「熱闘」のあとでひといき

「闘い」に明け暮れているような毎日ですが、面白いスポーツや楽しい音楽の話題でひといき入れてみませんか?

スタンリー・タレンタイン『ソルト・ソング』/ラジオから流れてきた白熱のソロに夢中に

2013-03-29 01:15:54 | 地球おんがく一期一会


1970年の大阪といえば万博(万国博覧会)だ。大阪市内とはいっても阪急電車の天六(天神橋六丁目)駅から比較的近くの場所に住んでいたこともあって、50回以上千里まで通い、めでたく(でもないか)全パビリオンを制覇した(ことは何の自慢にもならない)。83万人が入場した日には、家に帰るのが深夜なったことなどいろんな思い出がある。

さて、同じ頃の大阪では音楽ファンにとってメモリアルな出来事があった。万博の開幕に遅れること2週間、FM大阪が開局したのだ。本放送開始前から試験電波が発射されていて、開局を心待ちにしていたことを覚えている。それまでのFM放送はクラシック音楽中心のNHK-FMだけだったから、音楽ファンにとっては楽しめる音楽の幅がぐんと拡がった。それこそ、1日の番組表が頭の中に入ってしまうくらいに家に居ればずーっとラジオを聴いているような毎日だった。短波ラジオで海外からの電波をキャッチすること(いわゆるBCL)に熱中し始めたのもちょうどこのころ。

FM放送はAM放送に比べると音質が良くて雑音が少ないことから、音楽専門放送とも言われるくらいに音楽番組が充実していた。先の「初ECMの苦い想い出」でも書いたように、ジャズもかなり頻繁に耳にすることができたのだ。もっともFM大阪のジングル自体が4ビートジャズだったわけだが。最近の民放FMはじっくりと音楽を聴かせてくれる番組が減っているように感じる。今一番充実している音楽番組はラジオ深夜便の「ロマンティック・コンサート」ではないかと思ったりもする。

それはさておき、専門の番組ではなくても、時にとんでもないジャズがかかることもあったのが当時のFM放送の面白さ。例えばここで紹介するスタンリー・タレンタインの「ソルト・ソング」みたいな7分の曲がオンエアされたりする。ふと耳に飛び込んできたテナーサックスの音色。最初はゆったりとしたテーマだったのが、途中からテンポアップして白熱のソロとなり、気がつくと聴いている方も興奮の坩堝の中に居たのだった。何という曲で誰が演奏しているのだろう? 曲が終わった後に耳に飛び込んできたのがテナー・サックス奏者の名前とミルトン・ナシメント(ブラジル人)の名曲だったというわけ。

とはいっても、スタンリー・タレンタインのこともミルトン・ナシメントのことも知らなかった当時の私。すぐにレコード店に走ることもなく時は過ぎていったのだが、この演奏を耳にしたときの興奮だけはずっと記憶にとどめていた。そして、5年ほど経ち1980年代に入ったある日、ついにこの曲が入ったレコードを手にする。耳にしたのは、CTIレーベルから出ている『ソルト・ソング』のタイトルナンバーだったわけだ。

◆スタンリー・タレンタインの魅力とは

ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズといった両巨頭を筆頭に「猛者」がひしめくテナー・サックス界にあって、スタンリー・タレンタインは地味な存在かも知れない。また、70年代当時に大ヒットしたCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の「雨を見たかい?」をカバーするなどしたことからシリアスな(?)ジャズファンからは軽く見られていた面もあったのではないだろうか。

しかし、レコードを入手してタイトル曲以外も聴いてみると、タレンタインには他のサックス奏者にない大きな魅力があることに気づいた。それは、サム・テイラーに通じる(と書くと怒られそうだが)ソウルフルな歌心。これに尽きると思う。とくに、「アイ・トールド・ジーザズ」のようなゴスペルタッチの曲でそのことが顕著となる。「ソルト・ソング」のようなブラジルMPBの名曲でもけして泥臭くはならずに洗練された感覚で演奏できることも驚き。心の底から歌うことが好きな演奏家ということになるのかも知れない。

このアルバムには、タレンタインの他にもエリック・ゲイル(ちょっと大人しめ?)やリチャード・ティーも参加していていい味を出している。『ツァラトゥストラ』で一世を風靡したエウミール・デオダートのストリングス・アレンジもなかなか刺激的だ。タレンタインの他の作品は持っていないが、この1枚だけでも十分に満足できる内容に仕上がっている。

ジャズの歴史を振り返ってみると、その黄金時代は1930年代のスウィング・ジャズの時代。「スウィング」が社会現象となり、ボールルームやラジオを通じて大衆的な人気を勝ち得ていたのはおそらくこの時代だろう。それが、ダンスを失うことによりファン層が狭まったのがモダンジャズの時代。さらに、モードジャズからフリージャズへと先鋭化していく過程でコアなジャズファンもついて行けなくなった。踊れる要素だけでなく「歌」までも失ってしまったら、あとは死を待つのみ...

