「熱闘」のあとでひといき

「闘い」に明け暮れているような毎日ですが、面白いスポーツや楽しい音楽の話題でひといき入れてみませんか?

サンタナ&マクラフリン『至上の愛』/断絶の時代に聴く対話の奥義

2017-11-24 02:22:10 | 地球おんがく一期一会


1970年代の前半に限定、アルバムで言うと1作目の『デビュー』から6作目の『不死蝶』までではあるけれど、熱烈なサンタナファンであったことに変わりない。とくにリアルタイムで接した4作目の『キャラヴァンサライ』から『不死蝶』までのレコードは何回も聴いている。

しかし、「哀愁のヨーロッパ」が入った『アミーゴス』で熱が冷めてしまい、それから長い長い年月が経っていた。そんな「オールドファン」を冬眠状態から目覚めさせてくれたのがNHKラジオ深夜便の「ロマンティック・コンサート」だった。サンタナ特集で取り上げられた「エヴィル・ウェイズ」(1作目の収録)がとっても格好良く心に響いたのだった。

それ以来、懺悔の気持ちで「ビフォア・キャラヴァンサライ」の3作を聴き直し、そしてデビュー前の『ジ・アーリー・サンフランシスコ・イヤーズ』と銘打たれた3枚組のCDボックスも手に入れてしまった。1968年のフィルモアでのライブと1969年のスタジオ録音を収めたアンソロジー集で、「サンタナ・ブルース・バンド」と名乗っていた頃の最初期の演奏を聴くことができる。

正直、今までいったい何を聴いてきたのだろうかというくらいに新たな発見がいくつもあってすっかり参ってしまっている。でも気がつかないでいるよりはいいかなとも思った。カルロス・サンタナは官能のギタリストである以上に才能に溢れたグレイトなミュージシャンだったことを認識できたので。

もちろん、「エヴィル・ウェイズ」がズシリと心に響いたのはそれなりの下地が出来ていたから。1980年代に出逢ってからずっと追いかけているポンチョ・サンチェスはティト・プエンテからラテンジャズの王位を継承したコンガ奏者だが、根っこにはロックンロールやR&B(リズム&ブルース)がある人。マンボやサルサやアフロ・キューバンジャズに接する過程でブーガルーやグアヒーラ(レイ・バレット曰く、ラテンのブルース)に親しんできたことも大きい。

こうして改めて60年代後半から70年代中盤までのサンタナの音楽を聴き込んでみると、確かに頂点は『キャラヴァンサライ』かも知れないが、最高作は『不死蝶』だという結論に至った。その辺りのことは追って書くとして、いま殆ど毎日のように聴いている曲がある。ジョン・マクラフリンと共作の『魂の兄弟達』のオープニングを飾るジョン・コルトレーンの「至上の愛」。サンタナとマクラフリンがギタープレイを通じてお互いの主張をぶつけ合いながらも、最後は美しいハーモニーを奏でて終わる感動の作品。当初は宗教臭く聞こえるという理由で敬遠気味だったのがウソのように親しんでいることが不思議ではある。

サンタナ&マクラフリン・バージョンの「至上の愛」は(厳かな雰囲気で始まる)コルトレーンのオリジナル作品(原典版)とはうって変わって、2人のギタリストのバトルを中心に据えたある種喧噪の下に始まる。「原典版」に親しんでいた人は、まずここで勘弁してくれになったかも知れない。続いて登場するのはダグ・ローチのベース。落ち着いた雰囲気でグルーブ感もありなかなかよいのだが、「エレキベースは勘弁」という人はここで投了だったかも。コルトレーンが吹いた精緻なテーマはラリー・ヤングがオルガンで丁寧に心を込めてなぞる。このため、有名なフレーズが全編にわたって残像のように響き渡るフラッシュバックのような効果がある。こうしてみても、「メインディッシュ」が登場するまででも既に内容の濃い作品に仕上がっているわけだ。

そして、いよいよサンタナとマクラフリンによりギターバトルが始まる。先行するのはサンタナより5歳年長のマクラフリン。とっかかりはお互いの主張を朗々と語り合う8小節ずつの交換になっている。そんな対話も熱を帯びてきて4小節ずつの交換へと2人の距離感が縮まる。そして、いつしかサンタナが仕掛けてマクラフリンが受け応える形となった2小節交換のステージへと進む。白熱したアイデアの交換は遂に1小節にまで縮まり、最高潮に達したところで「共演」となる。ここが、この演奏で最高にスリリングであり感動的な瞬間。

