「熱闘」のあとでひといき

「闘い」に明け暮れているような毎日ですが、面白いスポーツや楽しい音楽の話題でひといき入れてみませんか?

フローラ・プリム『ストーリーズ・トゥ・テル』/終生の「恋人」との幸運なる出逢い

2013-03-20 01:17:23 | 地球おんがく一期一会


ブラジル出身の歌姫、フローラ・プリムは私がほぼリアルタイムで追いかけている大切なミュージシャンのひとり。最初の出逢いがサンタナの『ウェルカム』だから、もう40年も経っていることになる。彼女名義のアルバムはすべて手元にあり、今はひたすら新譜を待つ状態なのだが、とびきりの1枚は最初に手にしたこの『ストーリーズ・トゥ・テル』。とても、幸運な出逢いだった。

(フローラ・プリムは本来フローラ・プリンと呼ぶべきかもしれない。Antonio Carlos Jobimが「アントニオ・カルロス・ジョビン」なのと同じ。でも、我が最愛の人を「プリン」ちゃんと呼ぶのはちょっと忍びないので、ここではプリムとしておこう。)

フローラと初めて「逢った」のは上でも書いたように、ゲスト参加したサンタナの『ウェルカム』だった。地味な役割ながら同じく『不死蝶』にも参加している。また、同じ頃にはチック・コリア&RTF(Return To Forever)のメンバーの一員として来日公演も果たしている。しかしながら、「カモメのRTF」として多くのファンの心を掴んだアルバムを手にすることもなく、その頃はとくに気になる人という訳でもなかった。

しかしながら、ひょんなことから「ぞっこん」になってしまうから面白い。それもサンタナのお陰。当時のサンタナは『不死蝶』をリリースした後、なかなか新しいレコードを出してくれない。欲求不満のような状態に陥っていたときにレコード店で見かけたのが、発売されたばかりの『ストーリーズ・トゥ・テル』だった。もしレコードの帯に「サンタナ」の文字が踊っていなかったら、今もフローラは「RTFに参加した一風変わったヴォーカリスト」のままだったと思う。

ところが、頼みのサンタナは1曲のみの参加で、しかも昔のワイルドなサンタナではなくなっている。当初はなんだかがっかりだなぁという気分でレコードに針を下ろしていた。でも、このアルバムの主役はあくまでもフローラなのだ。初な少年にはちょっと刺激的なジャケットを眺めながら聴いているうちに、いつしかフローラの歌声の虜になっている自分が居たのだった。

このアルバムにはサンタナの他にも個性的なミュージシャン達が名を連ねている。ジョージ・デューク(キーボードとシンセサイザー)、アール・クルー(ギター)、アイルト・モレイラ(フローラの夫君、パーカッション)、キング・エリソン(コンガ)を基軸(?)として、曲ごとに少しずつメンバーが替わる。ところが、クレジットが最高レベルにわかりにくい。「曲Aと曲BにはXとYとZが参加している。ただし、曲BにはYは参加していない...」といった具合。省スペースを目指していたのだろうが、それならば普通に1曲ずつ参加メンバーを表記してくれたほうがよっぽどすっきりする。ちなみに、こんなクレジットを見たのはこのアルバムが最初で最後となった。

肝心なメンバーの話に戻る。ベースはロン・カーターとミロスラフ・ヴィトウスが弾き分ける形。後者にとっては貴重なエレキ・ベース時代の記録とも言える。そういえば、ギターとベースが一体化した文字通りのベースギターを駆使して、『マジカル・シェパード』というアルバムを出したのもこの頃だ。ソロイストはジョージ・デューク(シンセ)やサンタナの他にはラウル・ジ・ソウザ(トロンボーン)とオスカル・カストロ・ネヴェスが主だったところ。

そして収録曲だが、ACジョビン、エドゥ・ロボ、ミルトン・ナシメントといったブラジルの定番作曲家達の作品がある一方で、マッコイ・タイナーやジョージ・デューク、そしてヴィトウスの曲も入っているといった具合。メンバーや曲のことをあれこれ書いているだけでも、とりとめのない作品のように見えてしまう。とても1枚のレコードの中で仲良く同居できるような雰囲気は、文字からは伝わってこない。