ここでエポックメイキングな出来事となったのは、1967年のコルトレーンの死ではないだろうか。ソ連崩壊のような現象がジャズ界に起こったのかも知れない。音楽ファンの支持という意味で死にかけていたジャズが「歌」を取り戻すことで復活を遂げる。その流れがロックビートや電気楽器の導入への道を拓き、新しいジャズを産み出す方向付けとなった。というのはもちろん手前勝手な妄想。

残念ながら、コルトレーンが亡くなったとき、私はまだジャズファンではなかった。仮に知っていたって10代の少年にはそんな時代の流れを感じ取る力があるはずもない。コルトレーンの死を前後して、ジャズを取り巻く雰囲気がどのように変わっていったのかをぜひ先輩諸氏にお聞きしたいところ。「ロックやエレキなんて」という辛口のご意見ばかりだったら耳が痛いが。70年代からジャズを聴き始めた私のような世代の人間とはジェネレーションギャップがあるのではないかと思っている。

◆CTIレーベルのジャズの魅力

70年代当時のジャズファンはどうしても、「自分たちは特別な存在」という意識を持ちたがる人が多かったように思う。ジャズ喫茶にしても、「エレキやロックはお断り」というお店があったし、『ヘッドハンターズ』やチャーリー・パーカーの演奏で有名な「ドナ・リー」をカバーした『ジャコ・パストリアスの肖像』のような「問題作」出る都度に、「認める」「認めない」の論争が巻き起こっていたように思う。

そんな中で、クロスオーバー/フュージョン(この言葉は個人的には好きではないのだが)がブームとなる5年以上も前に新しいサウンドを産み出していたCTIレーベルのレコードも批判の矢面に立つ場面が多かったように思う。ポピュラリティを勝ち得たことで「あんなのはジャズではない」といったような。でも、このレコードのように歌心に溢れる堂々たる演奏に真剣に耳を傾けたらそんなことも言っていられなくなるはずだ。もっとも真剣に聴かなくても、ちゃんと心の中にまで入り込んできてくれる音楽だけど。

「ソルト・ソング」のようなブラジル音楽にも確かな目配りがあるCTIレーベルにはそんな作品がたくさんある。また、ジャンルを問わず多くのミュージシャン達を魅了し続けているミルトン・ナシメントの音楽の素晴らしさについては、場を改めてじっくり書いてみたい。

デューク・エリントンの「音楽にはよい音楽と悪い音楽の2つしかない」というのは至極名言で、音楽を前にして、フュージョンだのジャズだのとフィルターをかけてしまうのは、とてももったいない聴き方のように思われる。

◆Stanley Turrentine “Salt Song”

1) Gibraltar (Freddie Hubbard)
2) I Told Jesus (Traditional adapted by Stanley Turrentine)
3) Salt Song (Milton Nascimento)
4) I Gaven’t Got Anything Better To Go (P.Vance / L.Pockriss)
5) Strom (Stanley Turrentine)

Stanley Turrentine : Tenor Sax
Ron Carter : Bass
Billy Cobham : Drums
Airto Moreira : Drums & Percussion
Eumir Deodado : Keyboards
Horace Parlan : Keyboards
Richard Tee : Keyboards
Eric Gale : Guitar

Recorded July, September 1971 at Van Gelder Studios
Produced by Creed Taylor
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ジョン・アバークロンビー『ゲイトウェイ』/「初ECM」の苦い思い出

2013-03-26 01:25:19 | 地球おんがく一期一会


今にして思えば、1970年代は駆け出しのジャズファンにとって夢のような時代だったような気がする。FMラジオ(ステレオでなくてもよい)が1台あれば、朝から晩までの間に必ずジャズに接することができたから。

そのジャズにしても、モダンジャズ一辺倒ではなく、新譜もどんどん紹介されていた。レコード会社に今からは考えられないくらいに勢いがあったし、オーディオメーカーもラジオ局も元気だったような気がする。主な番組を挙げると、老舗はNHK-FMのジャズフラッシュだが、火曜日(だったと思う)の深夜には油井正一さんの珠玉のジャズ番組「アスペクト・イン・ジャズ」があった。

