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世界の覚書

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多文化主義の反対語は何なのか

2011年07月26日 | 移民・難民・拉致
ロイター:焦点:ノルウェーの悲劇、欧州が抱える移民問題の難しさ露呈
英国のキャメロン首相、ドイツのメルケル首相、フランスのサルコジ大統領はともに、過去数カ月の間に口をそろえて多文化主義は失敗だったと語った。

しかし、専門家らはこうした発言について、移民の増加やグローバル化がもたらす経済的・社会的圧力の解消にならないばかりか、多民族社会の恩恵を殺すことにもなると批判。最悪の場合、国家首脳の反多文化主義的発言により、弱い立場に置かれた移民が犠牲となり、人種間関係が悪化するリスクがあるとしている。
ロイターだから、こういう記事になるのだろう。前半は事実である。欧州では、多文化主義は失敗だった(=間違いだった)という認識が共有されつつあるはずだ。しかしその現実を歪曲する報道が、(日本なみに)垂れ流されている。

多文化主義の反対語は何なのか。移民排斥なのか、同化なのか、その中間なのか。実際のところ、犯人はイスラム教徒をテロの対象にしていない。対象としたのは、多文化主義を推進する与党とその予備軍だ。欧州では、多文化主義への批判や反省を民間が口にする事は難しいのだろうか? ポリティカルコレクトネスの話であるなら、抵抗は難しかろうと思われる。政治家が既に発言しているのに、メディアではこんな調子である。メディアの責任は重い。多文化主義の反対概念は、複合的なものだと思う。

1)自国の伝統を一番尊重し、守っていくこと。
2)移民の異文化は原則的には尊重するが、自国の伝統と原則が優先されること。対立する場合は、特に。
3)ゲットー化しない、あるいは自治化させない。

少し列記しているだけで気が重くなるが、問題は、これが可能かどうかだ。近代市民社会の原則そのものが、近代市民社会の崩壊を内包しているかと言われると、そんな気もしてくるからだ。

ある意味、多文化主義の反対概念は、帝国かもしれない。今の世界で帝国に近いのはアメリカだろう。昔ならローマである。一時の日本も帝国だった。帝国では、先ほどの3項程度は当たり前である。

帝国主義の復活というと、これまた誤解をまねきそうで、嫌だが、植民地主義とか膨張主義の話ではなく、自国は自国でちゃんとやって行こうという克己や矜持の話である。帝国では、外国人は「帝国の一部」として位置づけられる。

もちろん「帝国化」によって問題が全て片付くわけではない。例えばマジョリティとマイノリティといった問題は残る。

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