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フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

優しいカップルの「ある旅の仕方」

2011年07月16日 | パリ11区

彼らは高野山で知り合った若いカップルと同じアパルトマンに住んでいる。

 

その紹介で、来日予定を知らせる、メールが届いた。

 

京都の宿のおすすめを尋ねてきたので、いくつか候補を送った。

数日後、彼女から「ごめんなさい。同行する両親がもうすでに予約してしまっていた」とお詫びの返事が来た。

すぐにこちらも返事を出したつもりだったが、御両親は(特にお母さん)せっかちというか予定を余裕を持って決めるタイプだとは、このときは気付かなかった。

 

 

何でもお父さんはエールフランスの操縦士を教育していたとかで、リタイアした今もお父さんと一緒だとかなりお得に航空券を手に入れることが出来るらしい。

他の人からも聞いたが、エールフランスは従業員の家族に、このように優しいということだ。

 

前にも文章からその人の温かさを感じることが出来ると書いたが、彼女の文章もそうだった。

会うことがとても楽しみになったので、京都での夕食と奈良での案内を申し出た。

 

迎えに行った駅の近くの小さな宿もいい選択だと思った。

すでにロビーで私を待ってくれていた。

 

やはり思った通りの家族だ。

 

京都駅での夕食はてんぷらを選んだ。

ほとんどのフランス人はてんぷらが好きで、皆「おいしい」と喜んで食べていた。

                          

                         

 

彼女は大学でドイツ語を教えていて、ご主人は電気会社に勤めていると言った。

少しシャイな感じのするご主人だった。

  

                             

 

お父さんは低い声なので聞き取りにくく、何を言っているのかわからないこともあったが、にこにこ顔なので例によって「ウイウイ」と相槌を打った。

あ母さんは小柄でおしゃべり好きな人だった。

 

感心したのは全行程4人一緒でなかったことだ。

例えば、若い二人は高野山の宿坊体験をしたい、でもご両親にはそれよりは日帰りで姫路城が魅力的だという選択をした。

京都観光も、同じペースでは無理だと言うことから、若い二人は駆け足で観光地を次々に移動しながら廻り、ご両親は嵐山でゆっくり一日過ごすとか、

こういう旅行の仕方は双方にストレスがたまらなくていい。

 

友人との旅行でもそんな風に出来るのが理想かもしれない。

友人でも長く一緒だと特に海外ではリズムの違いや見たいところの違いなどもあり、何より慣れない異国の生活の疲れもあるから、一人になる時間が必要な時もある。

 

そして奈良での待ち合わせで、都合のいい時間を尋ねた。

「あなたの都合のよいように」とのことで、京都から一時間見て、11時にJR奈良駅と約束をした。

 

それが、驚きの再会になるのだが、それはご両親のページに譲ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


カメラなしのスケッチ旅行

2011年07月05日 | パリ11区

お父さんに出会ってから二ヶ月後、彼女はボーイフレンドとともに奈良にやってきた。

二人とも建築家の卵である。

 

残念ながら案内をする時間がなく、二人だけで奈良観光をした後、奈良駅で待ち合わせ、お父さんとここで出会ったんだと、その場所に連れて行った。

 

その後、彼らが我が家に来て一泊した。

 

写真を撮らないフランス人がいることは先述のとおりだが、この二人もそうであった。

ただ違っていたのは、写真の代わりに印象に残った風景や、人物などを精密なデッサン画として残していたのだった。

スケッチ旅行と言えばそうだが、初めて見たせいかその綿密さに言葉が見つからないほど、感動した。

この二人の日本での過ごし方や物の見方などまで想像できた。

 

彼女たちは素直でほんとにいい子たちだった。

日本食が大好きなフランス人でも、朝食だけはパン(それも甘いパン、バゲットにはジャム、クロワッサン)にコーヒーか紅茶でないとと言う人が多い。

数少ない和食の朝食を希望したそのボーイフレンドは、卵かけご飯にも挑戦し、完食したのだった。

80人を超える友人の中でこんな和朝食を問題なく食べられたのは、他に6人だけで,卵かけまでとなると、わずかに3人であることからも彼がいかに特別か分かる。

 

