「熱闘」のあとでひといき

「闘い」に明け暮れているような毎日ですが、面白いスポーツや楽しい音楽の話題でひといき入れてみませんか?

アーマッド・ジャマル&レイ・クロフォード/「チェンバー・ジャズ」の醍醐味

2014-03-27 03:20:03 | 地球おんがく一期一会


アーマッド・ジャマルという名前を耳にしたとき、ジャズファンなら「パブロフの犬」のように(彼の演奏を愛して止まなかった)マイルス・デイヴィスの名を思い浮かべるだろう。そして、マイルス様がそこまで褒めちぎるのなら「いっちょう聴いてみるか」と手にするアルバムはジャマルの代表作のひとつとして名高い『バット・ノット・フォー・ミー』だと思う。

でも、もしアーマッド・ジャマルがマイルスとセットで語られるピアニストでなかったとしたら、どこまで音楽ファンの間にその名前が認知されただろうか。また、『バット・ノット・フォー・ミー』を手にしたとしても、その人はジャマルの熱烈なファンになることができただろうか。結論から言えば、マイルスの「太鼓判」がなければジャマルが知る人ぞ知るピアニストで終わっていた可能性は高いと思う。そして、『バット・ノット・フォー・ミー』に辿り着いても、続く2枚目を求める人は案外少ないのではないだろうか。

なぜそんなことを書くかというと、ここに1人そのような手順を踏んでジャマルのファンになることができなかった人間がいるから。『バット・ノット・フォー・ミー』のLPを手に入れてかれこれ30年近く経つわけだが、レコードプレーヤーのターンテーブルには数回程度しか載せた記憶しかない。

話が逸れるが、不世出のピアニストであるアート・テイタムについても同じようなことが言えると思う。おそらく殆どのジャズファンが最初に聴くテイタムの作品は『アート・テイタム=ベン・ウェブスター・カルテット』になるのではないだろうか。ご多分に漏れず、我が家にも1枚しっかりとこのアルバムがレコード棚に収まっている。この名盤も残念ながら私をテイタムのファンタジックワールドに連れて行ってくれることはなかった。

いみじくも油井正一氏がライナーノーツに一筆入れている。「このアルバムはむしろベン・ウェブスターを聴くべき作品である」と。せっかくレコードを買ってくれた人を失望させてはいけないので、「アート・テイタムの真価に触れたいのなら、他に聴くべき作品がある」とは書けない。その代わりにベン・ウェブスターを持ち上げたのではなかっただろうかと邪推する。

私見ながら、最初に聴くべきテイタムは、原点とも言えるデビュー当時の1930年代の演奏を集めた『クラシック・アーリー・ソロズ』だと断言したい。まず、ここでテイタムが投げ込んでくる目にも留まらぬ剛速球に度肝を抜かれ、次に1940年代のキレのある変化球をまじえた投球術に痺れ、そして剛速球を見せ球に、チェンジアップなどさらに球種を増した1950年代の頭脳的なピッチングに感涙する。結果論かも知れないが、ベン・ウェブスターとの共演はテイタムがすべてを出し尽くした後の残り香的な演奏のようにも聞こえる。

◆「リアル・ゴーン・ジャズ」で聴くジャマルの神髄

話がジャマルからすっかり逸れてしまった。今、ジャズファンの間でじわじわとブームになりつつあるCDセットがある。英国の会社からリリースされている "Real Gone Jazz" と名付けられたシリーズで、4枚のCDに6つないし8つのアルバムを収録したもの。しかも価格が正規のCD1枚分よりかなり安価というのが嬉しい。このセットの正体は、著作権切れのアルバムからの盤起こし。だとしても、運良く中古レコード店でみつけたとして、数万円の値札が付いているような貴重盤が手軽に聴けるようになったことがかけがえのない価値を生み出していると思う。

さて、私がCDショップで見かけて購入したいくつかのセットの中に、アーマッド・ジャマルの "Eight Classic Albums" も混じっていた。正直に告白するとCDの3枚目までは「なかなかいい雰囲気のピアニスト」という程度。しかし、4枚目のCDをかけた瞬間、脳天に電気が走った。曲は「ニュー・ルンバ」で、すぐにヴァイブラフォン奏者の名前を確認するためにクレジットに目を走らせた。しかし、メンバーはアーマッド・ジャマル(ピアノ)、レイ・クロフォード(ギター)、イスラエル・クロスビー(ベース)の3人だけ。ヴァイブをイメージさせた音は、実はピアノとギターの音が巧妙に重ね合わされたことによって生まれた「擬音」だったのだ。