最新のジャズがかかるのは専門番組だけとは限らない。ケン田島さんの「ミュージック・スコープ」がそうだし、夕方6時からの田中正美さんがDJを務めていた「ビート・オン・プラザ」もクロスオーバー系の音楽を積極的に取り上げていた。そのあと7時15分からはNHK-FMでも45分間の新譜紹介番組があった。当時はレコードが買えなかった埋め合わせをエアチェック(ラジオ放送をカセットデッキに録音)で済ますことができたわけだ。

もうひとつ忘れられない番組がある。正確な時間は忘れたが、夕方に放送されていた悠雅彦さんがDJを努めていた番組。確かトリオ・レコードがスポンサーで当時話題になったECMレーベルのレコードを連日紹介してくれる番組だった。ECMはドイツ人のマンフレート・アイヒャーが創設したジャズレーベル(後にクラシック音楽もリリース)でキース・ジャレットやパット・メセニーといった新進気鋭のアーティストを傘下に収めていたことで俄然注目を集めていたレーベル。

また、ECMのレコードは独特の録音ポリシーにもとづく音の良さでも定評があった。しかしながら、この「音の良さ」が駆け出しのジャズ愛好少年には苦痛のタネだったのである。家にはいちおうシステムコンポーネントタイプのステレオがあった。しかし、総額で中級アンプ1台の値段にも及ばないような代物だから性能の善し悪しは推して図るべし。

とくにプレーヤーはポータブルタイプのものがそのまま載っかった感じでお粗末というか酷かった。とにかく、針とアームが完全に一体化されていてカートリッジを付け替えるなんて不可能。こんなちんけなオーディオ装置で、録音のよい、言い換えればカッティングレベルが高く、厳しい音が刻まれたレコードを聴いたらどんなことが起こるだろうか。

◆初ECMに胸を躍らせながら針を下ろしたのだったが...

悠雅彦さんの番組に感化されて、我が家にも1枚ECMをという気持ちが日に日に強くなってくる。さて、何を買おうかということで近所にあった輸入レコード店(阪急茨木市駅のすぐ近くにあったBUDというお店)で見つけたジョン・アバークロンビーの『ゲイトウェイ』を買うことにする。このレコードは、「ジャズフラッシュ」で既に耳にしていて気になっていたのだ。児山紀芳さんが「田園牧歌調」という表現を使って紹介されていたのを「ふむふむ」と思いながら聴いていたっけ。

でも、なんで初ECMがキース・ジャレットでもパット・メセニーでもなく、ラルフ・タウナーでもなく、ましてやチック・コリア&RTFでなかったのだろう。不思議と言えば不思議だが、まぁそれもいいだろう。エグベルト・ジスモンチだって真剣に聴きだしたのはごく最近のことだし。

ということで、我が家でもギター・トリオによる「田園牧歌調」のサウンドを愉しめるぞとわくわくしながらレコードを抱えて家路についた。ちなみにベースはデイブ・ホランドでドラムスはジャック・ディジョネットというマイルス・デイヴィスのバンドで活躍した名コンビだ。(というようなことはあとで知る)。

さて、レコードをターンテーブルに載せていよいよ針を盤に下ろした。ベースによるイントロから田園牧歌調の「バック・ウッズ・ソング」が始まったのだが、ほどなくして我が家の貧弱なオーディオの弱点が露わとなってしまう。アームが宙に浮く、いわゆる針飛びが頻発。眼前に拡がりかけていた田園風景は幻となり、一気に深い谷底に落ちた気分になってしまった。

もしかしたらレコード盤に問題があったのかもしれないと、盤を抱えてお店に走る。事情を説明し、お店のプレーヤーでレコードをチェックしてもらった。まったく問題なし(当たり前だ)。でも、お店の人が気を利かせて盤を交換してくれた。何だかお店の人にとって申し訳なく、惨めな気分で再びに家に向かう。同じことが起こることは目に見えていたし、やっぱりダメだった。

でもやっぱり聴きたい。この盤をまともに聴くのはそれからしばらく後で、従兄弟の立派な装置でカセットテープにダビングさせてもらってから。そして、大学時代にバイトで貯めたお金で念願のプレーヤー(今も現役で活躍中)を買い、さらにカートリッジをV15タイプⅢにしてからはやっとレコードの真価を味わうことができるようになったのだった。

