後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「老人は思い出だけで生きている、何故国際政治に関心が無いのか」

2024年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日ブログに記事を書くのが私の日課です。書く話題は昔の友人の思い出や以前の旅のことが多くなります。老人は思い出だけで生きているのです。すると妻が言います。「思い出ばかり書いていないで、現在・将来や日本の社会問題・国際政治のことも書いたら」と言います。ごもっともです。
しかし素人の生半可な知識で社会問題や国際政治のことを書いても誰も読んでくれません。そんな問題を取り上げた日のアクセス数は非常に少なくなります。これに反して季節の花の写真や友人の思い出を掲載するとアクセス数が多くなります。毎日平均1000くらいになります。1000人くらいの方々が毎日この拙いブログを読んでくださるのです。感謝に堪えません。有難うございます。
そんな訳で今日も旅の思い出を書きます。四季折々登った蔵王山の思い出です。
仙台に住んでいたので私は何度も蔵王山に登りました。夏には宮城県側から登りました。冬は山形県が側の懺悔坂の樹氷の間で毎年スキーをしました。私の一番想いの深い山です。
蔵王山は奥羽山脈の中にあって宮城県と山形県の県境にあります。火山活動によって出来た山です。

1番目の写真は宮城県の大河原町から見た阿武隈川の桜と蔵王山です。蔵王山で一番高い頂は熊野岳です。その隣の刈田岳が二番目に高い山です。

2番目の写真は夏の蔵王山の山頂です。刈田岳の下の 火山口です。お釜と呼ばれています。健在だった父母や家族と一緒に見たのも30年以上も前になりました。

3番目の写真は冬の蔵王山の山頂です。火山口のお釜の水は冬でも凍りません。熊野岳と刈田岳のすぐ下にあります。
この蔵王山を山形県側から登るためには仙台から仙山線で山形駅に行き、そこからバスで高湯温泉(現在の蔵王温泉)に上がります。冬は高湯温泉からスキーを履いてドッコ沼へ登り、湖畔の山小屋に逗留します。

4番目の写真は夏のドッコ沼です。透き通ったエメラルドグリーンの水を湛えているドッコ沼です

5番目の写真は冬のドッコ沼です。ドッコ沼の湖畔にスキー客用の小屋がありました。何度か数日泊まってこの上の地蔵岳まで登り、帰りは懺悔坂の樹氷の間を滑り下りるのです。一緒に泊まったH君はもう何年も前に旅立ってしまいました。
ドッコ沼の上の懺悔坂から地蔵岳までが冬には樹氷地帯になるのです。地蔵からの帰りは急坂の懺悔坂は怖いので、なだらかな大平コースを下ります。夕日を浴びた茜色の樹氷の光景が今でも私の網膜に焼き付いています。

6番目の写真は蔵王山の樹氷です。

7番目の写真は蔵王山の霧氷です。
毎年折に触れて遥かなる我が故郷の蔵王山を想います。夏のお釜の風景や冬の樹氷の姿を思い出します。夕日に映えた大平コースの樹氷を思い出します。
仙台で生まれ育って1960年に仙台を離れてから茫々64年になります。
その故郷の山は蔵王山です。大きな火山です。火山ですのでその中腹や麓に幾つかの温泉も湧き出しています。遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉、高湯温泉です。
仙台や山形の人々はこの温泉へ湯治に行きます。四季折々賑わう温泉地ですが特に秋の紅葉の時期にはとても賑わいます。そして蔵王山は登山やスキーを楽しむ山です。冬は樹氷が輝くスキー場になるのです。

結婚して東京に住むようになってからも毎年里帰りをしてよく蔵王温泉(昔の高湯)に家内、子供達と泊まったものです。
その頃には蔵王山の刈田岳を通り山形に抜けるエコーラインという山岳道路が出来てました。まだ健在だった父母と家内と一緒に刈田岳のお釜に行けたのもこのエコーラインのお陰です。
嗚呼、仙台を離れてから茫々64年。蔵王山は私にとって大切な故郷の山なのです。

今日は故郷の思い出いっぱいの蔵王山をご紹介致しました。
故郷の山は一生私の心に中にあり我が人生を豊かにしてくれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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