2人の徐々に間合いを詰めていく絶妙なやりとりを野球のキャッチボールに例えてみるのも面白い。最初は遠投でお互いの肩の強さや球筋を確かめる。それぞれのクセがわかったところで2人は徐々に間隔を詰めていき、最後は肩を組んで仲良く終了。サンタナが投げるクセ球系のボールをしっかりと受け止めて次にボールが投げ返しやすいように丁寧に返すマクラフリン。2人が野球選手だったらそんな楽しいキャッチボールができたに違いない。マクラフリンの技量だけでなく、懐の深さと優しさなくしてこの平和なバトルは成立しなかっただろう。

時にサンタナ(1947年生まれ)は20代半ばで、マクラフリン(1942年生まれ)は30歳を越えたばかり。ラリー・ヤングはマクラフリンより2年年上で、ダグ・ローチも20代半ばだ。そんな演奏者達の年齢からは想像できないくらいに、成熟を感じさせる世界が創り上げられていることには驚きを禁じ得ない。一聴した限りではカオスのような印象を与えるオープニングも、実は2人が辿り着くべき調和の世界ではなかったのかなと捉えてみたくもなる。



毎日のようにこの若き2人による「至上の愛」を聴いてみると、やはりコルトレーンの演奏も聴かないわけにはいかなくなる。CDは持っていないのでジャズを聴き始めた頃に購入したレコードに針を下ろした。購入してから40年くらい経っているのに盤面はピカピカでノイズも殆どないから十分に聴ける。ジャズ史に残る不滅のマスターピースは精緻でズシリと重く響く。サンタナとマクラフリンの演奏は1曲目のみを取り上げているが、原典版だと通して聴きたくなってしまうところはさながら4楽章構成のシンフォニーの趣がある。

参加メンバーでは、やはりエルヴィン・ジョーンズのドラミングが圧巻。たったひとりでポリリズムを刻んでいることなど、なにゆえに「神様」と讃えられているのかがよく分かる。私感だが、名ドラマーに共通して言えることは、ドラムをスティックで叩いているのではなく、楽器を魔法の杖で鳴らしているというふうにしか聞こえないこと。本当に不思議なのだがそんな印象を受けてしまう最右翼がこの人だと思う。4曲目で素晴らしいソロを聴かせてくれるジミー・ギャリソンの演奏も含蓄がある。このレコードもこれから時々聴くことになるだろう。

断絶の時代にこそ必要なのが対話と相互理解。ここで音楽が果たす役割は大きいと思う。なぜなら、自分の琴線に触れる音楽を創り、演奏する人達と仲良くなれない理由を見つけるのは難しいはずだから。サンタナはメキシコ出身でマクラフリンは英国出身。共演するミュージシャンも様々なバックグラウンドを持つ。サンタナとマクラフリンの演奏をギター奏法や音楽の創り方だけで論じるのはもったいないと思う。意見や主義主張が違っても、対話により相互理解が出来る。2人が中心となって展開する感動的な演奏にそんな奥義を感じる。

魂の兄弟たち (紙ジャケット仕様)
カルロス・サンタナ,マハビシュヌ・ジョン・マクラグリン
Sony Music Direct
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ベネズエラより愛を込めて/クララ・ロドリゲスのピアノで愉しむホローポとワルツ

2017-05-30 01:03:31 | 地球おんがく一期一会


ベネズエラは世界有数の産油国であり、ミス・ユニバースを多く生みだしている国であり、スポーツでは日本にも有力選手を送り込んでいる野球が強い国。音楽界ならサルサ界のスーパースターとして名高いオスカル・デ・レオーンが居るし、最近ではアメリカで活躍するジャズミュージシャンも多い。ワルツやメレンゲやガイタといった民衆音楽の認知度も高まっている。ギターやマンドリンなどの弦楽器による都市弦楽アンサンブルも盛ん。

しかしながら、時代を担うスーパースターのグスタヴォ・デュダメルを生みだした音楽教育システムの「エル・システマ」に注目が集まるものの、クラシック音楽界でも素晴らしい作品が生み出されていることは殆ど知られていない。もっとも、南米大陸自体のクラシック音楽が殆ど知られていないのが現実。ブラジルならヴィラ・ロボス、アルゼンチンならヒナステラやピアソラ、パラグアイなら『大聖堂』のバリオスといった人達の名前が浮かんでくるが、他に誰か居たかな?という状況は今も昔も殆ど変わっていないように思われる。