「ニュー・ルンバ」はマイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスが記念すべき初共演を果たした『マイルス・アヘッド』のB面2曲目に収められている曲で、アーマッド・ジャマルの作品。ちなみに『マイルス・アヘッド』は私がんもっとも愛しているマイルスの3作品のひとつ(あと2つは『カインド・オブ・ブルー』と『イン・ア・サイレント・ウェイ』)。油井正一さんの珠玉のジャズ番組「アスペクト・イン・ジャズ」で耳にして以来すっかり虜になってしまった。マイルスとギルの共演では後発の「アランフェス協奏曲」が入っている『スケッチズ・オブ・スペイン』の方が圧倒的に有名だが、最初にこちらが聴けたことを幸運に思っている。

このレコードに関しては、マイルスからプレゼントされたディジー・ガレスピーがいたく気に入って聴き潰してしまい、マイルスにもう1枚をおねだりしたという逸話がある。私はカセットにダビングしたのでレコードがすり切れることはなかったが、最初から通しで何度も何度も聴いた。とくに好きなのはB面の「ブルース・フォー・パブロ」が終わって「ニュー・ルンバ」が始まるところだ。いつ聴いても背中がゾクゾクするくらいに魅力的。

その大好きな「ニュー・ルンバ」がまさに鳴っている。しかも、『マイルス・アヘッド』と同じスタイルで。マイルスは様々な音楽からアイデアを得ている。ハチャトゥリアンからはモード手法のヒントを得ただけでなく、70年代には自身のバンドの若いメンバーにハチャトゥリアンを研究するように勧めていたそうだ(イアン・カー著の『マイルス・デイヴィス物語』に記載)。しかし、なのである。同じくハチャトゥリアンにぞっこん惚れ込んでいるマニアがどんなに聞き耳を立てても、マイルスの音楽からはハチャトゥリアンの「ハ」の字も聞こえてこない。そんなマイルスが、まるで「もっとジャマルを聴いて欲しい」と言わんばかりに惜しげもなく恋人をトレースしている。やはり惚れ込み様は尋常ではなかったというべきか。

実は冒頭や曲の進み具合だけでなく中盤以降に地雷が仕掛けられている。パーカッション奏者はいないのにルンバのリズムを刻むボンゴが突如現れるのだ。レイ・クロフォードがギターで奏でるタッピングボンゴが「ニュー・ルンバ」をより情熱的なものにしている。遊び感覚からハプニング的に生まれたのかもしれないが効果は抜群。ドラムレスで代わりにギターが加わった変則的な編成であるが故に音を重ねることでユニークなサウンドができあがった。これこそがチェンバー・ジャズの醍醐味ではないだろうか。アルバムタイトルの “Chamber Music of The New Jazz” (1955) は、最初に目にしたとき「何と大仰な」と思ったが、看板にまったく偽りがない。

もちろん、何をもって「チャンバー・ジャズ」(クラシック音楽に見立てた室内楽的なジャズ)と定義すればいいのかはわからない。ただ、1つ言えそうなのが、バトルではなく調和を重視したジャズではないかということ。欧州ジャズを聴く醍醐味のひとつとして、ピアノの低音とベースを重ねることにより生まれる分厚いサウンドが挙げられる。カッティングコンテストの流れを汲む「ボクシングの殴り合い」よりも、緻密で流れるような「組織サッカー」の世界。欧州が誇る伝統的な音楽のスタイルがジャズに反映されたと言っていいかも知れない。ピアノとギターとヴァイブがユニゾンで重なった「シアリングサウンド」も英国人のレナード・フェザーが発案して同国出身のジョージ・シアリングが実現した。



“Real Gone Jazz” が提供するシリーズは、1950年代に隆盛を極めたメインストリームの陰に、実は侮れないサイドストリームもあったことを教えてくれる面でも貴重といえる。ジャマルだけでなく、レイ・クロフォードのギタープレーに魅せられてしまった音楽ファンにとって、件のギタリスト参加作品が1つしか収められていない第1集は欲求不満が残る内容だった。もっと共演作品は出てこないのだろうか。

そんな期待を知ってか、待望のアーマッド・ジャマルの第2集 “Seven Classic Albums“ が登場した。”The Ahmad Jamal Trio” (1956)、”The Piano Scene of Ahmad Jamal” (1959)、”Listen to The Ahmad Jamal Quintet” (1961) の3作品でレイ・クロフォードのギターが聴ける。もちろん、タッピングボンゴも登場。ドラムレスにはドラムレスのよさがあることがよくわかる。

