイツしか知らないが聞いてみると、どの国もそんな中世の雰囲気が漂っているそうである。

ドイツの中世の町の写真を示します。出典は、https://pixta.jp/tags/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84  です。


それはそれとして、 今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)
 

「自分が初めて買った乗用車」

2025年07月07日 | 写真
 1961年春にアメリカで初めて車を買った。1956年型ダッジ・コルネットであった。

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外国で中古車を買うときは現地の人を信用して判断を任せるのが良い。

新婚の妻は色合いを最重要視する。クリーム色と水色のツートンカラーの車を中古車店から借り出して近所の修理専門の職人の裏庭へ持ち込む。噛みタバコをいつも口に入れている老人のピートが自宅で個人経営の修理屋をしている。仰向けになり車の下へもぐり込み、あちこちをハンマーで叩きながら丁寧に見てくれる。「この車は買って良いよ」、結論を一言いう。謝礼を支払おうとしても受け取らない。その後色々小さな故障が起きたがそのつどピートに直して貰った。

最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブした。

車そのものは中古のせいで小さな故障をよくした。しかし大型乗用車なので乗り心地は抜群である。帰国後12台の車に乗ったがダッジ・コルネットほど乗り心地の良い車には乗ったことが無い。(終わり)


「1960年代に憧れだった自動車の写真」

2025年07月07日 | 写真
1960年代の日本はまだ貧しくて自動車は貴重な存在でした。
トヨタとニッサンは乗用車を販売していましたが高価で高嶺の花でした。
その頃活躍したのがマツダやダイハツのオート三輪車や日野がライセンス生産していたルノーでした。フォルクスワーゲンはドイツから輸入されていました。1958年にはスバル360が発売され、マツダクーペも1960年に出ました。
そんな時代の町の風景とともに自動車の写真をお送りいたします。
1番目の写真は1962年の北海道千歳市の商店街の風景です。自動車が少なくオート三輪車が活躍していました。写真の出典は、http://thegoldexp.blog99.fc2.com/blog-entry-1185.html?sp です。
2番目の写真は日野自動車の軽三輪トラックです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。
3番目の写真はマツダのオート三輪トラックです。この三輪トラックは日本中でよく見られました。
4番目の写真は日野自動車が作っていたフランスのルノーです。この写真は日野自動車の記念館で撮って来た写真です。
5番目の写真は当時ドイツから輸入されていたフォルクスワーゲンです。
6番目の写真は1958年に発売されたスバル360です。
7番目の写真は1960年に発売されたマツダクーペ360です。
昔、アメリカ留学中に中古のダッジ・コルネットという大型車に乗っていて、1962年に帰国し、いきなり小さな、小さなマツダ・クーペを買いました。
初めての子供を後席にのせ妻と3人で甲府の奥の夜叉人峠まで登り、芦安温泉に泊って来たこともあります。懐かしい車です。当時は道路が車で混んでいなくて、このように小さい車でも安全に走れたのです。360cc空冷4サイクル2気筒のエンジンが後部座席の後についていてオートマチックギアでした。そのうちパブリカやサニーやカローラが出て来て車が一気に普及したのです。日本の経済の高度成長の前の頃の話です。
このように昔の自動車を見ていると日本が貧しかった時代の生活のあれこれを思い出します。その頃は自動車は憧れのものでした。あの頃は貧しい生活でしたが夢が一杯ある青春時代だったのです。懐かしいです。

「戦後のアメリカ占領軍の写真」

2025年07月07日 | 写真
昭和時代の一番大きな出来事は太平洋戦争で日本が徹底的に負け、全国がアメリカに占領されたことです。それは日本の歴史開闢以来の大事件でした。
1番目の写真は昭和天皇がマッカーサー総司令官に会いに行った時の写真です。昭和天皇は正装していますがマッカーサーは略装です。
2番目の写真は1945年9月にミズリー号での降伏文書の調印式に出た日本側の代表です。先頭の重光外務大臣が調印しました。
ここで終戦後の進駐軍の写真を3枚示します。
3番目の写真は当時憧れのまとだったジープと少年の姿です
4番目の写真はアメリカ兵と仲良くしている2人の女性と少年たちです。
5番目の写真は1人の女性と楽しそうに歩いているアメリカの兵士たちです。これらの写真は終戦後の日本の町でよく見られた風景でした。

それにしてもマッカ-サーは明治維新以来の日本の富国強兵政策を徹底的に壊滅したものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「秋田県の毛馬内の盆踊りの写真」

2025年07月06日 | 写真
馬内の盆踊りは、情緒豊かで優雅な盆踊り。町内路上に篝火を焚き、その周りに細長い輪となり踊られる。呼び太鼓(高屋、大拍子、七拍子の3曲)の後、笛の囃子の大の坂踊り、唄のみの甚句踊りの順で踊る。

この地方は、南部藩時代に軍馬であった南部馬の産地として知られ馬の売買が厳しい管理体制下があり、馬皮製のこの地方特有の大太鼓が作られ、張りのある音色が聞ける。

踊り手の衣装は、男は黒紋付きに水色の蹴出し、女は襦袢に鴇色の蹴出し、近年は江戸褄、訪問着、小紋など晴れ着を着て、顔は豆絞りの手拭いで頬被りをするなど、地域的特色に富んだ伝統的な盆踊りである。



