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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

男女差が身分違いだった時代

2013年06月12日 | 社会・教育
産経:“苦界”は当時の世そのもの 『傾城買二筋道』
「“苦界”というのは錦の夜着をまとう女も、薦(こも)一枚の“よたか”(下級娼婦)も、好きで勤める者は一人もない。親兄弟のために身を沈めたと思うと不憫(中略)暮らしに困ると親が娘を女郎にする、要は売春させることが当たり前に文学や芝居に描かれる
苦界は維新後、公娼制度となり、戦後の制度廃止と赤線の時代を経て、売春防止法(昭和31年)の制定まで続いた。その後は「風俗」(よく分からない言葉だが)の時代か...

当時(戦前)は、家族の中で女性が常に格下に見られていたというか、ほぼ男女が身分違いみたいな扱いだった。親が娘を女郎に売るというのが、問題視はされてても、普通にある、つまり容認されている社会だった。娘の方は、家族(親に限らず、男兄弟を救うためというのも多い)のために「苦界」に身を沈めるというは、今考えればおかしな話であるが、それを今言ったところで詮無い(今でも自分のじゃない借金を負う女性もいるとは思うが)。

要は、新憲法が制定され、家族関係、親族制度、男女関係が根本から改革されて、そういう時代(女性が割りを食っても当たり前)じゃなくなったという事だ。戦前の影響から脱して売春防止法制定まで約10年かかった。女性が割りを食う風潮の後退は、今も進行中だが、それは別の話。

家族の中で男女が身分違いみたいな風潮は、少なくとも現代韓国ではまだ生きている(日本でも一部には残るだろうが、韓国の実態と比較するものでもないだろう)。そんな男は、時代錯誤と思われているかもしれないが、長幼を問わず、家族の中で男から女へのDVは、「売春」の文化人類学的前提ないし兆候だったとみてよいだろう。

余談:新憲法制定と戦後の諸改革は、「民主化」と呼ばれることがある。民主主義は大正デモクラシーの頃から苦労していたし、そもそも五箇条のご誓文以来の伝統もあるという主張と重ねてみると、なかなか理解に苦しむところがある。戦後、「民主」は共産主義者の合言葉のようにもなっていたから(民主なんとか協会とかね)、尚更である。また考えてみたい。

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4 コメント

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歴史的男女差はどうなのでしょう? (海驢)
2013-06-13 01:03:07
>新憲法が制定され、家族関係、親族制度、男女関係が根本から改革されて、そういう時代(女性が割りを食っても当たり前)じゃなくなったという事だ。

おそらく、幕末~戦前(戦後まもなく?)は、仰るとおりの男女差があったのかもしれません。

しかし、例えば、戦国時代に来日したイエズス会のルイス・フロイスの「日本史」には、「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじていない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。ヨーロッパでは、罪悪については別としても、妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって、名誉を失わないし、また結婚もできる。」や「日本では娘達は両親に断りも無しに一日でも幾日でも、一人で好きなところにいける。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。日本では比丘尼の僧院はほとんど淫売婦の街となっている」という記述があります。

また、宮本常一著「失われた日本人」や渡辺京三著「逝きし世の面影」に出てくる家族関係、親族制度、男女関係は、韓国的な男女差とは対極にあるように思えます。

産経&大塚ひかり氏の記事では認識が偏ってしまうような気がします。
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女郎は孝行 (worldnote)
2013-06-13 02:13:32
一言で言うと、苦界に身を沈めるのは「孝行」という捉え方があった、というのが仮説?です。「親兄弟のために身を沈めたと思うと不憫」という(文学の)物言いは、そういう観念が前提にあるでしょう。

孝行は(少なくとも日本では)儒教的倫理、徳目になります。儒教の日本での影響が強まったのはやはり江戸時代でしょうし、明治維新で極端な事になります。

「女三界に家なし」も想起されるところです。女は社会秩序において立場がない、という意味になります(客分のようなものでしょうか)。そういえば、昔の系図は女性は基本的に名無しだったような。ただし、通常の女の幸せは、嫁した家を守ることで、立場を確保するというものでした。ここからはずれると、(実の親の庇護が無ければ)ドロップアウトしかねない。

それでは中世以前の売春業はどんなだったかという話になりますが、まあ売春はドロップアウトしてバックグラウンドを失った女性がすぐ稼げる商売であったという、元々の原理もあるでしょう(比丘尼の話のように、聖と性が結びつく要素もあります)。

女性は長いこと疎外された存在であったと言えるなら、中世までの社会でもそれは同じだったかもしれません。逆に疎外されていた(ある意味、秩序の外にあった)が故に、ある種の行動の自由を認める事ができるかもしれない。

売春を通史的に考察するのは興味深いですが、難しいテーマではあります(よく分からない)。

あと、中国や韓国のような「皇帝制と本物の儒教の世界」と日本を比較したら、かなり根本的に異なるものがありますわね。
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どちらがより一般的なのでしょうか (海驢)
2013-06-15 04:46:15
レスありがとうございました。

文学がより社会の実相を表す、という話もありますが、文学=作り話というのも事実であり、多面的に検証しないと本当のところは判別できないですね。

遠く異朝をとぶらへば、「女性は長いこと疎外された存在だった」のかもしれませんが、こと我が国においては、中世までの時代においても江戸時代においても、女性の社会的地位および婚姻における立場は、一般的なイメージよりもはるかに高かった、という見解もあるようです(その見解が妥当かどうかは検証できていませんが・・・)。

⇒中世における女性の社会的地位について
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/2-30.htm

⇒江戸時代の結婚~制度から見た男女の地位
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=158029

いろいろ見てみますと、幕末~明治にかけて女性の地位が下がっていったのではないかと感じます。
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財産権の扱いが大きいかな (worldnote)
2013-06-15 23:58:45
> 幕末~明治にかけて女性の地位が下がっていった

多分、そういう事かと思います。女性の地位が下がるというと語弊があるかもしれませんが、少なくとも明治以降の理念形はそうなっている。儒教性が強まったのだろうというのは「予測」です。

http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/2-30.htm

↑なかなか興味深いですね。全部ではありませんが、概ね首肯できます。女性を聖性と結びつける発想も興味深い(男性を俗性と結びつけたら若干妙ですが、そんな事は書いてない)。

> 文学=作り話というのも事実であり

文学は、観念を反映、つまり理念なり思想なりを反映する傾向があり、実態とは異なることがあるでしょう。
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