フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

夫婦ともに「フランソワ」の似た者同士

2013年01月01日 | パリ郊外

この日パリ郊外へ訪ねたマリーアンジュの両親は、似た者同士の夫婦である。

大体フランス人は背の高い人と、日本人程度の人とに大別されるが、彼等はどちらも高くなく日本人程度なのだった。 

そして何よりも彼等は同じ名前である。「フランソワ」と言うのだが、奥さんは当然女性だから語尾に「E」がついてフランソワ―ズになるだけなのだ。ご主人はフランソワである。 

二人とも人柄がとてもいい。娘のマリーアンジュはそれを受け継いでいる。 

前回の訪問時と同じく二人で駅まで迎えにきてくれた。ご主人は心臓の手術をした後だったので、厄介をかけてはと、辞退したのだが、「是非にと」言われ、会いに行ったのだ。もうかなり回復していた。他の友人の病気治療のことも聞くにつけ、フランスの医療技術も相当のレベルだと思う。 

さて早速奥さんが腕をふるった御馳走をいただいた。私の胃袋の疲労ぶりを汲んだ優しい料理であった。

 

 

日本で買ったと言う茶碗は、お菓子入れになって出てきた。

 

以前にもこのブログに書いたと思うが、前回来た時に指摘した中国絵の牡丹の絵は、正しく掛けられていた。中国語(讃)は縦に書かれるものと思い込んでいた彼等は、90度左回転させて掛けていたのだった。

でも掛け直したのは私が再訪する数日前だったと、彼等は告白して笑った。

 

彼等はモンゴルに旅行したとのことで、その時の写真を見せてくれた。

「パオ」に寝泊まりしたらしい。トイレのことを質問すると、パオから少し離れたところにトイレが立っているとのことだった。勿論水洗などではない。

毎日ウォッシュレットに御厄介になっている私としては、どうもこういう点に距離を感じてしまう。 

ウランバートルの地図を見せてもらったところ、何と日本語のものだった。でも彼等はそれと知らなかったらしく、びっくりして、そして大笑いした。

再会を約束し、駅で別れた。

その日の内に今度は娘夫婦であるマリーアンジュの家を訪問するため、再びRERに乗ってパリにもどった。 

途中から歩くことにし、セーヌ川を渡った。

もと鉄道線路の高架橋で、上の線路敷きは散歩道で、高架下は芸術関係の店が多い「芸術高架橋」潜って歩いて行った。 

マリーアンジュ宅は、向かいのネスカフェに勤めているカップルの家に行ったことがあったし、その後一度ミッシェルさんの家(ビットショーモン公園に面しているアパルトマン)から歩いて行ったこともある。前回からとは反対方向からの訪問だったが、地図を頼りに探し当てた。 

この続きは次回に。

 

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