中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「見返り松」と「祖英塚」(旧中山道を歩く 52)

2005年08月01日 08時53分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65
(見返り松の碑)



日本橋をスタートして11日目(‘04.11.06.)

(深谷宿)
熊野神社を過ぎて、中山道を歩くと道は幹の太い
ずんぐりむっくりのイチョウ並木が続く。

銀杏並木やところどころにある松並木を見上げて、
昔を思い浮かべながら歩くと、国道17号線と交差する。

交差点手前角に一本の松ノ木と石碑があり、石碑には
「見返りの松」とある。往時はここで旅人が深谷宿の女郎と
別れたところと言われ、この松のある辺りで見返り見返り、
別れを惜しんだとされる。

(銀杏並木)

(松並木)

(右側の松が見返りの松で根元に、表題の「見返りの松」の石碑がある。)

(見返り松の碑)


17号線を左折して数百メートル左手に、国済寺がある。
ここは臨済宗南禅寺派の寺院で、康応2年(1390)に
深谷城主上杉憲英が創建し、当時は8万坪の広さを誇った。
今でも境内は鬱蒼とした木に囲まれ、その中に本堂はある。
ボクが訪ねた時は、残念ながら本堂は改装中で全貌を見ることは出来なかった。
なお、黒門は市の文化財になっている。

(上杉憲英が創建の国済寺)

(深谷市指定文化財の黒門)

見返りの松まで戻り、信号を左折、中山道を行くと、
銀杏並木が途切れる頃、右側に常夜灯がある。
高さ4メートルの常夜灯は深谷宿 東入り口の目印。
京都方向から見れば深谷宿の終わりの印となる。
(白い棒が目立つが、その後ろにある常夜灯)

(常夜灯)

さらに進むと「大政(だいまさ)」と言う古い米屋さんの
前を通る。並びには大きな蔵があり、往時には
かなり手広く米屋を営んでいたことを物語っている。

(古くからのお米屋さんの「だいまさ」隣に続く土蔵群がものをいう)

(だいまさの土蔵)

その先にすぐ唐沢川を渡るが、懸かっている橋を行人橋といい、
石碑に拠れば、元禄2年(1689)に通行が激しくなったので
架けたという。
次の信号を右折すると左側に東源寺があるが、
門前向かって右側に「祖英塚」と書いた石がある。

この碑は、文化二年(1805)にでた「木曽路名所図絵」に
「観音堂 深谷にあり、一本の柳のもとに菊図坊(きくとぼう)の
碑あり、その銘に曰く、我れ、仏法に入りて風雅をさとり、風雅を悟りて仏法を悟る。

・死ぬことを 知って死ぬ日や としのくれ  菊図坊」

と記されている。

菊図坊は加賀の国出身の俳人である。
江戸時代の中ごろ、深谷宿中町の脇本陣杉田家に四五年滞在し、
近隣の俳人を指導したとある。
(深谷上杉顕彰会による)

(行人橋)

(東源寺。門の右側に祖英塚はある)

(菊図坊の祖英塚)

この東源寺を出て、塀に沿って右折ししばらく行くと、
童謡「みかんの花咲く丘」誕生地は右、
の案内標があるので、右に行く、線路のガードをくぐっていくと、
「冨士浅間神社」に出る。