夜には習字のまねごとをしたり、お抹茶を点ててみたり、彼が長髪だったことから「イエス・キリストみたいだ」と言うと、大受けしてそのポーズをして笑わせてくれたのだった。

       

 

シャンソンのCDからモンマルトルのピアニストの話になり、「ぜひそのピアニストに会いに行きたい。そしてあなたの家で過ごしたことなどを話したい」と言った。

帰国したら一週間パリに滞在しその後、アミアンのお父さんを訪ね、再び住居探しにパリに戻ると言う。

 

そのことをピアニストに話すと「私も彼らに会いたい。是非来てほしい。日が判ったら知らせてください」と楽しみにしてくれていた。

 

彼らが帰国すぐに「一週間以内に行くけど、まだ日は判らない」とメールが来た。

ピアニストからは「まだ彼らから連絡はない」と言ってきた。

 

次に「アミアンに行き、再びパリに戻った時に必ず行く」と連絡があった。 

そんなメールが二人とピアニストとその後も数回やりとりがあった。

 

残念ながらその約束は果たされていない。

もちろん嘘ではなかったはずだ。その時は本当にその気だったのである。

たぶん予想以上に忙しい日々が待っていたのであろうと思う。

 

その彼らの仕事の様子はお父さんから時々いただいている。

 パリでの仕事もやはり日本人建築家のオフィスである。

 

お父さんからの「それが日本の仕事の仕方なんだろうが、あまりに忙しそうで可哀そうに思う」と諦めにも似た内容のメールに時々心が痛む。

私たち日本人は働き過ぎだろうかとフランス人を見て考えることも多い。

 

もちろん休みが少なくハードに働いているフランス人も知っているのだが、やっぱり考えてしまうのである。


牛乳瓶の底のメガネのムッシュ

2011年06月28日 | パリ11区

彼とは京都のポルタ(地下街)で出会った。 

 

ある日、そのポルタのイベント広場でイタリアの人達が、大きな旗を振り回し、放り上げたりするイタリアン・フラッグショーをしていた。

何だか地方の貴族の騎士道に関係するような古い伝統的なもので、私もそれを見物していた。

 

横に小柄な彼がいた。

聞くとフランス人だった。

ショーが終わり、私はその珍しさに満足して、なかなかよかったと思った。

 

                             

 

 

ところが彼に感想を聞くと「大したことはない。うまく揃っていなかった」となかなか辛い評だった。

ここにフランス人のプライドを垣間見た気がした。

その時はそれで別れたが、彼の帰国後からその時の写真を送ったり、手紙のやり取りをしていた。

 

半年後の春に京都に滞在していると連絡が有った。奈良に来ると言うので

待ち合わせの時間や場所を確認するためだった。

途中から奥さんが、出てこられた。

なかなか流暢な日本語なので、「大変日本語がお上手ですね」と言った。

そうしたら「あら、主人は言ってませんでしたの?私日本人です」

 

びっくり!!!大笑い!!!である。

こちらはてっきりフランス人と思い込んでいたので、まさか日仏カップルとは思いもしなかった。数少ないうちの日仏カップルの友人である。

 

奥さんは関東の出身の方で、彼は公務員、奥さんは航空会社に勤めていてともに既にリタイアされていた。

60歳でリタイアし、年金生活である。

奥さんに聞くと、このご主人は定年を待ちかねたように一人でさっさとリタイアを決め、その後一切働く気など無かったそうである。

 

これが普通のフランス人のサラリーマンである。

(これからは日本と同じく年金の支給開始年齢が引き上げの動きが有り、将来はそうはいかないだろうけれど。)

 

彼は日本が大好きで、京都に毎年春と秋に滞在する。

このため、初め小さいワンルームマンションを買った。

やがて今度は週末に遊びに行くために持っていたパリ郊外の別荘を売り、京都で友人を呼ぶために、もっと大きいマンションに買い換えたのである。

 

私の見るところ彼等は、とびきりのお金持ちでもない。

共働きして定年まで働き一男一女を育てリタイアし、年金とそれまでの貯金でやっている。

 

だから決して贅沢や、無駄なお金は使わない。ここと言うところには使う。

こだわりには使うのである。ここがフランス人らしい。

週末を過ごす郊外のセカンドハウスも堅実な彼等が、こだわって購入したのだった。

 