そんなベネズエラにあって、自国の音楽を積極的に世界に広めようと尽力しているひとりがピアニストのクララ・ロドリゲス。カラカス生まれで奨学金を得てロンドンの英国王立音楽院に学び、バッハ、モーツァルト、スカルラッティ、ショパン、ドビュッシーなどを得意とする。しかし、彼女がもっとも力を入れているのは南米の魅力的なピアノ曲で、とりわけ母国ベネズエラの作品には深い愛情を注ぎ込んでいる。そんなピアニストの愛が結実した1枚のCDが英国のニンバスレーベル(現在はWyastone Estateが運営)から2010年にリリースされた『ベネズエラ』。あまりにも素晴らしい内容なので “From Venezuela with Love” とタイトルを付け直したいくらい。

♪Clara Rodriguez “VENEZUELA”(NIMBUS ALLIANCE NI 6122)

1) Luisa Elena Paesano “Pajarillo” (joropo) *
2) Evencio Castellanos “Mananina caraquena” (waltz)
3) Federico Vollmer “Jarro mocho” (joropo) *
4) Ramon Delgado Palacios “La Dulzura de tu rostro” (waltz)
5) Luisa Elena Paesano “El porfiao” (joropo)
6) Federico Vollmer “El atravesado” (waltz)
7) Federico Ruiz “Aliseo” (joropo)
8) Maria Luisa Escobar “Noche de luna en Altamira” (waltz) *
9) Federico Ruiz “Zumba que Zumba” (joropo) *
10) Miguel Astor “Adriana” (waltz)
11) Pablo Camacaro “Diversion” (ritmo orquidea)
12) Antonio Lauro “Cancion”
13) Antonio Lauro “Vals criollo”
14) Juan Carlos Nunez “Retrato de Ramon Delgado Paracios” (waltz)
15) Modesta Bor “Fuga”
16) Modesta Bor “Juangriego” (waltz)
17) Antonio Lauro “Seis por derecho” (joropo)
18) Ricardo Teruel “Destilado de vals”
19) Francisco Delfin Pacheco “El cumaco de San Juan” (merengue)
20) Luis Laguna “Creo que te quiero” (waltz)
21) Pedro Elias Gutierrez “Alma llanera” (joropo)
22) Pablo Camacaro “Don Luis” (merengue)
23) Simon Diaz “Caballo Viejo” (pasaje llanero)
24) Manuel Yanez “Viajera del rio” (waltz) *
25) Heraclio Fernandez “El Diablo suelto” (waltz-joropo)
※ *印はYouTubeで聴取可能。とくに8)と24)はオススメ

都合18名の作曲家による25曲がズラリと並ぶ豪華ラインナップ。「第2の国歌」としてベネズエラ国民に愛される「アルマ・ジャネーラ」や「カバジョ・ビエホ」(シモン・ディアス)、「エル・ディアブロ・スエルト」といったポピュラーヒット曲も入ってはいるが、殆どは知られざる作品。強いて言えば数多くのギター作品を残しているアントニオ・ラウロが比較的知られている人だと思う。ちなみにフェデリコ・ルイスについては、ASVレーベルからクララ自身による作品集が出ている(一時廃盤状態だったが、ニンバスレーベルから再発)。



このように多くの作曲家による作品が並ぶと、総花的で散漫な印象のアルバムになりがち。だが、この作品集はまるでリサイタルを意識したかのような絶妙のプログラミングが施されていて、バラエティ・ショウには終わらない。ラインナップの末尾をじっくり眺めていただければ判るが、基本的にホローポ(joropo)とワルツ(waltz)が交互に並んでいる。ホローポも(ベネズエラの)ワルツも3/4拍子と6/8拍子が同時進行のクロスリズムになっていることが大きな特徴。だが、ホローポを早い3拍子、ワルツをゆったりした3拍子とみなせば、ほぼ同じリズムで緩急が入れ替わっていくことになる。また、情熱的な場面(ホローポ)とロマンティックで優雅な場面(ワルツ)が並ぶことでメリハリが効いたプログラムになる。

プログラムにはときおりメレンゲも混じるが、このリズムは5/8拍子。ただ、この5/8も3/8+(3/8-8/1)でカウントすると変拍子に感じられない(1拍足りない)ワルツになる。クララがホローポとワルツに心血を注いだ作品集ではあるが、同じくらいに愛しているメレンゲも外すことは出来なかったのだと思う。それにしても、ベネズエラの多くの作曲家にとって、ホローポがかくも愛されている音楽だったとは知るよしもなかった。ジャーノス地方で演奏されているホローポはアルパ(またはバンドーラ)、クアトロ、ベース、マラカスに歌が加わった編成が基本。めくるめくポリリズミックなアンサンブルを1台のピアノで表現出来るのはベネズエラ人ならではの血と愛情のなせる技だと思う。