ところが、レコードを聴いていると、様々なタイプの曲が一連の流れの中で調和して耳に入ってくるから面白い。そう、この異種混合のブレンド感覚こそがフローラの魅力だということに気づく。中心は10曲中6曲を占めるブラジル人の手になる曲なのだが、そこにヴィトウスが参加したシンセ多用の宇宙志向の曲があり、またそれが絶妙なスパイスにもなっている。最初は馴染めなかったサンタナとヴィトウスとフローラが共演した作品(シルバー・スウォード)も、何度か聴いているうちに味わいが出てくると言った感じ。

しかし、この曲のハイライトはなんと言ってもA面2曲目のジャジーな「サーチ・フォー・ピース」だと思う。マッコイ・タイナーが書いた美しい曲にフローラが詩を付けたしっとり系の感動的なトラック。ここで、アコースティックピアノを弾いているのは意外にもジョージ・デュークで、ソロがまた味わい深い。どうしても甘ったるさを感じさせるシンセのサウンドとのギャップに悩んでしまうくらいだ。名手ロン・カーターのサポートもツボを心得ていて、総合的に見てもフローラのベストではないだろうかという想いが聴く都度に強くなっていく。

フローラの歌の特徴は、6オクターブにも及ぶ音域を駆使した器楽的な唱法。しかし、この「奇声」とも捉えられかねない声こそがフローラの敬遠される要素となったかもしれず、また、フローラ自身の声を痛めることにもなったのではないだろうか。フローラは2001年に俊英ピアニストのクリスチャン・ジェイコブを得てリリースした「パーペチュアル・エモーション」でも「サーチ・フォー・ピース」を録音しているが、デリケートな歌唱の魅力は断然こちらの録音の方が上なのでそんなことを考えてしまう。

フローラが70年代に残したアルバムは全部で9枚ある。ベートーヴェンの交響曲のように9つの性格を持つといってもいいくらいに、どれもが個性がキラキラしていて魅力的だ。しかし、私的ベストはこの『ストーリーズ・トゥ・テル』で次点は最後の『キャリー・オン』になる。いずれにせよ、チック・コリア&RTFに参加したことで知られるヴォーカリストで終わらせてしまうのは惜しい。80年代以降のアイルト・モレイラとタッグを組んだ作品群など充実している。

終生の恋人という私的感情は別にしても、「再評価」があってしかるべきヴォーカリストではないかという想いを捨てきれないでいる。

◆Flora Purim “Stories To Tell’”
1) Stories To Tell (Vitous-Purim-Coppola)
2) Search For Peace (Tyner-Purim)
3) Casa Forte (Edu Lobo)
4) Insensatez (Jobim-De Moraes)
5) Mountain Train (Hood-Purim)
6) To Say Goodbye (Lobo-Hall)
7) Silver Sword (Miroslav Vitous)
8) Vera Cruz (Nascimento-Hall)
9) O Cantador (Filho-Motta)
/ I Just Want To Be Here (Purim-Duke-Errison-Moreira-Vitous)

Flora Purim : Vocal
George Duke : Keyboards & Synthesizers
Larry Dunlop : Piano
Earl Klugh : Guitar
Oscar Castro Neves ; Guitar
Carlos Santana : Guitar
Ernie Hood : Zither
Ron Cartar : Bass
Miroslav Vitous : Bass & Synthsizers
Airto Moreira : Drums & Percussion
King Errisson : Congas
Raul de Souza : Trombone solo
Oscar Brasher : Flugelhorn
George Bohanon : Trombone
Hadley Caliman : Flute, Alto Flute

Recorded at Berkeley CA, May & July 1974
Produced by Orrin Keepnews
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ウェザー・リポート『幻祭夜話』/一番をたくさん針を下ろしたレコード

2013-03-17 01:10:47 | 地球おんがく一期一会


私がジャズを聴き始めた1970年代は音楽ファンにとって特別な時代だったかもしれない。ジャズが電化楽器とロックビートの導入により、なおも現代進行形で変貌し続ける中で、アコースティックジャズの信奉者の戸惑いと拒否反応も蔓延していた。