70年代当時は、強力なギタリスト達がどんどん出てきて活躍していた時代でもあった。だから、アバクロ(アバークロンビー)は少し地味な存在だったようにも思う。だが、ホランド=ディジョネットの強力なサポートを得て自在にギターを弾きまくるアバクロも魅力たっぷりだ。刺激的な演奏ではあるがけしてアナーキーにはならないところもよい。ホランドが6曲中4曲を書いているのも驚き。フィナーレを飾る「ソーサリーⅠ」がとくに素晴らしく、何度でも聴きたくなる逸品だと思う。

◆1970年代当時のオーディオ事情とレコード

思うに、当時の一般家庭のオーディオ事情は、我が家と大差なかったのではないだろうか。まともなプレーヤーを持っていたのは、おそらく音楽鑑賞を趣味としていた人たちに限られていたはず。だから、ポピュラー音楽のレコードはむやみに針飛びが起きないようにそこそこに抑えられた音を入れていたのではないかと邪推する。

また、当時は輸入盤の方が国内盤に比べて音が伸びると言われていた。マスターが原盤に近いこともあるが、国内盤向けのカッティングはレベルを落としていた可能性も十分にありうる。もちろん、CD時代の現在は盤の不良でもない限り、レコードのような問題は起きない。それは精神衛生上もいいことなのだが、針飛びをきにしてヒヤヒヤしながらレコードを聴いていた時代が妙に懐かしくなってアバクロの思い出を書いた。さんざん針飛びし傷が付いた、ほろ苦い思い出が刻まれた盤のはずなのに、そんなことはなかったかのように今でも安心して音楽が愉しめることが、何だかとっても嬉しい。

◆John Abercrombie “Gateway’”

1) Back – Woods Song (Dave Holland)
2) Waiting (Dave Holland)
3) May Dance (Dave Holland)
4) Unshielded Desire (John Abercrombie & Jack DeJohnette)
5) Jamala (Dave Holland)
6) Sorcery I (Jack DeJohnette)

John Abercrombie : Guitar
Dave Holland : Bass
Jack DeJohnette : Drums

Recorded March 1975 at Tonstudio Bauer, Ludwigsburg
Produced by Manfred Eicher
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マイルス・デイヴィス『イン・ア・サイレント・ウェイ』/針を下ろした時、鳥肌が立った

2013-03-24 22:15:34 | 地球おんがく一期一会


マイルス・デイヴィスはジャズ入門者にとって避けて通れない最重要ミュージシャンの一人。最初に聴くべきアルバムとして挙げられるのはオリジナル・クインテット時代のマラソン・セッション(4枚)の中からの1枚になるだろう。そこから『カインド・オブ・ブルー』以降に行ってもいいし、『マイルストーンズ』や『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』へと時代を遡っていくのもいい。

でも、レアケースだが、時と場合によっては70年代以降の電化サウンドがマイルスとの最初の出逢いだったりすることもある。私にとって最初のマイルス体験は、1974年にリリースされた『ビッグ・ファン』だった。歴史的な名盤『ビッチズ・ブリュー』の陰に隠れて注目度も低いが、最初に耳にしたときのことはよく覚えている。

当時、民放FM局で夜の11時からの毎日30分間、CBSソニーレコード(米国のコロンビアレーベル)の新譜レコードを紹介する番組がオンエアされていた。番組名は「ミュージック・スコープ」でDJはケン田島さん。オープニングの7拍子の曲(デイブ・ブルーベックの「アンスクエア・ダンス」)がとくに印象に残っている。その番組から流れてきたのが新譜の『ビッグ・ファン』に収録されていた「グレイト・エクスペクテイションズ」だった。

これがなかなか刺激的だった。というのも、シタールやタンブーラといったインド音楽の楽器が使われていたから。ラヴィ・シャンカールが来日したことで、インド音楽に興味を持っていた頃だったことも大きかったように思う。2枚組LPのはずなのに、何故かこの曲ばかりが他の番組でも流されていた。他の曲で記憶にあるのは油井正一さんの『アスペクト・イン・ジャズ』で紹介された「ロンリー・ファイア」くらいで、「ゴー・アヘッド・ジョン」と「イフェ」の面白さを知ったのはもう少し後のことだ。

当然、興味は『ビッグ・ファン』(の購入)に向かうのだが、ダブルアルバム(2枚組)5000円也ということで手が届かず涙を呑んだ。とにかく世紀の傑作と謳われた『ビッチズ・ブリュー』やライブ盤などマイルスの70年代の諸作品は、ダブルアルバムが多くて手が出なかったのだ。そこで仕方なく手にしたアルバムが『イン・ア・サイレント・ウェイ』だった。

