フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

友人の中でも屈指の「天然おじさん」

2011年09月17日 | パリ郊外

ヴォー・ル・ヴィコントから帰り、初めてこの夫妻の家に泊めてもらった。

娘さんが使っていた部屋が空いているので、そこに泊めてもらった。

 

夕食は奥さんの心のこもったキッシュを中心とした手作りの食事だった。

私達日本人にも食べやすい。

 

                 

 

                

 

                

 

                

  

食事後、リビングでくつろぎながら私は言った。「素晴らしい部屋だが、一つだけ可笑しなところがある。」

夫妻は???である。

 

実は中国のものだと思うが、牡丹の絵の額が一つかかっていた。

絵だけなら可笑しくは無いのだが、その讃(絵について書かれた詩)を見て笑ってしまった。

 

                

                      

 

                    

額が90度横向きにかかっていたからだ。

原因は、彼等が漢字は縦に書くものと思い込んでいることにある。

 

その絵の讃は、たまたま右から左に横書きされているのであるが、そうと知らずに彼等は額を横にし、無理に(と思っていないのだが)漢字を縦に並べたのだ。

 

一つ一つの漢字の縦・横の判断が出来ないのだから無理はない。

しかし彼等はそうかと笑うだけで、別に額の縦横を変えようともしない。

 

「へえーそうだったのか。まあいいではないか」といった調子で、その額は翌日帰るときまでずっとそのままだった。おおらかである。

 

もうひとつ、ご主人がトランプの手品をしてくれた。詳しいことは忘れたが、裏向きのトランプ10枚位を、裏向きのまま、カードの表の数字をあてて順序良く表向けると言ったもので、最初やってくれた時見事なのに感心した。

 

次に彼は種明かしをしてくれて、なるほどとこれまた感心したので、彼はその面目を十分施した。

 

得意になった彼はもう一度同じ手品を始めた。しかしなんだか変だ。裏向けにしておかないといけないのに彼は初めから表向きにカードを並べているではないか。

 

おやおや?変だな?と思いながらも黙って見ていたが、彼は済ました顔で真面目に並べている。そして10枚ほどのカードを全部並べ終えた。

 

さあ、これから表の数字を当てる時が来た。しかしカードは全部表向いてしまっている。

一瞬彼ははっとし、そして「オオー!!」と頭を抱えた。

 

それから私達は大爆笑した。

彼はこのように、私の友達の中でも屈指の「天然おじさん」なのである。

素晴らしい人柄はこの夫婦共通のものであり、娘さんの人柄にも確実に遺伝している。

 

 

翌日、サン・ジュヌヴィエーヴ・デ・ボワ駅で別れ、RERに乗りパリに帰った。

 

               

        日本の朝食風にと普通はつかないゆで卵とハム

        魚のマリネ風なのがついている

 

               

 

                

 

                

 

 


オレンジの車は見つけやすいから  でも!!!

2011年09月16日 | パリ19区

3日間のブルゴーニュの滞在を終えて再びパリに戻る前、ブルゴーニュのムッシュは、「リヨン駅からはどうやって帰るんだ?」と尋ねた。 

「タクシーで」と答えた私に「パリの友人は迎えに来てくれないのか?こんな大きなスーツケースがあるのに?」と「それでも友達か?」と言わんばかりに不思議そうに言った。 

私は「そこまで甘えるわけにはいかない」と思いつつも、「そう言えば二年前はモンパルナス駅まで迎えに来てくれたなあ」とも思った。 

 

そしてタクシーでミッシェルさんの家に戻った。 

 

「ブルゴーニュの旅はどうだった?」と聞かれ、ブルゴーニュについて話しながら、私は出掛ける時の、リヨン駅で散々だったことを思い出し尋ねた。 

「あなたはあれから無事に帰れた?」と特に何の意図もなく、「うん」という答えを想定するいわば社交辞令のようなつもりだった。

 

しかし彼の答えはこうだった!!

 

「もうあれから大変だったんだ。駐車場に戻るのに迷い、また車を探すのも時間がかかり、車を見つけるまで一時間半かかったよ」と言ったのだ!!

