goo blog サービス終了のお知らせ 

後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「スイスのアルプスの山々と花畑の写真」

2025年07月18日 | 写真
昔、南ドイツに住んでいたことがあります。スイスにはよく遊びに行きました。そしてアルプスの山々と花畑を眺めたものです、
アルプスの山々と花畑の写真をお送り致します。
写真は、「スイスのアルプスの花畑の写真」を検索してインターンットからお借りしました。
 


「我が青春の山、蔵王山の樹氷の写真」

2025年07月18日 | 写真
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。
仙台で生まれ育った私は何度も蔵王山の樹氷の間でスキーをしたことがあります。
当時は仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がりました。高湯温泉からはスキーを履いてドッコ沼の山小屋に逗留するのです。
ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが樹氷地帯なのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。
あれから茫々60年以上も経ちました。
毎年、懺悔坂の怖さと夕日の樹氷の姿を思い出します。
今日は皆様に蔵王山の美しい樹氷の写真をお楽しみ頂きたいと思います。
お送りする写真は「 山形蔵王の樹氷写真集」、http://www.asahi-net.or.jp/~EH5W-KRD/zao/photo.htm からお借りしました。

1番目の写真は雪に覆われた冬の蔵王山の山頂です。火山口のお釜の水は冬でも凍りません。熊野岳と刈田岳のすぐ下にあります。
冬は高湯温泉からスキーを履いてドッコ沼へ登り、湖畔の山小屋に逗留します。

2番目の写真は冬の雪に覆われたドッコ沼です。ドッコ沼の湖畔にスキー客用の小屋がありました。何度か数日泊まりました。
ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが冬には樹氷地帯になるのです。

3番目の写真は蔵王山の樹氷です。

4番目の写真は蔵王山の霧氷です。
毎年折に触れて遥かなる我が故郷の蔵王山を想います。冬の樹氷の姿を思い出します。夕日に映えた大平コースの樹氷を思い出します。
蔵王山は大きな火山です。火山ですのでその中腹や麓に幾つかの温泉も湧き出しています。遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉、高湯温泉です。

嗚呼、仙台を離れてから茫々60年以上になります。蔵王山は私にとって大切な故郷の山なのです。
故郷の山は一生私の心に中にあり我が人生を豊かにしてくれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「南アルプスの鳳凰三山の写真」

2025年07月18日 | 写真
南アルプスの主峰3つは北岳(富士山の次に高い3193M)、間ノ岳、農鳥岳(白峰三山)です。
その前山は甲斐駒、地蔵、観音、薬師です。このうち離れている甲斐駒を除き、地蔵、観音、薬師を鳳凰三山と言います。
学生時代、北の穂高、大キレット、槍、常念、と縦走し、南アルプスの甲斐駒、地蔵、観音、薬師に登りました。その後、仕事が忙しくなり、南アルプスの主峰連山(上写真)に登れなくなりました。年をとり体力が衰え、もう登れません。

1番目の写真は地蔵、観音、薬師の鳳凰三山です。
撮影場所:中央高速道路の釈迦堂サービスエイリア(下り)裏の階段より、西方角を撮る。

2番目の写真は甲斐駒岳です。

「夏の北アルプス縦走の写真」

2025年07月18日 | 写真
夏になると若い頃の北アルプス縦走を思い出します。
その北アルプス縦走の思い出を写真に従ってお送り致します。しかし私は当時写真機を持っていなかったので、インターネットからお借りしました。
さて縦走は大糸線の穂高駅から中房温泉への登高から始まりました。そこに一泊して燕岳、大天井、西岳、槍の肩の小屋で一泊し、南岳、キレット渡り、北穂高、涸沢、横尾と歩いて上高地に降りて来ました。歩いた行程は全部で2泊3日の山歩きでした。毎日10時間ほど歩きました。写真で説明します。
1番目の写真は中房温泉から1時間ほど登ると突然見える燕岳です。この地点から槍ヶ岳を遥かに見ながら縦走路を行くのです。
2番目の写真は燕岳と大天井岳の間の尾根から見える槍ガ岳です。まだ遠方です。
3番目の写真は大天井岳の肩を回りこみ近くなった槍ガ岳です。
4番目の写真は威風堂々の槍ヶ岳です。2日目に泊った槍の肩小屋は槍の先端より下った左の肩にありました。

5番目の写真は南岳と北穂高岳の間にあるキレットの写真です。手前右が南岳で左奥の尖った山が北穂高岳です。キレットの両側は絶壁で渡るのが怖い場所です。縦走路で一番危険な所です。怖くて冷や汗が出ました。

6番目の写真はキレットを渡った所にある北穂高岳です。ここまで来ればもう大丈夫です。
7番目の写真は北穂高岳の下にある涸沢です。ここは安全な場所なので鼻歌まじりに歩いて横尾小屋まで下りました。
8番目の写真は横尾小屋から梓川沿いに根気良く歩いて出て来た上高地の風景です。奥の山稜が穂高連峰で右の手前の山は明神岳です。
上高地ではすぐにバスに乗り松本から夜行列車で帰りました。まだ22歳でしたので体力があったのです。