果たしてどんな音が飛び出すのだろうかとレコード盤に針を下ろした時に、終生忘れ得ぬ、後にも先にもこれ1回だけという希有の体験をすることになるから面白い。冒頭に飛び出したオルガン(ジョー・ザヴィヌル)のサウンドに不意を突かれ、短いギターのあとにトニー・ウィリアムスがハイハットで刻む軽快な16ビートのリズムが出てきた瞬間、全身に鳥肌が立ってしまったのだ。音楽を聴いていてこんなに気持ちよくていいのだろうか?と思ったくらい。

その後、場面を少しずつ変えながらマイルス、マクラフリン、ウェイン・ショーターのソロが続き、曲はフェイドアウトして終了かと思った瞬間、再びオルガンの音が聞かれ前半部分がリピートされる。ここで再び最初の興奮が蘇りさらに快適な時間が続く。曲が完全に終わった後、そのままB面には行かずに、もう一度A面の最初から聴き直したことを今でもはっきり覚えている。これでA面の Shhh/Peaceful の虜となり、最初の興奮を思い出したいがために何度も何度もターンテーブルに載っけた。というのはウソでトニーの刻むリズムに乗ってソロをとるマイルス他のプレイにすっかり引き込まれたというのが真相。

そんな風に何度も針を下ろしたA面とは対照的に、看板の “In A Silent Way” が入ったB面は当時あまり聴かなかった。後に、エレピで呪文のように唱えられる3小節周期のなだらかな下降系の和音が気になりだしてB面も聴くようになるのだが。B面もA面にヒントを得たかのような作り方で、面白いレコードだなと思いつつも、その生まれた背景にまで興味を抱くまでには至らなかった。



◆レコード誕生にまつわる驚きの舞台裏

時は少し流れて、このアルバムの制作過程には衝撃の事実があったことを知る。マイルスの専属プロデューサーだったテオ・マセロはインタビューで多くの録音テープにハサミを入れて編集したと語っているのだが、その最高レベルの成功例がこの作品だったのだ。1983年に刊行されたイアン・カー著の『マイルス物語』(小山さち子訳)に、このアルバムの録音からレコード完成に至るまでのプロセスが明かされていたのだ。

初参加にもかかわらずこのセッションで重要な役割を担ったジョン・マクラフリンのプレーをマイルスはそれまで一度も聴いていなかった。そして、「イン・ア・サイレント・ウェイ」の作曲者のザヴィヌルの参加も偶然の徒のような出来事だったのだ。朝にマイルスから電話がかかってきて、「今日はレコーディングをやるから遊びにきたらどうだ。」と誘われ、「ついでにいくつか曲を持って来いよ。」と言われた。著者は「マクラフリンのアンサンブルへの追加がほんの思いつきだとしたら、ザヴィヌルの参加は何かの間違いとしか思えなかった。」と書いている。

セッション終了から編集完了に至るまでのプロセスが、また驚愕の事実の連続だった。

(1) セッション終了後にマイルスとテオ・マセロの元には約2時間分の音楽が残った。
(2) マセロはそれをアルバム片面40分ずつ、計80分の音楽に落とした。
(3) その段階でマイルスが編集作業に加わり、片面を9分そこそこまで短縮し、「これで1枚だ。」と明言。
(4) これではアルバム半面にも満たないので、二人はセクションの一部を繰り返して時間の問題を解決した。

ある意味、姑息な手段により1枚のレコードができたわけだが、これが思わぬ大成功を導くことになるから面白い。結果論から言えば、映画では当たり前の作業(大胆なカットや前後の入れ替えと挿入)を音楽に適用してもおかしくはない。でも、クラシックに限らず、音楽の場合はどうしても「連続性が正」で「編集や多重録音は邪道」というイメージを持たれやすい。グレン・グールドのような音楽の作り方はあくまでも例外的とされていたような印象がある。

◆コンプリート・セッションのリリースでさらなる驚愕の事実が明らかに

時はさらに流れて、『イン・ア・サイレント・ウェイ』のコンプリートセッション(3枚組CD)が2001年に発売される。ここで、殆どすべてのことがあからさまになるわけだが、さらなる衝撃を受けることになる。

問題のシーンは2枚目のCDの後半に収録されている。さして魅力的とは思えないテーマに導かれて曲(Shhh/Peaceful)は始まる。ここから約20分間(イアン・カーの著書で明かされた40分の半分だが?)は、冒頭のテーマが橋渡し役となる形で、聴いたことがある場面と初めて聴く場面とが断片的に現れるといった構成。