ハービー・ハンコックの『ヘッドハンターズ』がいわばジャズファンには「踏み絵」のような状態になっていて、「これぞ時代の先端を行くサウンド」(認める派)という意見がある一方で、「エレキやロックなんかジャズとして認められない」(拒絶派)という声の方が大きかったように思う。

「ビフォア・アンド・アフター」ではないが、コルトレーンの死を前後して、世代間で「新しいジャズ」に対する見解が分かれてしまった面があるかもしれない。音楽の善し悪しを判断するのは個人の自由とは言え、今は、そんな論争すら起こらないのがちょっと寂しい気もする。

ただ、上の世代にあたる大人たちが何と言おうと、日常的に否応なし耳に飛び込んでくる音に敏感に反応し、そして親しみを抱いてしまうのが「先入観」を持たない音楽大好き少年の特権。だいいち、「ダメだ、ダメだ」と言われるほど聴きたくなるのが人情というもの。

冒頭で「70年代が特別な時代」と書いたのは、コルトレーンの死から数年しかたっていない時期でモダンジャズの世界がまだ近くにありながらも、ラジオ番組からは「新しいジャズ」がどんどん流れ込んでくるような状況にあったこと。民放FM(といっても当時はFM大阪しかなかったのだが)を一日中付けっぱなしにしていたら、必ず何らかの形でいろんな「ジャズ」を聴くことができた。

そんな中にあって、ウェザー・リポート(WR)の音楽はまだ好意的に受け止められていたように思う。ひとつの理由は『ヘッドハンターズ』に比べると「商業主義」の匂いが薄かったからかもしれない。逆に言えば、そのことゆえにRTF(チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァー)やハンコックに人気面で先行を許したとも言える。デビュー作の『ウェザー・リポート』から『ミステリアス・トラベラー』までの作品群は中身こそ濃いものの、確かに売れる要素は少ないように感じる。

だから、もし私が最初に買ったWRが『幻祭夜話』でなかったら、このグループに対してさほど親しみを持たずに来たかもしれない。あるいは、『ブラック・マーケット』以降の作品だったらどうだろうか。やっぱり『幻祭夜話』みたいには、それこそレコード盤がすり切れるくらいに、いやすり切れてしまうのが怖いのでカセットテープにダビングして何度も聴くといった状態にはなっていないと思う。

とにかく、このレコード(『幻祭夜話』)に最初に針を下ろした時の爽快感が忘れられない。油井正一さんの「かつて天の川を見上げた彼らが、地上に降りてきて踊り出した。」というアルバム評がすべてを物語っている。「天の川」は1stアルバムで展開された(やや難解な)音楽の比喩で、要は頭でっかちな印象を与えたWRが地に足のついた音楽を展開するグループへと変貌を遂げたことをワンセンテンスで見事に言い当てている。

また、『幻祭夜話』はWRがデビュー作以来初めて完全固定メンバーで録音することに「成功」した作品でもある。とくに、ベースとドラムをアルフォンソ・ジョンソンとレオン・チャンスラー(NDUGU)に任せきれたことが大きかった。それまでのWRの作品は、曲ごとにメンバーが入れ替わるような状況。どこか統一感に欠ける印象を抱かせたのもそんなところに原因がありそうだ。(もちろん、それは後で『ミステリアス・トラベラー』以前の作品を聴いて感じたことなのだが。)

このWRの諸作品の中でも屈指の完成度の高さを誇るアルバムの中での白眉は、A面3曲目“Between The Things”(邦題「股間からの光景」)。導入部、主題提示部、主題展開部、中間部を経て主題再現部に入るといった構成の美しさは、ドイツロマン派の大家の作品をも彷彿とさせる風格を感じさせる。音楽の都ウィーンからやってきたザヴィヌルの面目躍如といったところだろうか。もちろん、WRの看板スターであるウェイン・ショーターのソロもふんだんに盛り込まれていることは言うまでもない。

しかし、私的ベストはNDUGUの多彩な技が愉しめる5曲目の「フリージング・ファイア」。ショーターの白熱のソロも強烈な印象を残す。余談ながら、このアルバムを聴いてNDUGUの大ファンになり、クレジットに彼の名があるというだけの理由で買ったレコードも数知れずということになってしまった。ちなみにザヴィヌルは完璧に役割をこなしたベーシストとドラマーの活躍には大満足だったらしい。

