今日はTICAD Ⅴ(第5回アフリカ開発会議)最終日に参加しました。
私は1994年から翌年にかけて展開した国連モザンビーク活動のPKO要員としてタンザニア国境に近い北部カーボ・デルガード州で勤務した経験があります。当時はインド洋に面した漁村、そして、マコンデ族という山岳少数民族が住む地域で生活し、紛争を終結させる選挙を実施するための国連ボランティアとして活動していました。
写真上:TICADにアフリカから参加した方々
また、私の事務所主催でアフリカの開発や民主化についての勉強会を連続で開催してきました。従って、多くの友人との再会を楽しみに会場に向かいました。
NGOや国際機関のブースをまわって知り合いの方々と挨拶をしていたら、一番奥にあるNGOブースの方々が大喜びで集まってきて、何十人の日本人、そしてアフリカの方々と次々に一緒に写真を撮ることになりました。ブースに来た国会議員は最終日の私が初めてだったとのこと。本当に大歓迎して頂きました。
今回のTICADはアフリカを「援助から投資」の対象にすることがテーマ。日本政府は3兆2000億円の拠出をすでに約束しています。大きな方向性としては間違ってないと思います。中国が大規模開発をした資源の高騰などでいくつかの国はかなりの経済成長を遂げているし、完全に出遅れた日本にとって、挽回を図る大きなチャンスが今回のTICADだってこと、民主党政権時代からの戦略でした。
NGOの方々と話し、彼らが主催した記者会見に同席した限りでは、少なくとも市民社会の方々は、決して満足していないことは明らかでした。ODAのフォローアップメカニズムに社民社会への言及が見られないこと、これまでのTICADと比較しても、市民社会の参加枠が狭くなったこと、また、政府や国会議員の関心が低くなったことを危惧していました。
写真上:モロッコからの参加者
勉強会に同席してもらっていた外務省にはいつもG to P つまり、TICADでは政務レベルによるアフリカ市民社会との対話の機会を!と会合ごとに要望してきたのですが、期待した動きはありませんでした。これも政権交代の影響かもしれません。日本が主催した東京でのアフガン支援会合ではヒラリー・クリントン国務長官が多くの二国間対話を行い、攻撃された側のアフガン市民社会の心をぐっと引き寄せたことがあったそうです。市民社会の目は、時に政権の目指す動きとは異なることもありますが、とにかく経済発展至上主義になって、それに水を差す動きは邪魔という風潮を危惧します。
モザンビークでも、日本の支援(プロサバンナ事業)がブラジル人などの大量の入植による大規模農業につながって、小規模農家の土地収奪や、彼らの小作人化をもたらしているそうです。日本の食糧安全保障には貢献しても、自分たちの食糧安全保障の危機をもたらしているってことを、220の団体を代表して来たって報告者が強く訴えていました。これは私がカンボジアやミャンマーでもずっと関わってきた古くて新しい問題。中国に対抗して日本らしさを訴えるなら「公正さによってアフリカとの関係をつくる」ことをもっと強調しなければと強く感じました。
写真上:市民社会の代表団による記者会見の様子
アフリカやアジアの奥地で平和構築に従事した経験は貴重だと思います。私には彼らの声を届ける使命があると改めて感じています。