なにやら、ロック(EL&P)や電子音楽(冨田勲)にも改作されて多くの音楽ファンのハートを掴んだムソルグスキーの『展覧会の絵』をイメージさせるような構成だが、テーマは「プロムナード」のような魅力には欠ける。そもそも曲全体がだらだらと流れている印象が強い。めでたく本採用となったマイルスやショーターのソロなど魅力的な場面はあっても、冗長という言葉がしっくりくるような仕上がりだ。

こんな事実を知ってしまうと、よけいにテオ・マセロとマイルスの二人による天才的な仕事ぶりに感嘆するしかない。確かにテープを繋いだ編集の痕跡は残っていても、一分の隙もない引き締まった内容の音楽に変貌を遂げているのだ。リズムをトニー・ウィリアムスが刻むハイハットのみにしたことも曲の統一感を高めることに大きく寄与している。

余談ながら、『コンプリート・セッション』の3枚組でもっとも魅力的な演奏が聴かれるのは、実は1枚目の『イン・ア・サイレント・ウェイ』よりも前の時期に行われたセッション。体調面で絶好調だったマイルスはもちろんのこと、ウェイン・ショーターも惚れ惚れするようなソロを聴かせてくれる。それをトニー・ウィリアムスのタイトで自由闊達なドラミングが支えている。ひとつ問題があるとすれば、この素晴らしい演奏をいったいどんな形で売ればいいのだろうか?ということになるだろう。

レコード原盤のライナーノーツに強調されている “NEW DIRECTION” の文字に象徴されるように、『イン・ア・サイレント・ウェイ』はマイルスの音楽作りに新たな方向性をもたらした重要作品だ。その後のマイルスの変貌ぶりの原点と考えれば、『ビッチズ・ブリュー』よりも大きな価値があるとも言える。そんな作品に「ダブルアルバム」の壁に拒まれたとはいえ、偶然接することができたことは、今にして思えばとても幸運なことだったと思う。

◆Miles Davis "In A Silent Wayl"

1) Shhh / Peaceful (Miles Davis)
2) In A Silent Way (Josef Zawinul)
3) It's About That Time (Miles Davis)

Miles Davis : Trumpet
Herbie Hancock : Electric Piano
Chick Corea : Electric Piano
Wayne Shorter : Soprano Sax
Dave Holland ; Bass
Josef Zawinul : Electric Piano & Organ
John McLaughlin : Guitar
Tony Williams : Drums

Recorded at Columbia Studio, NYC, February 18th, 1969
Produced by Teo Macero
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第2回関東大学春季大会への期待と一抹の不安

2013-03-23 15:25:43 | 関東大学ラグビー・リーグ戦
今年で2回目を迎える関東大学春季大会の日程が関東協会のHPで発表された。

今シーズンは、事前に非公式で伝わってきた情報通り、A、B、Cの3グループ(各6チームの総当たり)に分かれて開催されることになった。このように大幅にシステムが変更になったにもかかわらず、どのような議論があってこの方式に落ち着いたのかが不明な点が気になるが、意図はわかるような気がする。

そもそも、昨シーズンの方式(リーグ戦G校と対抗戦G校が上下2グループに分かれ、たすき掛けで対戦)が、初の試みとは言えイレギュラーだったことは事実。当初は「交流試合」として企画されたものの、本来の目的は試合数の増加による大学ラグビーのレベルアップにあったはず。蓋をあけてみれば、ある程度予想されたとは言え、とくにAグループで両リーグ間の実力差が顕著になっただけの感があった。

もちろん、ファンから見て収穫もなかったわけではない。リーグ戦G目線の私だが、春の段階から全チームの状態をチェックすることができたことと、普段はなかなか訪れる機会がない対抗戦G校の本拠地で試合観戦をして、チームの周辺も含めた状況を知ることができたことだ。消化不良の感はあったものの,賽は投げられたのだし、今期がどんな形になるのかがずっと気になっていた。

今回の対戦方式の変更に対してまず感じたことは、所属リーグは関係なく総当たりで行うという妥当正のある方法に落ち着いたこと。大学ラグビーをレベルアップさせるためには、もはや「対抗戦だ、リーグ戦だとか言ってる場合ではないでしょう?」という意図も込められているのではないだろうか。リーグ統合への布石が着々と打たれているのかはわからないが、「大義名分」を考えれば、以前ほどは(統合に対する)抵抗感がなくなってきていることも事実。