 

確かに私が列車に乗ったホームから駐車場に戻るのは簡単ではなかったであろう。

ミッシェルさんは少し方向音痴?なところがあるからと想像はできるが、一時間半?それはあまりにも・・・・で、ここまでくると気の毒に思えるくらいだ。

送ってもらった私も責任を感じた。

 

見つけやすいように「オレンジ色の車」にしていると言うわけがやっと理解できた。

 

          

                                                                   

                                                     

そんなことを聞いたら、もう「送ってもらう」ことはできない。

 

実は希望の列車が取れず、この日の夕方パリに着いた私は21時過ぎの列車でブルターニュへと向かわなければならなかった。

慌てて荷物を詰め替えて、夕食を取る時間がない私に奥さんが持たせてくれたドライフルーツとクラッカーを手に、呼んでもらったタクシーに乗りモンパルナス駅へと向かったのだった。

 

方向音痴と言うのはよく耳にするが、本当に存在するのだとよくわかった。

しかしこの現象はもう一回起こるのだが、それは次回に紹介する。

 

 

 


初めてのRER、そしてヴォー・ル・ヴィコント

2011年09月14日 | パリ郊外

シャルトルを観光した翌日、今度はヴォー・ル・ヴィコントの観光に出かけた。

 

パリ郊外に、以前奈良を案内した二世代のカップルの内の年配のカップルが住んでいて、案内するからと言ってくれたからだ。

 

この時、初めてRER(郊外行き電車)に乗った。遠距離旅行用のTGVとは全く違った雰囲気で、二階建て電車である。

乗り降りする人も普通の生活臭がするし、いろんな人が乗って来る。

 

中には警戒感が自然と起きてくるような人も乗って来るし、なるべく目を合わさないでおこうと思うような人もいる。そういう人が下車してくれたら正直ほっとしたりした。

メトロと同じく、日本のようにのんきに居眠りなんてとんでもない。

 

ドキドキした電車の旅だったが、やがて無事目的地に着いて駅舎を出ると懐かしい二人が

迎えに来てくれていた。

 

時間がもったいないので、家によらずにヴォー・ル・ヴィコントへ直接行った。

田舎の中に、広大な敷地に大きなお城があった。

 

                

 

                  

この城はルイ14世の時代、財務大臣のフーケと言う人が建てたという。

落成後、フーケはルイ14世をこの城に招待したのが運のつきだった。

この城の素晴らしさに、ルイ14世は嫉妬し、フーケを失脚させてしまったと言う。

 

        

 

三銃士で有名なダルタニアンたちがルイ14世の命を受けて逮捕にやってきたそうです。

その様子の人形が(口も動き目も光ってました。)ありました。

 

                 

 

この後、ルイ14世はこの城に負けないベルサイユ宮殿を建てたと言います。ヴォー・ル・ヴィコントで活躍した庭師たちをベルサイユでも使ったそうです。

 

ただ歴史に詳しい別のフランスの友人は、フーケは財務大臣の地位を利用し、この城を建てるほど莫大な私腹を肥やしており、ルイ14世はそれを知っていて、彼を逮捕したのだそうです。 なるほど納得です。

 

すばらしい広大な幾何学模様の刈り込みの庭、左右に低い建物を配した均整のとれた城、いずれも左右対称で、日本の庭園文化、築城技術とは全く違っています。その広い庭のずっと奥まで散歩しました。

 

                

 

ここのお城の中のレストランで軽く食事し、お城の中にある馬車の博物館等も見ました。

 

                

 

                 

 

そうしてそこで1泊させてもらうため彼等の家に帰りました。

その家で起こる彼等カップルの人柄が出る面白い話は、次回に譲ります。

 

 


ん!?ミッシェルさん大丈夫!?

2011年09月13日 | パリ19区

シャルトルからの帰り、渋滞に巻き込まれたことは、前述の通りで、彼らの家に到着したのは19時過ぎだった。 

20時の約束なんだけど」と恐る恐る言ってみたが、「それは間に合わないね。メトロで一時間近くかかるよ」と言う答えしか返ってこない。 

 

友人の家は7区と15区の境界あたりで、同じパリ市内であるがほとんど対角線上で、乗り換えを含めるとそのくらいになるらしい。 

もしかして「送ってくれる」かもしれないと、淡い(甘い?)期待があったことは事実であるが、そうはいかない。

シャルトル往復でお疲れであるし、そんな無理はとても言えなくて、「タクシーを呼んでもらえる?」と言うのが精いっぱいだった。

 

タクシーでも結局約束の時間には大幅に遅刻してしまった。

ミッシェルさんが二年前のようなプライベート運転手ではもはやないことを、この時はまだ知る由もない。

 

 

数日後、三泊の予定でブルゴーニュへ行くとき、スーツケースがあるため、

二年前と同じようにまたパリ・リヨン駅まで「送ってくれた」。

「広い駅の駐車場」に車を停めて、出てきた。

 

                            

 

ここで一つ問題があった。

パリ・リヨン駅でフランスレイルパスにバリデート(使用開始日のスタンプをもらう)してもらう窓口を探した。ミッシェルさんはこっちだろうとウロウロし、階段を上がろうとした。

その時私の目にすぐ近くの「窓口」が目に入った。

「スーツケースを見ていて。私一人で行ってくるから」とお願いをして、階段を上がらず、すぐ近くの窓口でバリデードは完了できた。

こういう時、一人の方が問題は早く解決するのだ。

 

さて乗り場は?