いろいろ能書きを垂れてみたが、難しいことは考えなくてもスカルラッティやショパンのピアノ作品を愛する人ならすんなりと入っていける世界がここにある。民衆音楽の要素を取り入れた音楽が並んでいても、けして「ライト・クラシック」にはならず、また現代の作品が並んでいても「難しい」と感じさせるところがない。まぁ、これはベネズエラに限らず、ラテンアメリカのクラシック音楽作品に共通する面白さではあるのだが。ベネズエラの民衆音楽のみならず、クラシック音楽の魅力もたっぷりと伝えてくれる珠玉の作品集として音楽ファンの方に強くオススメしたい。


Venezuela
Clara Rodriguez
Nimbus Records
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アート・テイタム『スタンダード・セッションズ』/「ラジオの時代」が磨き上げた天賦の才能

2017-05-21 20:27:12 | 地球おんがく一期一会


目が不自由なピアニストとして紹介される事が多いアート・テイタム。生まれつき両目が白内障で全盲に近い状態ではあったが、何度も手術を重ねて片目はかなり見えるようになっていたそうだ。しかし、のちに強盗に襲われてよい方の目を殴られて永久に視力を失ったという。そんなテイタムにとって、1920年代前半に米国で始まったラジオ放送は貴重な音楽情報の収集源だったに違いない。SPレコードからの音源入手には限界があっただろうし、ジャズクラブに通っても当時流行のポピュラー音楽はそんなに聴けなかったはず。

1930年代から1940年代にかけての米国で流行したポピュラー・ヒット・チューンを知ることができるのはテイタムが残した数多くの録音に依るところも大きい。類い希なる記憶力を持ち主だったテイタムは曲を一度聴いただけで覚えてしまうことができた。ラジオを通じて接した音楽はテイタムにとって格好の題材になったはずで、あとは腕によりをかけていかに美味しく仕上げるか。ここがテイタムの演奏を聴く最大の楽しみであり、日頃から指の鍛錬を怠らなかったのは、そんなリスナーの期待に応えるためだったと思われる。タイトルで「ラジオの時代が磨き上げた」と書いたのもそんな想いがあるから。

一方で、ラジオ放送をポピュラリティ獲得に役立てたのがカウント・ベイシー楽団。時は1936年、夜になるとカンザスシティーのラジオ局にダイヤルを合わせる音楽ファンが多かったそうだ。お目当ては当地の番組に出演していたカウント・ベイシー楽団の演奏。ラジオに夢中になったことがある方なら、夜に遠く離れた地域のラジオ局の番組を聴いたという経験があるはず。私自身も、BCLに熱中していた頃、30mくらいのロングワイヤーのアンテナを張って遠くは中東方面のラジオ放送から流れてくる音楽に耳を傾けていたことがあった。また、ごくごく普通のラジオだったが、深夜に突然スウェーデンの国際放送の番組が飛び込んできてビックリしたこともある。

カンザスシティーのラジオ局から深夜に発信されていたカウント・ベイシー楽団の演奏は、夜になると遠くまで電波が届くラジオ放送の特性により幅広い地域で聴かれていた。その後のカウント・ベイシー楽団の成功はラジオ番組に負うところが大きかったに違いない。ちなみに、ベイシー楽団のテーマ曲として名高い「ワン・オクロック・ジャンプ」は、件の深夜番組のエンディングに使われていた曲。カウント・ベイシーのカウント(伯爵)はラジオ番組のアナウンサーが命名したという逸話がある。



♪アート・テイタム『ザ・スタンダード・セッションズ』~1935-1943 Broadcast Transcriptions~(Music & Arts)

1930年代のアート・テイタムの演奏を纏めた作品集も『クラシック・アーリー・ソロズ』の他にいくつか出ている。その中で、私感ながらもっとも充実した演奏を聴くことができるのは『ザ・スタンダード・セッションズ』(CD2枚組)だと思う。1935年12月、1938年8月、1939年8月、1943年にラジオ放送用に録音された演奏を収めたもの。この作品の魅力は、切れ味鋭いテイタムのピアノタッチが聴ける事もさることながら、録音状態が他の同時期のものに比べてよい(聴きやすい)ことも挙げられる。

このアルバムでは、CD2枚(収録時間:合計157分)に65曲が収録されている。1曲当たり演奏時間は殆どの曲が2分半ばで、短いものだと59秒で終わるものまである。こう書くと、いくらSPの3分間が標準の時代とは言え、テイタムの演奏を聴く人は時間が短すぎると思われるかも知れない。しかし、超人的なテクニックを持ち曲の構成力にも長けたテイタムは2分余りですべてを言い切ることができた。むしろ、時間が短いことがより引き締まった濃密な演奏を可能にしたと言える。これぞ3分間芸術の極み。