もし、将来的なリーグ統合に向けてのシナリオができているとしたら、今回の方式もまだ暫定的な措置ではないかと推察される。ゆくゆくは、春季大会の結果が秋のリーグ戦、あるいは大学選手権の代表決定方法などに反映されるようになるのかもしれない。そして、結果次第によってはリーグ統合止むなしの方向へと大きく舵が切られるといった可能性も排除できないように思う。

いずれにせよ、春にも公式戦ができたことで、関東の大学ラグビーファンにとって楽しみが増えたことだけは間違いない。また、これまでは各々のチームが自分たちの考え方に基づいて行ってきたチーム強化についても、見直しを迫られるチームが増えていくことだろう。

かつての阿多監督時代のヘラクレス軍団とも言われた日大のように、春シーズンは練習試合を殆ど組まずに身体作りに努め、ボールを本格的に持つのは夏合宿以降という方法は取れなくなるわけだ。それほど極端ではなくても、春の段階でチームを作っておかなければならないことに対して、プレッシャーを感じているチーム首脳が少なくないのではないかと思われる。

そこで懸念されることはチーム間での「格差」(必ずしも実力差を意味しない)がどんどん拡大していく可能性が考えられることだ。体制が整っていてシーズンのいつの時点でも一定レベル以上の試合ができる帝京のようなチームはますます強くなり、逆に体制が不安定で毎年リセットになるようなチームは、強化が中途半端になって実力を十分に発揮できないままシーズンを終えてしまうことにならないかということ。チームとしての規律を確率させることがますます重要になってくるだろうし、けが人続出を防ぐための体調管理も重要になってくる。

あと、ひとつ大学ラグビーを観ていて気になることは、チームによって選手のスキルや戦術のレベルがまちまちなこと。高校で実績を挙げた選手を多数リクルートできても戦力アップがままならないチームがある一方で、肩書き組不在でも実績を挙げることができたチームがある。昨シーズンのリーグ戦Gで言えば、3位に躍進した拓殖大が好例と言えるだろう。東海大や流経大と比較しても何ら見劣りしないだけの規律の確立と選手個々のフィジカル強化がなされていたことが好成績を生んだと言える。春シーズンをチーム力アップにうまく活用できていたチームの代表例だと思う。

もちろん、チームそれぞれに考え方があっていいとは思うものの、各チームの首脳間で会合を持つなどして、ラグビーの質をリーグ全体で上げていくことを考えていくことが必要になっていると思う。そのことは戦力アップだけでなく、(正しいプレーを通じての)けがの防止にも繋がるはずだ。伝統を重んじることも大切かもしれないが、それが間違ったものであれば修正していくことも必要のはず。

今後、大学ラグビーは帝京大を頂点として、体制が整った強豪チームの数が絞られていく傾向にある。好選手のリクルートと猛練習だけで勝てる時代ではなくなってきている。そういった状況の中で、トップグループから脱落しつつあるチームがどのような形でキャッチアップを図っていくのか。春シーズンの戦いの中でいろいろなことが見えてきそうで、楽しみが多い反面、一抹の不安も感じないわけにはいかない。願わくば何とかいい方向に向かっていくことを望みたいところだ。
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桜もセブンズも満開間近!

2013-03-20 17:42:04 | 関東大学ラグビー・リーグ戦
今年は例年にもまして関東では桜の開花が早い。各地の桜の名所も準備期間の前倒しを迫られていて、その対応に大わらわといった状況のようだ。

ラグビーファンにとっても春はピッチ上でお花見と洒落込める季節となる。3月末からは、およそ1ヶ月間は「セブンズ三昧」となるわけだ。それも東京セブンズでいきなり「満開」となってしまう。大学ラグビーファン(とくにリーグ戦Gファン)にとっては3週連続で愉しめることになる。

◆東京セブンズ2013(3月30、31日) 秩父宮ラグビー場

今年もこの大会が東京で開催されることになったのでホッとしている。昨シーズンの状況だったら「東京はパス」でも文句は言えないと思っていたので。そのくらい日本のセブンズは実力からバックアップ体制に至るまで危機的な状況にあること露呈したのが昨年度の東京セブンズだったと思うのだが、どうもその教訓が活かされていないような気がしてならない。ここは「開催国チーム」の健闘を祈るしかないが、今回はさらに厳しい現実を突きつけられることになりかねないのではと危惧している。

言うまでもなく、セブンズは五輪種目になったこともあり、強化に取り組む国が急速に増えているし、実際に15人制で実績のなかった国が強豪国になったりしている。15人制との掛け持ちでは世界のトップレベルに到底することはもはや困難であり、「専従」のスペシャルチームを作る必要性がより明確になったのが昨年の大会だったと思う。しかしながら、スタンドの一見華やいだ雰囲気に感化されたかのような「お祭り気分」が抜け切れていないように感じる。アジアですら勝つことが難しくなっている現状に対する危機感は相変わらず薄いように見えるのが気になるところ。