 

このリヨン駅、乗り場に注意が必要である。

青と黄色の乗り場があるのだ。

どうやら私の列車のホームは反対の乗り場だ。

どうやっていけばいいのか?

時間も差し迫ってきた。

ミッシェルさんは何人かの人に尋ねてくれた。この時困るのが知らなくても「知らない」と言わず「答えてあげたくなる」人がいることだ。

結構フランス人にこういう人がいる。

彼女もそうだった。どうやら「こっちだ」とか指をさしている。

「そうなのかな?」と歩き始めたところで、柱の地図が私の目に入った。

「ミッシェルさん、違うみたいだよ」と、一緒に見て納得させたが、ここから結構距離がある。

間に合うか、はらはらしてきた私とは違い、おっとりした彼は「すごいね。よく地図がわかったね」とかのんきに笑っている。         

 

                    

 

やっと黄色の乗り場に到着した。

ホームはどこか?一番端だ。

そして何両編成か知らないが、とても長い列車で私の車両は一番前だった。つまり一番遠い。さすがにミッシェルさんも慌てた。そして車両の前に着いて

急いで「ビズ」でお礼とお別れし、飛び乗ったら直ぐに列車は出発した。

時間に余裕を見て出てきたはずなのに、結果はこれである。

 

                        

 

ともあれほっとした私とは別に、彼にはこの後大変なことが待っていたのである。


タクシーの運転手への天罰?

2011年09月12日 | パリ15区

その年の2年前にアヴィニョンへ向かうTGVの中で向かい合わせに座った王子様とそのお母さんに再会する機会がやってきた。

 

シャルトル大聖堂からの帰りが遅くなってしまったが、急いでタクシーでその家に向かった。大幅の遅刻であった。(一時間近く)

パリ中心部のアパルトマンで、ロダン美術館に近いところだ。

 

あいにく王子様は二年前と同じで、バカンスでおばあちゃんの所に行って留守だったが、お母さん、お父さん、そしてちょっと年上のお兄ちゃんが待っていてくれた。

王子様とは電話で話した。

少年らしい可愛い声が受話器の向こうから聞こえた。

お母さんの手料理の夕食をいただくなど、温かいもてなしを受けた。            

 

            

お父さんは何かの編集者と言うことで、おとなしい方だった。

お兄さんは学校の成績優秀で、「飛び級」したということだった。

お母さんも本を朗読する仕事をしているとのこと。

 

そのうち、お母さんのお兄さんがやってきた。彼からみれば母方の伯父さんだ。

この人はお医者さんだそうだが手品が上手で、鮮やかにトランプをさばき、私の目をパチクリさせてくれた。

 

私も持参した折り紙で「飛ぶ鳥」を伝授し、完成後全員パタパタはばたかせることに成功、子供心に帰ってもらった。

 

          

 

          

 

あまり遅くならないよう切り上げ、タクシーを呼んでもらい、ビュットショーモン公園そばの友人宅に戻ることにした。

 

帰途、ライトアップしたエッフェル塔で車を止め写真撮影した。が、この時の運転手の行動にやや不信感を抱いた。車窓からライトアップしたエッフェル塔を見て綺麗だなとかは言ったかもしれないが、車を止めて写真を撮りたいとは言ってなかった。

まあ、これもいいかと、その時は多少メーターの回るのも暗黙に了解した。   

 

      

 

だが、車がバスチーユ広場のロータリーに入った時、この運転手に天罰?が当たった。

左から別の車が「ガシャーン!」とタクシーの左前方にぶちあたった。 

たちまち運転手同士「お前が悪い!」「いや俺は青だった!」みたいな口論になった。

こういうときは日本と相当様子が違うようだ。

 

しかしそんな混乱の中でもタクシーの運転手は、私にそこまでの料金はちゃっかり請求し、「降りて、他のタクシーに乗り換えて」と言った。

後で他のフランス人に聞くと、大抵の人は「目的地まで行かなかったのだから、そんなの払う必要なかったのに」、「お父さんだったら払わない」(若い女の子)と言う。

さっさとその場を離れ、別のタクシーに乗り換え無事宿泊先に帰宅した。もちろん乗り換えたので、少しは高くついたが、幸い何の怪我も無く、バスチーユ広場でだったのですぐにタクシーも見つかり、こう言っちゃ何だが「貴重な」経験をした。

料金についてはちょっと悔しいが、こんな剣幕に対応できるフランス語力を持ち合わせていないので、次の課題としておこう。

 

さてあの事故だが、タクシーと別のマイカーとどちらが悪かったのだろう。

これについては私なりに「見解」はあるが、「第六感」によるものなので、伏せておくことにする。

 

翌日は、ヴォー・ル・ヴィコントへ行く。

 


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