今日は北アルプスン縦走の思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「外国の火祭り」

2025年07月17日 | 写真
外国の火祭りは聖ヨハネの前夜祭です。
洗礼者ヨハネの誕生日とされる「聖ヨハネの日」に世界の各地でキリスト教徒が祝う火祭りです。
キリスト教と関係ない各地の夏至祭と結びつき、火祭りとして祝われる例も多いようです。


「吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表」

2025年07月17日 | 写真
吉田の火祭りの写真と全国の火祭りの一覧表です。
吉田の火祭り(鎮火祭)は北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社のお祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。450年以上の歴史を持ち、日本3奇祭、日本10大火祭りにも なっております。
全国の火祭りの一覧表
オロチョンの火祭り - 北海道網走市
青森ねぶた - 青森県青森市
竿燈 - 秋田県秋田市
松明あかし - 福島県須賀川市
大日向の火とぼし - 群馬県南牧村
愛宕社の火祭り - 富山県魚津市、魚津神社
滑川のネブタ流し - 富山県滑川市
向田の火祭り - 石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社
鬼ヶ嶽火祭り - 福井県越前市、大虫神社
左義長まつり - 福井県勝山市
吉田の火祭 - 山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)
南部の火祭り - 山梨県南巨摩郡南部町
中里の火の花祭 - 東京都清瀬市中里、中里の富士塚
秋葉の火まつり - 静岡県浜松市天竜区春野町、秋葉神社
館山寺火祭り - 静岡県浜松市中央区、舘山寺
御神火まつり - 静岡県富士宮市、富士山本宮浅間大社
松明祭り - 長野県松本市浅間温泉、御射神社
榊祭り - 長野県佐久市望月町
道祖神祭り - 長野県下高井郡野沢温泉村
手力の火祭 - 岐阜県岐阜市、手力雄神社
今尾の左義長 - 岐阜県海津市平田町今尾、今尾神社
滝山寺鬼まつり - 愛知県岡崎市滝町、滝山寺
夏山八幡宮火祭り - 愛知県岡崎市夏山町、夏山八幡宮
鳥羽の火祭り - 愛知県西尾市鳥羽町、鳥羽神明社
火柱祭り - 三重県鳥羽市志摩加茂五郷
河内火祭り - 三重県鳥羽市河内町
松尾火祭り - 三重県鳥羽市松尾町
名のり・注連縄切り・火祭り - 三重県志摩市大王町
紀和の火祭り - 三重県熊野市
五山送り火(大文字の送り火) - 京都府京都市
鞍馬の火祭 - 京都府京都市左京区鞍馬、由岐神社
岩倉火祭 - 京都府京都市左京区岩倉、石座神社
お松明 - 京都府京都市右京区嵯峨、清凉寺
松上げ - 京都府京都市左京区、北区、南丹市美山町
久多の松上げ - 京都左京区久多
雲ケ畑の松上げ - 京都市北区雲ケ畑
修二会 - 奈良県奈良市、東大寺二月堂
稲村の火祭り - 和歌山県広川町、広川町役場〜八幡神社
御燈祭 - 和歌山県新宮市、神倉神社
扇祭(那智の火祭り) - 和歌山県那智勝浦町、熊野那智大社
山口七夕ちょうちんまつり - 山口県山口市
鬼すべ - 福岡県太宰府市、太宰府天満宮
鬼夜 - 福岡県久留米市大善寺、大善寺玉垂宮
火振り神事 - 熊本県阿蘇市、阿蘇神社
火の神祭り - 熊本県熊本市、近津鹿島神社
都井岬火まつり ‐ 宮崎県串間市、都井岬


「夏の北海道の生き生きとした花の写真」

2025年07月17日 | 写真
北海道は空気が澄んでいるので花々が生き生きと咲いています。
北海道の夏の花の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://prezo.jp/column/2837 です。
1番目の写真は大通公園のライラックです。
2番目の写真は網走郡大空町の芝桜公園です。
3番目の写真は紋別郡遠軽町丸瀬布水谷町のまるせっぷ藤園です。
4番目の写真は北海道のシンボルフラワーはハマナスです。