ただ、リーダーのけして易しくはない要求に応えなければならなかった二人にとってはどうだったのだろうか。売れっ子でもあったコンビのことだから、もっと自由に楽しく音楽をやりたいと思ったとしても不思議はない。果たして、間もなく二人はWRから離れることになる。NDUGUに関してはサンタナのドラマーになったことも大きかったようだ。アルフォンソもけして後任者のジャコに実力と人気で追い出された訳ではなく、『ブラック・マーケット』の録音が完了しない段階で自ら退団を申し入れている。

(ジャコがアルフォンソの突然の退団でザヴィヌルが困り果てた折りに、「仕方なく採用されたベーシスト」だったということの経緯はビル・ミウコフスキー著『ジャコ・パストリアスの肖像』に詳しい。)

『幻祭夜話』でモデルチェンジを果たしたWRは次作の『ブラック・マーケット』でさらに人気を高め、『ヘビー・ウェザー』で決定打を放つことになる。しかし、油井正一さんの至言を待つまでもなく、改良された1段ロケットがあってこその3段ロケットだ。2段ロケットともども広く愛されて欲しい作品だと思う。

◆Weather Report “Tale Spinnin’”
1) Man In The Green Shirts (Joe Zawinul)
2) Lusitanos (Wayne Shorter)
3) Between The Things (Joe Zawinul)
4) Badia (Joe Zawinul)
5) Freezing Fire (Wayne Shorter)
6) Five Short Stories (Joe Zawinul)

Joe Zawinul : Keyboards & Synthesizers
Wayne Shorter : Soprano & Tenor Sax
Alphonso Johnson : Bass
Leon ‘NDUGU’ Chancler : Drums & Percussion
Alyrio Lima : Percussion

Recorded at January – February at Los Angels, 1975
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もうすぐ「春シーズン」が始まるのだが

2013-03-16 21:08:27 | 関東大学ラグビー・リーグ戦
いよいよ4月からは2013シーズン。関東大学ラグビーのリーグ戦グループ所属校の場合は、YC&ACセブンズ(4/7)、リーグ戦Gセブンズ(4/14?)、東日本大学セブンズ(4/21)を経て春季大会に突入する。先日発表になったNZUとの対戦のためにメンバーとしてセレクトされる選手もいるはず。(3月30日、31日には東京セブンズもある。)

海外に目を向けても、北半球では6カ国対抗が行われており、南半球ではスーパーラグビーが佳境に入っている。とくに後者は世界レベルにチャレンジする日本人選手の登場で、ラグビーファン限定かもしれないが俄然注目度が高まっている。

しかしながら...なのである。日本選手権のあと、日本のラグビーは時計が止まってしまっているような気がしてならない。とくに「選手権」に出場できなかったチームのファンの場合は正月前で早々と。ラグビーファンでもこんな状態なのだから、世間一般で考えれば、スポーツファンの間ですらラグビーは視界から完全に消えてしまっている状態ではないだろうか。

サッカーに目を転じると、欧州での日本人選手の活躍、W杯出場にリーチがかかっている状況の中で先日Jリーグが開幕した。新たに「J3」の創設も具体化したし、「なでしこ」の頑張りで女子サッカーの注目度が上がるなど、年間を通して話題が切れることがない。日本代表に誰が選ばれるのかが街中での話題にもなるくらいに国民的なスポーツとして浸透度が確実に高まっている。

それに引き替え、2019年に日本でラグビーのW杯が開催されることを知っている人はどのくらい居るのだろうか。スポーツファンに限ってみても、認知度はかなり低いのではないだろうか。刻一刻と時計の針は進んでいるのだが、1年前に比べて状況は何も変わっていないし、今のままなら1年後も変わっていないような気がしてならない。残念ながら2019を控えての危機感は狭いラグビー界の中で留まっているようだ。

話が逸れてしまった。春シーズンのお話だった。

◆関東リーグ戦Gセブンズ

セブンズとはいえ、普段見ている1部リーグのチームだけでなく2部リーグのチームもすべて観ることができる楽しみな大会。とくに、「1部チームを喰ってやる」という高いモチベーションのもとに入念な準備をして大会に臨むチームの戦いぶりが注目ポイント。隠れた逸材を発見できるチャンスだし、また、そういった選手達にとっても絶好のアピールの場になっている。