65曲、どの演奏もそれぞれに聴き所があるのだが、「タイガーラグ」の他に「ザ・マン・アイ・ラブ」、「スターダスト」、「イン・ア・センチメンタル・ムード」、「スウィート・ロレイン」、「ボディ・アンド・ソウル」、「ビギン・ザ・ビギン」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「インディアナ」、「ホワット・イズ・ディス・シング・コールド・ラブ」、「サムボディ・ラブズ・ミー」、「ティー・フォー・トゥ」、「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」といった不滅のスタンダードナンバーを新鮮な感覚で楽しむことができる。

また、全般的にブルース感覚の演奏が多いことも魅力のひとつ。テイタムがどんな人だったかを知るのにもっとも役に立つのは、デューク・エリントン楽団に在籍した事でも名高いレックス・スチュワート著の『ジャズ1930年代』(草思社刊)。その中で、テイタムは実はブルース歌手になりたかったのだというエピソードが紹介されている。「いい声」の持ち主ではなかったようだが、プライベートでときどき歌っていたそうだ。『ジャズ1930年代』はモダンジャズ期より前の時代に活躍したミュージシャンのことを詳しく紹介しているだけでなく、当時のジャズがどのように演奏され、また社会との関わりを持っていたかを知る上でも貴重な名著だと思う。

話をアルバムに戻す。取り上げられている素材は誰もが知っているポピュラー・ヒット・チューン。オリジナル曲が殆どないことがテイタムに関して聞かれる数少ない不満のひとつだが、だからといってテイタムの作曲の才能を疑うのは大きな間違いだと思う。素材こそ自身のものではないかも知れないが、曲を綿密に解釈(といっても瞬時だっただろうけど)した上で、即興演奏により独自の方法で展開・発展させていく手法を作曲と言わずして何と呼べばいいのだろうか。クラシック界の巨匠達も、このテイタム独自の曲へのアプローチ(解釈)が聴きたくてジャズクラブに足を運んだに違いない。

この『スタンダード・セッションズ』が素晴らしいのは、初期の約10年間のテイタムをしっかりと捉えていること。あと、私感ながら、他の作品集に比べるとテイタムが何の迷いもなく確信を持って演奏していることも挙げられる。ラジオ放送に耳を傾ける時間が長かったと思われるテイタムは、おそらく時代の流れにも敏感だったはず。スウィングからバップへとスタイルが変わっていくジャズに対して、自身のスタイルを押し通して行くべきかに対する迷いも多少はあったのではないだろうか。1950年代の演奏ではテイタムの成熟が聴ける反面、どこか焦りのような部分が見え隠れするような印象も受ける。テイタムの人間味を感じる部分と言い換えることも出来そうだが、まだそこまでは1950年代の演奏を聴き込めていない。



♪アート・テイタム『カリフォルニア・メロディーズ』(Memphis Archives)

テイタムの放送用録音をCD化したものとしてもう一つ挙げておきたいのがこの『カリフォルニア・メロディーズ』。1940年の4月から7月にかけて、ロサンゼルスのラジオ局のバラエティ番組の中で取り上げられたテイタムの演奏24曲が収められている。面白いのは、当時のラジオ番組そのままに、アナウンサーの紹介のあとにテイタムが演奏する形でプログラムが進んでいくこと。そんなリラックスしたムードとは裏腹にテイタムは精魂込めて演奏している。これは『スタンダード・セッションズ』も同じ。「ラジオ」に対する特別な想いが込められていると言ったら穿ち過ぎだろうか。

もし、『クラシック・アーリー・ソロズ』の次に何を聴けばいいですか?と問われたら、私は迷わず『ザ・スタンダード・セッションズ』と答える。理由は上で書いたとおり。初期のテイタムのテクニックとアイデアのシャワーをたっぷり浴びてから1950年以降の円熟の時代に入っていくのも悪くないと思うので。

Standard Transcriptions: 1935-43
アート・テイタム
Music & Arts Program
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サルサ&ラテン・ジャズの名ベーシストの死を悼む/サル・クエバスに捧げる3枚

2017-05-18 01:54:26 | 地球おんがく一期一会


サルサやラテン・ジャズシーンで活躍した名ベーシストのひとり、サル・クエバスがひっそりと亡くなった。とくに追っかけたわけではないが、手元にある何枚かのレコードやCDで印象に残るプレーを聴かせてくれた人。ベースプレイヤーはバンドで重要な役割を担っているにも関わらず注目されることは少ない損な役割を演じている人達。ジャコ・パストリアスやマーカス・ミラー、最近の人ならエスペランサ・スポルディングのような人達は例外的な存在と言える。スティングもベーシストだがボーカリストのイメージが強い。