「月見草の花の写真」

2025年07月05日 | 写真
月見草の花の写真をお送りいたします。
写真の出典は下記にあります。
tps://www.gettyimages.co.jp/detail/写真/beautiful-yellow-evening-primrose-flowers-blooming-ロイヤリティフリーイメージ/2223053504?phrase=月見草&adppopup=true

詩、中野有子 、https://ameblo.jp/noriko-r0/entry-12854322601.html

夕月あわきふるさとの
わが思ひ出のかの丘に
やさしき姿つつましく
ほのかに匂ふ
月見草・・・・
 

「南米ブラジルの貧民の写真」

2025年07月04日 | 写真
南米の特徴はあちこちに貧民街があることです。南米の貧民街はファヴェーラと言います。ブラジルにおいてスラムや貧民街を指す言葉です。
ブラジルの都市の郊外に不法居住者の建てた小屋の並ぶ貧民街が必ずあります。この都市の貧民街はブラジルに限らず南米中の都市にあります。
今日は私自身が足を踏み入れたベネズエラの首都、カラカスの貧民街についてご報告いたします。
ベネズエラは南米大陸の北の部分を占める大きな国です。その南には広大なブラジルが広がっています。
あれは随分昔のことですが、私はこのベネズエラに1976年に、2週間ほど滞在しました。
その首都のカラカスで胸が痛む光景を見てしまったのです。近代的な中心街を外れた山の斜面に貧しい人々がビッシリと住んでいたのです。それは南米特有の山の斜面にある貧民街だったのです。貧民街のひどい光景に度肝を抜かれたのです。
5枚の写真にブラジルのリオデジャネロの貧民街の写真を示します。写真の出典は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A9 です。

今日は私自身が足を踏み入れたベネズエラの首都、カラカスの貧民街についてご報告いたしました。そして南米中には何処でも貧民街があるのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真はリオデジャネイロ市の貧民街です。イパネマ海岸のシェラトンホテル(右)の裏に広がっています。
2番目の写真はリオデジャネイロ最大の貧民街です。ホシーニャ(Rocinha)という場所です。
3番目の写真もリオデジャネイロ最大の貧民街のホシーニャ(Rocinha)という場所です。
4番目の写真は貧民街で警戒する武装警官の様子です。
 
5番目の写真はリオデジャネイロ市のコンプレクソ・ド・アレマンの貧民街です。6万人以上が住むが、2007年には憲兵隊とギャングの市街戦も起きた場所です。

「夏の風物詩、霧が流れる美ヶ原高原美術館」

2025年07月03日 | 写真
夏の風物詩をもう一つは霧が流れる高原美術館のロマンです。美ヶ原高原美術館をご紹介したいと思います。
この美術館は遥かに遠い天空の上の美術館なのです。標高は2004mです。
4万坪の屋外展示場に350点あまりの現代造形作品を常設展示しています。1981年6月に、「箱根・彫刻の森美術館」の姉妹館として開館しました。長野県の上田市にあります。
それでは早速、霧が流れる美ヶ原高原美術館を家内が撮った写真でご紹介します。
美ヶ原高原美術館の詳細は、https://www.utsukushi-oam.jp/mp/gaiyou に出ています。
そして全ての展示作品のリストは、展示作品一覧、https://www.utsukushi-oam.jp/search/ にあります。展示作品の説明は、https://www.utsukushi-oam.jp/mp/sakuhin にあります。
 
美ヶ原高原美術館は遥かに遠い場所にありますが車で行くと途中の風景を楽しめます。中央高速で諏訪湖まで行きます。そこから白樺湖に上ります。白樺湖からは車山、霧ヶ峰、美ヶ原へと高原ずたいに風景絶佳のドライブが楽しめるのです。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「夏の風物詩は七夕飾り」

2025年07月03日 | 写真
夏の風物詩には七夕飾りもあります。夏になると家々では子供たちが七夕飾りを作ります。
また各地の町の通りに大規模な七夕飾りをします。そして有名なのは仙台の七夕まつりです。
仙台の七夕まつりは、江戸時代に仙台藩祖・伊達政宗公が始めたのが由来とされており、以来仙台の伝統行事になります。仙台の七夕祭りは毎年、8月6日、7日、8日と開催されます。夏の風物詩です。
毎年、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。
結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕飾りを見に帰りました。
七夕飾りが夏風に揺れている写真をお送りいたします。
1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.html です。
2番目の写真の出典は、、http://colocal.jp/news/35321.html です。
3番目の写真の出典は、http://www.hoso0907.com/blog/archives/2007/08/09-021827.php です。
4番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kokomo21jp/33777367.html です。
 
七夕飾りが風に揺れ、その下を家族連れが楽しそうに歩いています。私も妻や子供たちを連れて歩いた思い出がよみがえって来ます。
夏ですから東一番丁や大町通りは暑いのです。通りの両側にはかき氷やアイスクリームを売る店がありました。家族連れが座って、団扇であおぎながらかき氷を食べていました。
 
そして間も無く今年も仙台の七夕祭りの日が近ずいてきました。
七夕飾りに、人はそれぞれいろいろな想いを浮かべるのです。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)