昨シーズンで言えば2部に昇格したばかりの国士舘と國學院が元気のいいところを見せていたことが強く印象に残る。また、上位校の立正大に限らず魅力的なトライゲッターが少なからずいることがわかったりと、「下克上」も含めて見所の多い大会だった。1部のチームでも取り組み姿勢の違いが秋シーズンに反映されたりする部分があり、初期段階でのチーム状態のチェックができるという意味でも興味は尽きることはない。

だが、この大会に関する情報が未だによく伝わってこない。どうやら東日本大学セブンズの1週間前に開催されるらしいのだが、頼みの「関東大学ラグビーフットボール連盟」のHPでもなかなか告知されない。「定時総会終了後、連盟主催のセブンス大会(SEVEN A SIDE)の組み合わせ抽選を行いました。詳細は後日、当ホームページにてご連絡いたします。」とあるが、それも2月23日のことだ。

大会まで1ヶ月を切った状況のなかで、公式発表がなければ各大学だって出したくても情報は流せないはず。せっかく決まっているのだから、まずは開催日と場所を発表して組合せは後日という情報伝達があってしかるべきだと思うのだが。

◆関東大学春季大会

グループ分けで対戦相手が限定されるとはいえ、対抗戦G校との交流試合を観ることができることになり、関東の大学ラグビーファンの楽しみがひとつ増えた。とくに昨年度はAグループでリーグ戦G校が散々な目に遭ったことから、上位4チームはリベンジに燃えてがんばっているはず。

そんな期待を持って試合日程の発表を待っているような状態なのだが、こちらもなかなか公式発表がない。そんな中で、どうやら今季はシステムが変わり、A、B、Cの3グループ(各6チーム)に分かれて総当たり戦になるらしいということが一部の大学が公表している日程から判明する。関東協会のHPでの正式発表がない以上、各大学も大々的には発表ができないわけで、ファンとしてももどかしさを感じざるを得ない。

まぁ日程については1ヶ月以上先のことだからよしとして、一番解せないのはシステムの変更(?)にあたってどのような議論が当事者間でなされたのかがさっぱり伝わってこないことだ。本大会は、確か春にも公式戦を開催することで大学チームのレベルアップを図るということが目的として掲げられていたはず。(結局はジュニア選手権と同じような形に落ち着いたということなのか???)

確かに昨シーズンはAグループでリーグ間の格差がより明確になるなど、問題点は露呈した。でも、だからといって、たった1年で簡単にシステムを変えていいものか。また、変更するにしても、昨シーズンの結果に対してどんな総括がなされた上でのことなのかを明確にしなければならないはず。このまま理由説明なしに決定事項(試合日程)だけ示されても、ファン不在で当事者間だけで勝手に決めているという疑念が残る。

◆2019に向けて不安は高まるばかり

上で挙げたことは些細なことかもしれない。でも、その「些細なこと」も疎かにせずに何とか一人でも多くのファンを獲得することを目指しているのが他のスポーツ界。有力企業の支援体制があることなど恵まれた立場にあり、セブンズの五輪採用や2019年W杯といった強い追い風も吹いているラグビー界のはずなのに...とどうしても考えてしまう。
コメント (5)
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エリック・ドルフィー『ラスト・デイト』/よい音楽は永遠に心の中に残る

2013-03-10 16:47:28 | 地球おんがく一期一会


エリック・ドルフィーが死の直前の1964 年にオランダで録音した『ラスト・デイト』もジャズのレコードをまだ全部で一桁の枚数しか保有していなかった頃に買った貴重なもの。

もちろん、この作品もジャズ史に残る名盤であることは間違いない。サイドメンはすべてオランダ人(ミッシャ・メンゲルベルグとハン・ベニンクは世界的にも有名)で録音場所もアメリカから遠く離れた欧州。さらに、ドルフィーが操る楽器もバス・クラリネットやフルートといったジャズでは主役ではない管楽器。