とくにサルサやアフロ/キューバンジャズのようにパーカッションがリズムの中心として活躍するラテン音楽では、ベーシストはさらに地味な役回りを演じているように見える。しかし、ベースラインの美しい音楽に惹かれるという体験を重ねることで、ベースを中心にジャズやラテン音楽を聴くようになってからはすっかり見方が変わってきている。ラテン音楽でノリを決めているのはベースプレイヤー。とくにパーカッションの突出が少ない傾向のある南米大陸の音楽ではそのことを強く感じる。文字通り音楽の基盤を支えつつ、しっかり歌っているのも名ベーシスト。スラップ奏法を取り入れて活躍したサル・クエバスもそんな魅力たっぷりな人だった。

♪レイ・バレット『リカン/ストラクション』(1979年 FANIA)

レイ・バレットはサルサ界のスーパースターのひとりであり、ラテンジャズからフュージョンまで何でもありだったコンガ奏者。『リカン/ストラクション』は、そのレイ・バレットが不慮の手のケガによるブランクから復活を果たした時期に録音した記念すべきアルバム。ここで、スラップ奏法によるベースの威力をいかんなく発揮しているのがサル・クエバスだった。しかし、このコンガを叩く手を再建しているジャケット、眺めれば眺めるほどになかなかシュール。

その他の参加メンバーでは才人オスカル・エルナンデス(ピアノ)、パポ・バスケス(トロンボーン)、後にルベン・ブレイズのバンドでも活躍したラルフ・イリサリー(ティンバレス)らの名前が目を惹く。アダルベルト・サンティアゴの歌をフューチャーしたまさに「黄金期のサルサ」だが、ハードコアなホーンセクションの絡みが魅力のインスト作品でもある。サル・クエバスのソロがたっぷり聴けることでも魅力的なアルバム。フィナーレを飾る「トゥンバオ・アフリカーノ」が一際感動的なトラックだ。



♪ルイス・ペリーコ・オルティス『スーパー・サルサ』(1978年 TOP TEN HITS)

ルイス・ペリーコ・オルティスは私がもっとも愛しているサルサのスター。トランペッターだが、名アレンジャーとして大活躍した人だった。最初に手にしたアルバム『サブローソ』(1982年)ですっかりお気に入りの人となり、輸入レコード店で当時の作品を買い集めた。この人の魅力は何と言っても絶妙のアレンジ。高度な内容を維持しつつ、ポピュラリティーを失わない絶妙なバランス感覚が最大の魅力と言える。難しくなる一歩手前で踏みとどまる際どさがとてもスリリングだったりする。ウェストコーストラテンジャズのニュースター、ポンチョ・サンチェスとこの人が当時の2大アイドルだったことも懐かしい。

ペリーコが1978年にリリースした『スーパー・サルサ』は記念すべき1stアルバムでもある。入手したのはCDで再発されてからだが、クレジットにサル・クエバスの名を見つけた時はとても嬉しかったことを思い出す。ボーカルはラファエル・デ・へスース。ペリーコのトランペットがたっぷり聴けることも魅力だが、ピアニストと連携してベースラインを支えながら歌うサル・クエバスのプレーも素晴らしい。ホーンアンサンブルにストリングスも加えたゴージャスなサウンド。ペリーコの黄金時代がここから始まった事を思うと、感慨もひとしお。



♪ホルヘ・ダルト『アーバン・オアシス』(1985年、コンコード・ピカンテ)

サル・クエバスはフュージョンシーンでも活躍した。そんな1枚がホルヘ・ダルトの『アーバン・オアシス』。ホルヘが率いる「インター・アメリカン・バンド」のメンバーはカルロス・パタート・バルデス(コンガ)、ニッキー・マレーロ(ティンバレス)、アーティ・ウエッブ(フルート)、アデラ・ダルト(ボーカル)、バディ・ウィリアムス(ドラム)にサル・クエバス。ゲストはホセ・マングアル・Jr(ボンゴ)、ジョゼ・ネト(ギター)にアンディ・ゴンサレスとセルジオ・ブランダンの2人のベーシスト。NY在籍のプエルト・リコ・チームとブラジル・チームによるまさにインターアメリカンなバンドになっている。全曲に参加しているアーティ・ウェッブのフルートの素晴らしさも聴き所のひとつになっている。

