その年の2年前にアヴィニョンへ向かうTGVの中で向かい合わせに座った王子様とそのお母さんに再会する機会がやってきた。
シャルトル大聖堂からの帰りが遅くなってしまったが、急いでタクシーでその家に向かった。大幅の遅刻であった。(一時間近く)
パリ中心部のアパルトマンで、ロダン美術館に近いところだ。
あいにく王子様は二年前と同じで、バカンスでおばあちゃんの所に行って留守だったが、お母さん、お父さん、そしてちょっと年上のお兄ちゃんが待っていてくれた。
王子様とは電話で話した。
少年らしい可愛い声が受話器の向こうから聞こえた。
お母さんの手料理の夕食をいただくなど、温かいもてなしを受けた。
お父さんは何かの編集者と言うことで、おとなしい方だった。
お兄さんは学校の成績優秀で、「飛び級」したということだった。
お母さんも本を朗読する仕事をしているとのこと。
そのうち、お母さんのお兄さんがやってきた。彼からみれば母方の伯父さんだ。
この人はお医者さんだそうだが手品が上手で、鮮やかにトランプをさばき、私の目をパチクリさせてくれた。
私も持参した折り紙で「飛ぶ鳥」を伝授し、完成後全員パタパタはばたかせることに成功、子供心に帰ってもらった。
あまり遅くならないよう切り上げ、タクシーを呼んでもらい、ビュットショーモン公園そばの友人宅に戻ることにした。
帰途、ライトアップしたエッフェル塔で車を止め写真撮影した。が、この時の運転手の行動にやや不信感を抱いた。車窓からライトアップしたエッフェル塔を見て綺麗だなとかは言ったかもしれないが、車を止めて写真を撮りたいとは言ってなかった。
まあ、これもいいかと、その時は多少メーターの回るのも暗黙に了解した。
だが、車がバスチーユ広場のロータリーに入った時、この運転手に天罰?が当たった。
左から別の車が「ガシャーン!」とタクシーの左前方にぶちあたった。
たちまち運転手同士「お前が悪い!」「いや俺は青だった!」みたいな口論になった。
こういうときは日本と相当様子が違うようだ。
しかしそんな混乱の中でもタクシーの運転手は、私にそこまでの料金はちゃっかり請求し、「降りて、他のタクシーに乗り換えて」と言った。
後で他のフランス人に聞くと、大抵の人は「目的地まで行かなかったのだから、そんなの払う必要なかったのに」、「お父さんだったら払わない」(若い女の子)と言う。
さっさとその場を離れ、別のタクシーに乗り換え無事宿泊先に帰宅した。もちろん乗り換えたので、少しは高くついたが、幸い何の怪我も無く、バスチーユ広場でだったのですぐにタクシーも見つかり、こう言っちゃ何だが「貴重な」経験をした。
料金についてはちょっと悔しいが、こんな剣幕に対応できるフランス語力を持ち合わせていないので、次の課題としておこう。
さてあの事故だが、タクシーと別のマイカーとどちらが悪かったのだろう。
これについては私なりに「見解」はあるが、「第六感」によるものなので、伏せておくことにする。