時に「カクテルピアノみたい」と軽んじられることもあったと聞くアーマッド・ジャマル。だが、心地よさに身を委ねながら煌びやかなサウンドにじっくり耳を傾けてみると、マイルスが激賞した絶妙な間の取り方以外にも美点がいくつもあることに気付かされる。これらの2セットが出たことで、アーマッド・ジャマルが「チェンバー・ジャズの開祖」のひとりとして再評価されることになったら嬉しい。
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「東京セブンズ2014」の感想

2014-03-25 00:33:30 | 関東大学ラグビー・リーグ戦


ラグビー観戦どころかブログも冬眠状態に入って3ヶ月以上経ってしまった。結局、今年も「東京セブンズ」が私的開幕戦ということに。昨シーズンは寒さに震えた2日間だったが、世界の力と技に痺れた2日間は貴重だった。

天候に恵まれながらも、残念ながら今年は2日間フル観戦とはいかず、1日目も2ラウンド目が終わったあたりで用事ができてしまいあえなくリタイア。でも、全体の1/3でも生観戦できたことを喜ぶべきかも知れない。進化し続ける世界のセブンズを観た感想を綴ってみる。

◆アスリート軍団アメリカに抱く夢

競技場に着いたのは2試合目のアメリカvsサモアが始まった頃。メインからバックスタンドへ移動中にアメリカの選手達を観て、最強のアスリートが揃う国の代表だけあると思った。めちゃくちゃデカイという訳でもないのだが、上半身の筋肉の盛り上がりが凄い。そして動きも身体の大きさを感じさせないくらいに軽やか。キックオフでノット10のはずがボールの転がりでセーフになる等、多分にアメリカにラッキーな面があったにせよ、強力な(はずの)サモアをパワーとスピードでぶっちぎってしまったのには正直驚かされた。一度でいいからアメリカがトップアスリートを集めて15人制のラグビーチームを作って欲しい。ラグビー界の常識を覆すような革命的なスタイルでプレーするチームを観てみたいという夢を禁じ得ない。

◆カナダのキャプテンは今年も元気

昨年の東京セブンズでもっとも印象に残った選手の1人がカナダの主将を務める日系カナダ人のヒラヤマ選手。熱い選手が多い中で、どんな状況にも動じずに冷静にというか飄々とプレイする姿が目に焼き付いている。果たして、今シーズンも確実かつ迷いなくボールを捌き、ディフェンスの局面では最後列から指示。そしてふと思った。ジャパンでもっとも必要なのは、冷静沈着で信頼感がある司令塔ではないだろうか。2試合後に登場したジャパンの選手達を観てその想いを強くしたのだった。カナダはチームのまとまりではベストと感じたのもこの頼れるキャプテンあってのこと。



◆しなやかに進化していたケニヤ

昨シーズンのセブンズでやや期待外れだったチームはケニヤだった。身体能力の高さを活かす前にパワーで捻り潰されてしまった感が強い。しかし、そのケニヤも今年は進化していた。敗れはしたものの南アフリカとの戦いでは力強さと組織力で対抗できていたと思う。でも、このチームの持ち味はしなやかさ。サッカーでよく使われる「柔らかいボールタッチ」という表現をラグビーに置き換えてみたい。フィジアンマジックとも違った新たなスタイル(進化形)の完成に期待したい。

◆総合(格闘)球技へとさらなる変化を遂げるセブンズ

試合を観ていて他の球技を観ているような錯覚を起こすことがあるセブンズだが、よりその方向性が増しているように感じた。どんな形でもいいからボールを繋ぐことが重要なセブンズにあって、他の球技を連想させるようなプレーが飛び出すことは珍しくない。でも、それはハプニング的な感があったのだが、むしろ他球技のよい部分を積極的に活用しようという流れでもあるようだ。とくに目立ったのはバスケットボールのようなスナップを利かせたクイックパス。距離にもよるが、初動を速くすることと正確性ではラグビースタイルのパスより効果的な場合もある。また、ハイボールの競り合いではバレーボールのスパイクみたいなプレーも意図的にやっていたように見えた。ただし、これはボールの落下点にいる味方に正確に落とさないとかえって命取りになる。とにもかくにも、いろいろなスポーツの経験が活かせるのがセブンズの面白いところだと改めて思った。

◆勝つためにはマジックよりも堅実性/素早く、短く、正確にの反復

かつては「フィジアンマジック」に代表されるように、トリッキーなプレーがもてはやされた感もあるセブンズ。だが、勝利を目指すためには(楽しくても)リスクを伴うプレーよりも確実なプレーが求められるようになってきているように感じる。セットプレー重視など、15人制回帰と言ってもいいかもしれない。少なくとも、ロングパスは(教科書のお手本を見ているように)スライドでディフェンス側に対応されてしまうし、インターセプトの危険性も高い。実際にジャパンはそれでファイナルに進めなかった。