ここでは、サル・クエバスが7曲中3曲でベースを弾いている。兄のジェリー・ゴンサレスと組んだフォート・アパッチ・バンドでの活躍で名高いアンディ・ゴンサレスは1曲(キラー・ジョー)のみの参加。残りの3曲のブラジリアン・フュージョン作品はブラジル出身のセルジオ・ブランダンの担当。というわけでサル・クエバスがレギュラー扱いなのが不思議な感もあるが、存在感はたっぷり示している。とくに素晴らしいのがナタリー・コールのヒットチューンの「ラ・コスタ」。曲の良さもさることながら、ここでのベースプレーは一際感動的で泣ける。インターアメリカンバンドには欠かせないベーシストだったことは間違いない。

余談ながら、ホルヘ・ダルトはジョージ・ベンソンの『ブリージン』の大ヒットをお膳立てした1人としても名高いアルゼンチン出身のミュージシャン。ティト・プエンテに重用されてアフロ/キューバン・ジャズを演奏したり、片やフローラ・プリム&アイルト・モレイラ夫妻のバンドでブラジル音楽を演奏したりとオールマイティのスーパー・ピアニストにして作編曲者だった。母国ではアストル・ピアソラからの誘いも受けている。そう考えると、この作品をリリースした2年後に39歳で亡くなってしまったことが惜しまれる。ユーチューブに上がっているフォルクローレでお馴染みの『花祭り』(El Humahunaqueno)での壮絶なソロやピアソラ作品等を収めた『ソロ・ピアノ』を聴くと、一連のフュージョン作品では肝心なアルゼンチン成分が抜けていたことが真に惜しまれる。

アーバン・オアシス
ホルヘ・ダルト
ユニバーサル ミュージック クラシック
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ローカル・ジャズ・クラブで出逢った『風とともに去りぬ』/最初に聴くべきアート・テイタム

2017-05-15 22:50:22 | 地球おんがく一期一会


ジャズ史上最高のピアニストとして名高いアート・テイタム。ジャズファンに留まらず、音楽ファンなら誰もが知っている神様のような存在と言えるのだが、果たしてどのくらい真剣に聴かれているのだろうかという想いを禁じ得ない。もし、テイタムが「モダン・ジャズではないから,,,」とか「録音が古いから…」といった理由で敬遠されているとしたらとても残念だと思う。

テイタムのもっとも有名なアルバムは最晩年(1956年)に録音した『アート・テイタム/ベン・ウェブスター・カルテット』で間違いないと思う。「ジャズ本」でも(おそらくモダンジャズから入りやすいという理由で)必ず取り上げられるこの作品を通して、始めてテイタムの演奏に接した人も多いはず。かくいう私もその1人なのだが、果たしてそれが、テイタムの真価を味わうと言う意味で幸福だったのだろうか? テイタムが1930年代から1940年代にかけて録音した諸作品を聴く都度にそんな想いに駆られる。

つい先日、大宮にある「サコズ・バー」で久しぶりにライブ演奏を楽しんだ。大宮は我が家がある上尾から2駅目だからローカル・ジャズ・クラブといえる。東京都心の敷居が高い、もとい高級なジャズクラブとは違い、こじんまりとしたスペースでジャズを楽しめる。出演は中尾剛也(ギター)、生沼邦夫(ベース)、林伸一郎(ドラム)のトリオにボーカリストの古山祐子が加わったカルテット。ギタートリオがバックのジャズボーカルはなかなか珍しいのではないだろうか。



ちなみにギタリストの中尾さんに始めて出逢ったのは、我が家から徒歩5分で這ってでも辿り着ける超ローカルなジャズ・スポットの「エリントン」。かれこれ10年近く前になるだろうか。ピアニスト酒井順子さんとのデュオは件の箱での初ライブ体験だったわけだが、ドアを開けてお店の中に入ったらなんと私が一番乗りのお客さん。正直焦ったが、「3人だからデュオじゃなくてトリオですね。」と冗談が飛ぶ中でライブが始まったのだった。途中からメートルが上がりきった常連の方が乱入したりと散々な状況にもなったが演奏は素晴らしかった。

この日のサコズ・バーに話を戻す。スタンダードナンバーに中尾さんのオリジナル作品を交えながら、ギタートリオをバックに古山さんのボーカルと寛ぎの時間が過ぎていく。ギタリスト氏の明るくて抱擁力のあるキャラクターに依るところ大なのだが、三位一体となったトリオ演奏も悪くない。後半も残りあと数曲というところで耳に馴染みの曲が飛び込んで来た。この曲は何度も聴いているはずなのに思い出せない。遂にラストの「ナイト・アンド・デイ」まで来てしまった。