だから、内容はよくてもジャズを聴き始めた人が10枚目までに選ぶような作品とは思えない。では、なぜ私がこのアルバムを手にしたか?だが、高校時代のジャズ通の友人の影響以外には考えられない。「エリック・ドルフィーも聴くべし。」と勧められたことで、レコード屋に向かったのだった。でも、じゃぁ何を買えばいいのだろうか。

ここでも決定打になったのは「お値段」。クリフォードブラウンと同じで1,300円で売られていたのが、たまたま『ラスト・デイト』だったわけだ。「死を直前にした最後の演奏」という部分が気になったし、ジャケット裏面の油井正一さんの手になるライナーノーツを読んでいたら、聴きたくなってきたということもアシストになってはいるが。

家に帰ってきて早速レコードに針を下ろした時、飛び出してきた聞き慣れないサウンドにまず度肝を抜かれた。それがバスクラリネットのそろ演奏に初めて接した瞬間でもあった。曲はセロニアス・モンクの「エピストロフィー」だが、当時は駆け出しだからまだモンクのことは知らない訳で、何だか面白い音楽を作る人だなぁという印象を持つに至る。もっとも、当時は、クラシック音楽でもありきたりのロマン派の音楽とは決別していて、20世紀から現代音楽へと耳が向いていた時期だったから、面白く聴けた。

A面の2曲目は一転して爽やかなフルートの演奏。秋に聴いたらさらに深く印象に残りそうだなと安心感を持つ。ラストのアルト・サックスの演奏を経て、レコード盤をひっくり返してB面を聴く。ここでもトップバッターはバスクラリネットだ。曲想もA面と似た感じで、残りは再びフルートとアルト・サックス。ここでふと思った。エリック・ドルフィーはなんて律儀は人なんだろうと。楽器の選択に関して平等で偏りがないのだから。

さて、B面の2曲目はこのアルバム中の白眉であるだけでなく、ドルフィはもとよりジャズ・フルートでももっとも美しい演奏と評される「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ」。そんな予備知識は全く持ち合わせない人間にも深い感銘を与える演奏だ。このレコードにしてとってもよかった!と思ったものだ。

でも、実は一番気に入ったのはラストのアルト・サックスで奏でられる「ミス・アン」。頭の中をそれこそグチャグチャにこねくり回してくれそうなフレーズが続くが、それがとても快感だったりするから不思議。そして、曲が終わった後にジャズ史でもミュージシャン自身が語った言葉(録音)では、もっとも有名な言葉が飛び出す。

“When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again.” 高校生でもしっかり聞き取れるくらいの明瞭な言葉により発現で、思わず納得もしたのだった。「確かに音楽は終わったら消えてなくなってしまう。二度と取り戻すことはできない。」と。

「ミス・アン」は今でも私的ベスト10に入っているくらいに愛している曲なので、このレコードもよく聴いた。ドルフィーはもとより、実はヨーロッパ・ジャズとの初めての邂逅であったりするのだが、件の名言も含めて「先入観なし」で楽しめたことがよかったのだと思う。やっぱり、ジャズは人がなんと言おうと自分の耳で感じて納得して聴くものなんだなぁと思ったのも、遡ってみればこのときが最初だったかもしれない。

件の名言に話を戻す。ドルフィーが言うように確かに音は空中に消えてしまう。でも、その後も数え切れないくらいのたくさんの人たちが「録音」のお陰で彼が残した素晴らしい演奏を楽しむことができるわけだ。

だから、ドルフィーの意図したところ(遺志)には反することにはなるが、「けして、そんなことはないんだよ。少なくとも聴く人の心に深く刻まれた感動は永遠に不滅だよ。」と天国に居るドルフィーに言い返すためにこの言葉は存在するのだと勝手に思っている。

今日は本当に久しぶりにレコードを針を下ろしてみた訳だが、上で書いたような思いを新たにすることができた。放送局でのスタジオライブ録音であり、音の録り方も欧州らしい楽器の響きを大切にしたライブな感覚ということもあってか、1974年発売のレコードなのにCDで聴き直してみたいという気持ちには全くならなかった。