そこで各チームが考えたのが短いパスを素早く繋ぐプレー。とくに印象的だったのは、トップチームのプレーで、ウラに抜けて大きくゲインと思わせた瞬間、いやそう思わせる前に間髪入れず接近してきたフォロワーにパスを繋ぐスタイル。ある意味相手のウラをかくようなプレーでもあるが、タイミングが合えば正確かつ確実に大幅な前進が図れる。このプレーも単発でなく2つ、3つと連発されたらどんな相手もディフェンスが間に合わない。「相手が予想する前に仕掛けて動く」を正確に繰り返す。けして目新しいプレーではないし、去年は気付かなかっただけかも知れないが、セブンズの極意を観た思いがした。



◆いよいよ日本代表登場

そんな「コア15」で戦っているチームのプレーを観ていて、最後に登場する日本代表は本当に大丈夫だろうかと不安が募っていく。メンバー選考、準備期間、いやそもそもセブンズに取り組む姿勢を見ているとそう考えてしまうのが自然というもの。しかし、緒戦のアルゼンチン戦では秘密兵器の登場がそんな不安を解消してくれた。力強いランでいきなり魅せたロマノ・レメキの存在は相手はおろかホームチームのファンにとってもノーマークだったはず。(去年のジェイミー・ヘンリーの例を挙げるまでもなく、アイランダーに助けられている感の強い我が代表)。だから、期待を抱かせた分、ミスで試合をドローに持ち込まれたのは痛かった。

◆第2ラウンドにはいって一気にヒートアップ

第1ラウンドでは眠っていたかのように見えたチームもしっかり目を覚ましたと感じさせた第2ラウンド。とくにサモアが見違えるくらいに気合が入っていたのが印象的でフランスを一蹴してしまった。そして、アメリカがまたもやラッキー?の場面もあったがフィジーと引き分けたのも驚き。小粒なスコットランドが意地を見せ、カナダは好調を維持してウェールズと引き分け、ケニヤは一気に爆発ときた。日本代表の2ラウンド目の相手は優勝候補の一角、南アフリカだから今度はどうなるか。

しかし、意外と言っては失礼だが序盤は競った試合になっていた。ここでふと気付いた。もしかしたら、コア15とは違うスタイルの相手に南アフリカは戸惑っているのではないかと。しかし、敵もさるもので日本代表の弱点に気がついてからは本領を発揮出来たようだ。ディフェンスに不安があるチームはできるだけ長く攻撃していたいがそうはさせてくれない。ひとつ印象的だったのがジャパンのハイボールキャッチがことごとくチョークタックルの餌食になってしまったこと。相手に倒させてもらえないことも課題になるなんてちょっと哀しい。ここで「タイムアップ」となり秩父宮を後にした。

◆「2日目の健闘」におもったこと

日本代表の2日目の戦いはTV録画で観た。正直、1日目よりもずっといいチームになっていると感じた。もちろん緒戦でのサモアが不調だったこともあるが、2試合目でもウェールズに勝っていたはずの試合だったからフロックではない。高いレベルでの戦いの場を踏んでいない分、逆に1日目の3試合の経験が活かされたのかも知れない。ここで、ひとつ思った。日本代表は次の香港セブンズでコア15入りを果たすことが「マスト」だということ。もちろん、セブンズの進化を望むファンの立場からの要望だが。

今年の東京セブンズでさらにひとつ感じたことは、コア15のチームはランキングを争うライバル同士ではあるが、ある意味で連帯感を持って戦っているのではないかということ。トップレベルのチームを頂点に、「俺たちが世界のセブンズを面白く進化させる!」という気概を持って各チームの選手達は戦っている。その場(コア15で結ばれた輪の中)にいないことが日本代表にとって大きなマイナスに思えてくる。

戦術以前に資金面、トップチームからの選手の供出と課題山積の日本代表だが、コア15入りすることで確実に前進できるはず。まず、世界で戦う以上は無様な試合はできない。新たなファンやスポンサー獲得のチャンスになるだろうし、ラグビーファン自体のサポートの輪も拡がるだろう。東京セブンズだけで判断してはいけないのかも知れないが、強化すればコア15の真ん中レベルのチームになりそうな気もする。香港が(選手に経験を積ませる)育成の場ではなく、選手とってもチームのとっても生き残りをかけた戦場になることを強く期待したい。
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