(みかんの花咲く丘歌碑)
(深谷宿2)
深谷宿にはみかん畑がないのに、どうして
童謡「みかんの花咲く丘」の誕生地があるのか不思議に思った。
作詞者 加藤省吾歌碑によれば、戦争で疎開してきた作者が、
静岡県の郷里に思いを馳せて創ったとあり、納得した。
(「みかんの花咲く丘」誕生地の標柱)
冨士浅間神社には、深谷城の外堀が残されている。
神社を出て右を見ると、深谷城址の石垣が見える。
「深谷城址公園」であり、隣が深谷市役所である。
(冨士浅間神社)
(深谷城外堀跡)
(深谷城址の石垣が美しい)
深谷城は、上杉房憲が古河公方との戦いで
康正2年(1456)築城し、秀吉の関東攻略により、
天正18年(1590)落城した。
江戸時代には、松平、酒井氏が居城したが、
寛永11年(1634)廃城になった。
(深谷上杉顕彰会による)
城址公園を抜けて、西側の道路をJR熊谷駅のほうに歩くと、
国道17号線にでるが、交差点の手前に
「笛を吹く武者」の像があり、煉瓦の町らしく、
レンガのモニュメントが美しい。
深谷と云えば深谷ネギを思い浮かべる人が多い。
かく言うボクもその一人である。
以前は国道17号を車で走ると、沿道に深谷ネギを沢山並べて販売していた。
時折、購入していたが、四人家族ですき焼きにして、
ネギを沢山入れて、子供たちに嫌われた記憶があるほど、
安くて量が多かった。
しかし、深谷は渋沢栄一を生み、氏が日本初のレンガ工場を設立。
日本を代表するレンガ造りの町であった。
(笛を吹く武者とレンガのモニュメント)
17号を右折して、最初の道を左折しさらに左折すると、
「三高院」(地図などの案内には三光院とある)
という小さなお寺があるが、
ここは浄土宗の名刹で「大翁山浄安寺」という。
徳川家康の甥で25歳の若さで亡くなった深谷城主
松平康直の墓があることで知られる。
(三高院の門前)
(家康甥の康直の墓)
(墓の脇にある説明碑)
康直の墓は本堂の殆ど真裏に設置されているが、
期待するほど立派でないので見落としそうである。
「三高院」を出て、JR深谷駅に向かう。
(深谷宿2)
深谷宿にはみかん畑がないのに、どうして
童謡「みかんの花咲く丘」の誕生地があるのか不思議に思った。
作詞者 加藤省吾歌碑によれば、戦争で疎開してきた作者が、
静岡県の郷里に思いを馳せて創ったとあり、納得した。
(「みかんの花咲く丘」誕生地の標柱)
冨士浅間神社には、深谷城の外堀が残されている。
神社を出て右を見ると、深谷城址の石垣が見える。
「深谷城址公園」であり、隣が深谷市役所である。
(冨士浅間神社)
(深谷城外堀跡)
(深谷城址の石垣が美しい)
深谷城は、上杉房憲が古河公方との戦いで
康正2年(1456)築城し、秀吉の関東攻略により、
天正18年(1590)落城した。
江戸時代には、松平、酒井氏が居城したが、
寛永11年(1634)廃城になった。
(深谷上杉顕彰会による)
城址公園を抜けて、西側の道路をJR熊谷駅のほうに歩くと、
国道17号線にでるが、交差点の手前に
「笛を吹く武者」の像があり、煉瓦の町らしく、
レンガのモニュメントが美しい。
深谷と云えば深谷ネギを思い浮かべる人が多い。
かく言うボクもその一人である。
以前は国道17号を車で走ると、沿道に深谷ネギを沢山並べて販売していた。
時折、購入していたが、四人家族ですき焼きにして、
ネギを沢山入れて、子供たちに嫌われた記憶があるほど、
安くて量が多かった。
しかし、深谷は渋沢栄一を生み、氏が日本初のレンガ工場を設立。
日本を代表するレンガ造りの町であった。
(笛を吹く武者とレンガのモニュメント)
17号を右折して、最初の道を左折しさらに左折すると、
「三高院」(地図などの案内には三光院とある)
という小さなお寺があるが、
ここは浄土宗の名刹で「大翁山浄安寺」という。
徳川家康の甥で25歳の若さで亡くなった深谷城主
松平康直の墓があることで知られる。
(三高院の門前)
(家康甥の康直の墓)
(墓の脇にある説明碑)
康直の墓は本堂の殆ど真裏に設置されているが、
期待するほど立派でないので見落としそうである。
「三高院」を出て、JR深谷駅に向かう。