例えば彼は、京都ではほとんどお金を持たず自転車であちこち見物に行く。

小づかいは、奥さんにコントロールされている気がするが、彼の衣服や持ち物にはこだわりがみられ、ある程度自由な部分もあるらしい。

 

その自転車はフランスからわざわざ毎回日本に持ってくるのである。

機内持ち込み料だけで、十分日本で新しい自転車は買えるが、そこはこだわるのである。

 

フランスにいる時、京都のマンションはあいている。

その間誰かに貸せば借り手が有るかもしれないと奥さんは言うが、彼は絶対に貸さない。

大事な日本の自分の家を貸すのは嫌だそうだ。

 

この牛乳の底のようなメガネをかけたムッシュは、実にいい人なのである。

賢い日本人の奥さんとのカップルであるが、どちらがどちらを尻に引いているのか、まだ判断がつかない。

 

 

 

 

 


高野山で出会ったネスレ・カップル

2011年06月06日 | パリ11区

彼らとは高野山で出会った。



最初は高野山へのケーブルカーの中だった。
ちょうど向かい会わせに座ったので、自然にボンジュールとなったわけだ。

奥さんは妊娠しているとのこと。
「日本では妊娠中に、妊婦が食べてはいけないものがある?」と聞いてきた。
特にないと言うと、フランスでは「生モノ」を食べてはいけないという。
だからせっかく日本に来ても、残念ながら刺身もおすしも食べられないそうだ。

驚いたことに、京都では自転車に乗ってあちこち走りまわっているという。
日本では妊婦が自転車に乗るなんて考えられない。


ご主人は背が高くないが、二の腕がものすごく太く体格ががっちりしている。
これは後で判ったが、彼は大変なスポーツマンで、ヘリコプターで高い山に上がり、そこから滑降したりする男らしい人だった。

ケーブルカーを降りてから宿坊に泊まるという彼らと別れ、別々に高野山を見物した。

奥の院にお参りした後、そのすぐ近くで休憩中の彼らと再び出会った。


彼らは夫婦とも、ネスカフェのネスレに勤めているということが判かった。
二回も会うというのは「縁」があるということも説明した。

近くで「安産のお守り」を買ってきてあげたら、大変喜んでくれた。
パリに住んでいるから、ぜひうちに来てくれと言う。
この後の旅の無事を祈り、別れた。


彼らの帰国後、メールの交換をするようになった。
やがてあのお守りのおかげで、女の子を無事出産したという連絡が入った。
勿論彼らはカトリック教徒であるが、いつもカバンにつけ、出産時も離さなかったという。


1年後パリに行き、大きな目をした赤ちゃんに対面し、抱かせてもらった。
生後5カ月ぐらいだったと思う。

ちゃんと赤ちゃんの寝室があり、扉に名前のプレートがかかっていた。
夫婦の寝室とは離れて独立した部屋があるのだ。
子育ての違いを感じた。


主にご主人が腕をふるって料理してくれ、夕食をごちそうになった。
後から思えば、この時アペリティフ(食前の軽いおつまみと飲み物)もちゃんとあった。

二人とも働いていて忙しいのに、出来ることを精一杯してくれたようだ。
このような30代前半の若いカップルの家にお邪魔するのは初めてだったが、さわやかな感じがした。

まだそんなにパリの地理にも慣れていない時だったので、
宿泊先のムッシュが車で送り迎えしてくれた。
夜8時の招待に間に合うように送ってくれたし、また迎えに来てくれた。

迎えの車を外で待っていると、人通りも少なくやや不安に思ったが、若いカップルのご主人は窓から見守っていてくれ、車が来ると下まで降りてきて迎えに来たムッシュに挨拶をしてくれた。


彼らは会社の都合で、今はスイスに住んでいる。
スイスに住んでいる間にそこに行きたかったが、彼らの友人が次々彼らのところにやって来るので日程が合わず残念ながら行けなかった。
もうすぐフランスに戻るだろうから、これはもう無理とあきらめている。