「白馬山の麓に咲く夏の小さな花の写真」

2025年07月17日 | 写真

関東の山々ではとっくに散ってしまいましたが、白馬山の麓では大雪渓から下る水が冷温で、松川のそばだけ季節が遅れているようです。

白馬山の麓に咲く小さな花の写真をお楽しみ下さい。

「秦の始皇帝陵と兵馬俑の写真」

2025年07月15日 | 写真
西安の近くには紀元前246年に作られ始めた秦の始皇帝陵と兵馬俑があります。
私は1982年に西安に泊り郊外の秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪れ非常に感動しました。特に兵馬俑坑にある武人像の表情が千差万別で活き活きとしていることに感動したのです。
始皇帝陵と兵馬俑の写真を示します。写真は「秦の始皇帝陵」と「兵馬俑」を検索して出て来た数多くの写真から鮮明な写真を選びました。 
1番目の写真は西安から約30Kmにある秦の始皇帝陵です。陵の小山にはわけなく登れました。頂上には幾つかの石像が祀られていました。眺めが良かったです。
2番目の写真は始皇帝陵から1Kmはなれた兵馬俑坑です。巨大な覆いの屋根がかけてあります。武士俑は等身大の素焼きで8000体あるそうです。
3番目の写真は軍馬と武人の像です。馬の手綱まで精巧に出来ています。
4番目の写真は私が一番興味を持った4頭立ての馬車です。馬が生きているようです。大きな車輪なので悪路でも行けるようです。
5番目の写真は武人の隊列です。武人なので、みんな怖い顔をしています。
6番目の写真は個性がいろいろな武人の顔です。髪の結い方が違います。出身地がいろいろ違うことを示しているそうです。
7番目の写真は位の高い武人を乗せる馬車です。屋根がついているので風雨の中でも長距離行けそうです。
さて秦の始皇帝は中国の初代皇帝です。紀元前3世紀、7つの国が覇を競い合った戦乱の時代を制して、中国に巨大な統一国家の秦を打ち立てました。始皇帝の業績は郡県制の施行、文字・貨幣・度量衡の統一等々で、後の皇帝政治の基礎を築きました。
始皇帝陵は紀元前246年から紀元前208年にかけて造られたと推定されています。70万人の労働力と40年の歳月をかけて作り上げた巨大な陵です。
1974年、この始皇帝陵から1kmほど離れた場所で偶然地中に埋まった素焼きの像が発見されます。
その地下5メートルに、おびただしい数の兵士や馬の素焼きの像が埋まっていたのです。「兵馬俑」は始皇帝陵から伸びる道に沿って配置されており巨大な陵の一部を成しています。
1974年地元の住民により兵馬俑が発見され、1975年の新華社の報道で世界的な大ニュースとなったのです。
兵馬俑は陵墓の1.5km東にあります。3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体近くあり、みな戦闘態勢で東を向いています。
この兵馬俑の発見は当時の衣服や武器・馬具等の様相や構成、また、始皇帝の思想などを知る上できわめて貴重なものです。
 
今日は秦の始皇帝陵と兵馬俑をご紹介いたしました。
 
それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りきたします。後藤和弘(藤山杜人)

「日本を代表する印象派の画家、児島虎次郎」

2025年07月14日 | 写真
日本を代表する印象派の画家は児島虎次郎です。
岡山県倉敷市にある大原美術館は、日本で初めて設立された西洋美術中心の私設美術館として知られています。このミュージアムを創設した大原孫三郎は、洋画家の児島虎次郎と深いつながりがありました。
児島虎次郎が残した作品は多数存在します。写真は児島虎次郎の《朝顔》です。
児島虎次郎は明治時代から昭和時代にかけて活躍した洋画家です。岡山県倉敷市にある大原美術館の礎を築いた人物であり、その功績はいまも語り継がれています。
大原美術館の礎を築く
虎次郎は1909年にパリから日本へ帰り、翌年に孫三郎夫妻の仲介で社会実業家の娘と結婚しました。
虎次郎のヨーロッパ滞在は三度にわたり、のちに大原美術館のコレクションとなる芸術品を集めました。エル・グレコの《受胎告知》やゴーギャンの《かぐわしき大地》など、貴重な作品の数々を購入して日本に持ち帰っています。
しかし残念ながら、虎次郎は47歳で亡くなってしまいます。多忙を極めた結果、疲労がたたって病気に倒れたのでした。
《朝顔》の魅力
『朝顔』は1920年に描かれた作品で、現在は大原美術館に展示されています。
絵のモデルとなったのは妻といわれており、虎次郎のアトリエの入り口付近に植えられていた朝顔を手入れする様子を絵筆で切り取りました。






「松江の宍道湖のウナギの蒲焼きの写真」

2025年07月11日 | 写真
松江の宍道湖のウナギの蒲焼きも美味しいものです。
詳しくは、https://jimohack.shimane.jp/matsue/222/ をご覧ください。
松江のうなぎは「宍道湖七珍」の一つにもなっている郷土料理です。その写真をお送り致します。
宍道湖七珍(しんじこしっちん)とは、島根県松江市の宍道湖で獲れる代表的な7種類の魚介類のことです。具体的には、スズキ、モロゲエビ、ウナギ、アマサギ、シラウオ、コイ、シジミを指します。 




「霞ヶ浦の湖岸にある「うなぎの山中」の写真」

2025年07月10日 | 写真
土浦市の霞ヶ浦湖岸で、ハス田のど真ん中にあるうなぎ屋さんです。霞ヶ浦にヨットを23年間していました。その間、よく行ったうなぎ屋さんでした。懐かしいので写真をお送りいたします。

「大賀ハスの写真」

2025年07月10日 | 写真
大賀  ハスとは昭和26年3月、現在の東京大学検見川総合運動場で、 故 大賀おおが 一郎いちろう 博士らにより古代ハスの実(種)が掘り出されました。 その後、発芽・開花に成功し、 昭和29年に千葉県の天然記念物に決まりました。 平成5年に千葉市の花に決定しました。2000年以上前の地層から発見されたハスの実から育てられたハスです。 
大賀ハスの写真をお送りいたします。