ライブが終わってから中尾さんとビールを片手に歓談していて、ふと思い出した。そうだ、件の曲はアート・テイタムが好んで取り上げた「風とともに去りぬ」だった。1930年代の曲で、まさかのテイタムでお馴染みの曲だったことが記憶を呼び覚ましこそすれ、曲名までに辿り着くことを妨げていたと気付く。ちなみに、この曲は映画のサウンドトラックで有名な「タラのテーマ」ではなく、文学の方にインスパイアされた歌曲。ヒットチューンにはならなかったが、テイタム他が取り上げたこともありジャズファンにはお馴染みのナンバーになっている。



帰宅して、本当に久しぶりにテイタムの「風とともに去りぬ」を聴いた。『アート・テイタム/ベン・ウェブスター・カルテット』の幕開けもこの曲だ。しかし、何かが違う。ソロでバリバリ弾きまくるテイタムの姿はここになく、印象に残るのはベン・ウェブスターのテンダーネス(優しさ)に溢れたテナー・サックス・ソロ。いみじくも油井正一氏はライナーノーツで「このアルバムは、スローに徹したベン・ウェブスターを収めているところに、絶大な価値がある。」と記している。このことは暗に「アート・テイタムを聴くなら他の作品を薦める。」とも取れる。だが、油井正一は流石というべきか、テイタム目当てにこのレコードを買った人を失望させるようなことは書いていない。

他に聴くべきアルバムがあるということを再認識した上で、私がもっとも愛している『クラシック・アーリー・ソロズ』のCDも聴いた。この作品集は、テイタムが駆け出しのころの1934年から1937年にかけて録音した演奏から20曲(同一曲の別テイクを含む)を厳選したもの。名手ハンク・ジョーンズをして、「ピアニストが3人いるとしか思えない」と言わしめた、テイタムの十八番ともいうべき「タイガー・ラグ」は収録されていない。あえて超有名どころを外した(と思われる)ところに制作者の見識の高さを感じる。テイタムの素晴らしさは超絶テクニックにあるのではなく、超絶テクニックによって表現される楽想の豊かさにあるので。

「ムーン・グロウ」で幕を開ける『クラシック・アーリー・ソロズ』。その目も眩むような超絶技巧を駆使したイントロに聴き手は一瞬たじろいでしまうかも知れない。さて、これからどんな難しい演奏が始まるのだろうかと。しかし、ホンの一瞬、絶妙な間の後でテイタムがにやりと微笑んでみせ、聴き手をハイテンション状態から一気に解放してしまう。テイタムの真髄はこの「ムーングロウ」の演奏に集約されている。「男が女を愛するとき」「ライザ」「スターダスト」「ビューティフル・ラブ」とスタンダードナンバーが続いた後、待望の「風とともに去りぬ」が始まる。やはり、ベン・ウェブスターとの共演盤とは技巧の切れ味も閃きの鋭さもまったく違う。

アート・テイタムは1930年代にデビューを飾ったピアニスト。当時のテイタムの演奏スタイルを野球に例えるなら、剛速球をビシビシ投げ込んで三振の山を気付いた速球派。しかし、球筋は完璧にコントロールされている。アート・テイタムがどんな人だったかは、デューク・エリントン楽団に在籍したレックス・スチュアート著の『ジャズ1930年代』に詳しい。テイタムはピアノを弾いていないときも、彼独自の方法で常に指を動かし続けてトレーニングを怠らなかった努力の人だった。表現したいことが無尽蔵にあったからこそ、徹底的に技巧に磨きを掛けたに違いない。

テイタムに纏わる逸話として、ホロヴィッツ、ラフマニノフ、ルービンシュタインといったクラシック界の巨匠ピアニスト達がその演奏を聴くためにジャズクラブに足を運んだことが挙げられる。このことは、いかにテイタムの技巧が素晴らしかったかを物語る証として受け取られがち。しかし、テクニックに絶対の自信を持つ彼らがわざわざテイタムの演奏を前にして白旗を挙げることはまず考えられない。音楽の中身、すなわち超絶技巧を駆使して表現されるテイタムの豊かな楽想を楽しむために貴重な時間を割いたのではないだろうか。最初にテクニックありきの人ではなかったことは間違いない。

アート・テイタムの演奏でおそらく『アート・テイタム/ベン・ウェブスター・カルテット』の次に聴かれているのは、1950年代前半にパブロに録音された『ソロ・マスター・ピーセズ』。剛速球を見せ球として、変化球もまじえた技巧派へと投球スタイルを変えたテイタムも味わい深い。しかし、テイタムは基本的にSPレコードの「3分間芸術」の時代に腕を磨いた人。これからテイタムを聴いてみたいと思っている方には、まずは、『クラシック・アーリー・ソロズ』に代表される1930年代の演奏に圧倒されることを強くオススメしたい。

クラシック・アーリー・ソロズ(1934-1937)
アート・テイタム
ユニバーサル ミュージック クラシック
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