と愚痴を言っていても始まらない。日本も含めて世界のトップ16チームの選手達の華麗な技とチームスポーツとしての駆け引きの妙を楽しまない手はない。それに、この大会は日本で殆ど唯一と言っていいくらいに幅広いスポーツファンにラグビーの面白さを伝える絶好のチャンスでもある。オリンピック種目としての楽しみ方を教えてくれる活きた教科書とも言える。なのに、ラグビー関係者以外はこのような世界のトップレベルの大会があることすら殆ど知らないのではないだろうか。本当にもったいないと思う。

◆第54回YC&ACセブンズ(4月7日) 横浜カントリー&アスレチッククラブ)

老舗大会も今回は大学チームにトップクラブチームを加えた戦いになっている。トップイーストのチームの参戦がないのが残念だが、東日本大学セブンズの前哨戦とも言え、大学ファンには楽しみが増えた感じ。ホストチーム(YC&AC)をあと一歩のところまで追い詰めた昨年の筑波のようなチームがどんどん出てくることを期待したい。

◆第27回関東リーグ戦Gセブンズ(4月14日) 町田市立野津田公園内の陸上競技場

この大会の見どころのひとつは、1部チームと2部チームの直接対決での下克上。昨年も準備不足を露呈して苦杯をなめた有力チームがあった。でも、最大の見どころはリーグ戦グループの1部と2部の全チームが一堂に会してそれぞれのチームの特徴を披露してくれるところにある。首脳陣はもとより、選手達の意気込みからも当該チームが今どんな状態にあるかがわかるのだ。勝った負けたでどうこうといったところがないだけに、逆にストレートに各チームの普段のラグビーに対する取り組み姿勢が見えてしまう怖い大会とも言える。もちろん、BKの選手が中心にはなってしまうが、新戦力のお披露目になることへの期待も大きい。

◆第14回東日本大学セブンズ(4月21日)

YC&ACセブンズから参加しているチームは3ラウンド目となり、チームとしての熟成ぶりが見られるかが焦点になる。でも、この大会は一昨年の新潟大学のようなチームの奮闘を見ることができるのが大きな楽しみになっている。北海道や東北のチームにとっては、全国レベルを経験するチャンスだからがんばって欲しい。そして、ゆくゆくは東日本大会から始まった高校の選抜大会のように、全国規模の大会へと拡大していけばという願望もある。セブンズに特化したチームでも参加できる大会にすることで、世界で言えばケニアやポルトガルのような存在のチームが現れて大学ラグビーの活性化に繋がるのではという期待もある。

◆セブンズの命も花のように短くていいのか?

日本のセブンズの現状は、「花の命は短くて」が当てはまるような状況にあると感じる。4月に関東の大学関連でもこれだけの大会があるのに5月以降はセブンズのセの字も出てこない。東日本大学選抜が終わってパッと散ってしまったら、来年まで花が咲くことはない状況がずっと続いているわけだ。このままでいいのだろうか。

結局は現状でのセブンズの位置づけは、「選手個々のスキールアップが15人制の強化に繋がる」といたようなチーム強化プログラムの一環でしかない。このバックグラウンドがある限り、スペシャルチームの創設なんて夢の夢に終わってしまうわけだ。当然、ファンの非難を浴びることにはなっても15人制の成績に直接的な影響はないため、取り組み姿勢に疑問を感じさせるチームが出てきても不思議はない。

しかし、上でも書いたとおり、セブンズは15人制とは異なるスポーツへと変貌し、独自の進化を遂げているのが現状だと思う。戦術面の研究はもちろんのこと、15人制のトレーニングが通用しない部分も出てきているはず。陸上競技に例えれば、セブンズは1日に何レースも走る短距離走型で、15人制は1週間に1レースの長距離走型になる。自ずとフィジカルやメンタル面のコンディションの整え方も違ってくるはずだし、そうでなければ世界では戦えない。15人制とセブンズの関係も、サッカーとフットサルの関係のような形へと変えていくという発想の転換が必要だと思う。

これから始まる「桜祭り」ではないが、セブンズを1ヶ月限定のお祭りで終わらせてしまうことは本当に惜しい。関東では春季大会が始まったことで日程的には難しくなっているが、何とか5月に全国規模の大会を開催して、花が散ってしまうのはもう少し先延ばしにできないものだろうか。
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