ご主人は仕事柄ブラジルやコロンビア、インドやアメリカなどに出張している。セーシェル島にバカンスに行ったりもしているようだ。

スイスでまた赤ちゃんが生まれると言うので、奈良のお寺のお守りを送った。
彼らは女の子の時に使ったお守りが「まだ効力がある」と思っていたらしい。
今度は男の子が生まれ、大きくなったけれどまだサンタクロースを信じているお姉ちゃんと一緒に写真を送って来ている。



このカップルの紹介で、その後二組のフランス人(ひと組は同じアパルトマンの隣人、ひと組は仕事の取引先の社長夫妻)が日本にやってきて会うことになるが、これらの話は別の機会に譲る。

 


エレガントな彼女とその家族

2011年05月29日 | パリ11区

京都大学での一年間の仕事のために滞在していた経済学者である友人から、「パリから友人が来るのだけど、奈良で会ってもらえるかしら?」とメールが届いた。

「もちろん」と答えた。

その来日する人は当時小学生の娘さんと一緒にやってきた。
また別の京都大学でその経済学者と友達になった男のフランス人とその母親の組と、合わせて四人で奈良にやってきた。

しかし、この待ち合わせがいい加減なものであった。
日だけは決まっていたが、時間はまた電話をするとのことで、待機状態だった。
「どこからかけてくるのだろう?奈良駅からかな?京都駅からかな?」 
待ち合わせについては、結構こんなことが多いのだ。
もちろんきちんと約束をして時間通りということもあるのだが、アバウトな彼らゆえ、私も彼らの意のままに対応して時々、予想外のことに慌てることになる。


そして15時くらいだったろうか、電話があった。
「今どこ?」と聞いたら、もう奈良観光の途中であった。
「たぶん、神社じゃないかしら?」なんて感じなのだ。
春日大社を目指して出発したのはいいが、果たして広い境内、長い参道、うまく見つかるかどうか賭けみたいなものだ。
相手はこちらの連絡先を知っているのだが、私はむこうのそれを知らない。
もちろん、顔もわからない。
一か八か、とにかく探す。
しかし、およその予想をつけて歩いていき「二の鳥居」くらいで、四人組を見て、「彼らだ!!」と、意外と簡単に見つかった。
こんな調子だから私も懲りず、どんな待ち合わせにも結果オーライである。


東大寺はもう見学したと言うので、春日大社を一緒にお参りした。
神社での拝礼の作法を教えると、すぐその通りにし、娘にも「はい、あなたもやってごらんなさい」と、素直な人柄に好感を持った。
明るく、素直でなかなかの美人である。
ただ娘さんを見ると、ご主人が黒人であることを想像できた。

そのあと、お茶を飲み、いろいろ話していると、彼女は音楽が好きで、琴のCDを探していた。
CDを見つけられなかったという彼女ために帰国後それを送ったことで、彼女は大層喜び、急速に距離が近くなった。

そして彼女の夫は、いわゆるフランスの「海外県」である、グアドループというカリブ海の島の出身であることを知った。
「私の夫は黒人で、あなたはどう思うかわからないけれど、フランスでは『猿』と言う人もいる。でも私は夫や子供たち、家族を誇りに思っている」と私に言った。
「私は人を肌の色では判断しない。だからあなたの家族に対しても、私も友愛の気持ちは変わらない」と答えたが、これは偽りない気持ちである。

翌年、彼女の家を訪問した時、ミュージシャンである夫は家事もすべてこなし、彼お手製のお菓子もご馳走になり、日本に来ていた二女は中学生になっていてハープの演奏を披露してくれた。

きっと彼女は結婚に至るまでも、それからも想像以上に困難なこともたくさん経験しているだろう。
それを微塵も感じさせず、いつも家族のこと、そして私のことも親身になって考えてくれることがわかる温かいメールをくれるのである。

彼女の紹介で我が家にやってきた別の若いカップルも、素朴で温かいカップルだった。

昨年、身内のことで忙しくしていた彼女と会うことはできないと諦めて、私はその若いカップルのお店に夕食に行った。
そこに、彼女が待っていてくれたことは、ほんとうに予期せぬ喜びだった。
しかも彼女は時間がなくて夕食も一緒にできないのに、30分以上も遅刻した私を美しくまぶしい笑顔で迎えてくれたのだった。

そういう彼女と家族の幸せをいつも願っている


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