理由を明確に述べることはできないのだが、どうもアナログ録音をデジタル化してしまうと、ノイズは除去され音は確かに綺麗になるかもしれないが、楽器の定位感というかリアリティが失われてしまうような気がしてならない。少なくともアナログ録音の前には、音はリスナーの耳に届くまで製作工程を通じて直接的に繋がっていたはず。何でもかんでもリマスターでいいのだろうかと思ったりもするこの頃だ。

◆Eric Dolphy Quatet “The Last Date”

1) Epistrophy (Thelonius Monk)
2) South Street Exit (Eric Dolphy)
3) The Madrig Speaks, The Panther Walks (Eric Dolphy)
4) Hypochiristmutreefuzz (Misha Mengelberg)
5) You Don’t Know What Love Is (Ray/De Paul)
6) Miss Ann (Eric Dolphy)

Eric Dolphy : Flute, Alto Saxophone & Bass Clarinet
Micha Mengelberg : Piano
Jacques Schols : Bass
Han Bennink : Drums

Recorded at Hilversum, Holland, on June 2, 1964
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『クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ』/歌心に充ちた2人による名演集

2013-03-10 03:40:30 | 地球おんがく一期一会


何十年かぶりに不世出の天才トランペッター、クリフォード・ブラウンのレコードを聴いた。レコードジャケットを保護するビニール製のカバーには ”UMEDA OTSUKI”(梅田、大月)のロゴが入っている。『クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ』もジャズに開眼した頃に手にした忘れ得ぬレコードの中の1枚だ。

ちなみに「梅田、大月」とは、阪急電鉄梅田駅の紀伊國屋書店の中にあった「大月楽器店」のこと。ジャズを聴き始めた高校時代、郊外の自宅から大阪市内の学校へは阪急京都線で梅田駅を経由して地下鉄谷町線で通っていた。買えるレコードは月に1枚と決まっていたが、ジャケットを眺めるだけならタダだからということで、帰宅途中にちょっと寄り道をして、大月楽器店でしばしの間ささやかな幸福感に浸っていたのだった。

そのお店には素敵な女性店員の方が居て、ある日「どんなジャズがお好みですか?」と聞かれた。ジャズのことは全然知らないくせに、「やっぱり、ワンホーンのカルテットがいいですね。」と生意気にも答えてしまった。そしたら「私もですよ。」と嬉しいお言葉。せめてたくさんレコードを買うことができたらお姉さんと仲良くなれていたかもしれないなぁなどととりとめのないことも思い出してしまった。

それはさておき、クリフォード・ブラウンのことは、MJQの「ユーロピアン・コンサート」に収録されている「アイ・リメンバー・クリフォード」という作品で知った。テナーサックス奏者のベニー・ゴルソンが亡き親友に捧げたひときわ感動的なトラック。もし、クリフォード自身がこの曲を吹いたらそれこそジャズ史上に残る超名演になっただろうと、絶対にあり得ない妄想に耽ってしまいたくなる。いつかそんな夢を見たような気もする。

しかし、このレコードを手にしたのはとっても切実な理由からだった。1300円で買える廉価盤だったという事実は重い。本当に嬉しくて、なんだか得をしたような気分になったのだ。もちろん、そうでなくても名盤の誉れ高いレコードだから、満足感に浸ることは保証されている。ややメランコリックなオープニングの「デライラ」からラストの明るい希望に満ちた「ホワット・アム・アイ・ヒア・フォー」まで通してよく聴いた。

でも、強いて言えばB面の方に針を下ろすことが多かったように思う。ハイライトは、なんと言ってもクリフォード・ブラウンの最高のソロが聴ける「ジョイ・スプリング」なのだが、私のお好みはそのひとつ前に入っている「ダーフード」。クリフォードの珠玉のプレイもさることながら、曲を簡潔に締めくくるマックス・ローチのドラムソロに痺れた。

クリフォード・ブラウンはジャズ史上最高のトランペッターとして名高い。また、自動車事故によりわずか26歳で亡くなった悲運の人でもある。どんなに素晴らしい演奏に接しても、やっぱりクリフォード・ブラウンにはかなわないなぁと思ってしまうのだが、それは何故だろうか。久しぶりにこの名盤に針を下ろしてみて、ある結論が思い浮かんだ。

クリフォード・ブラウンはトランペッターではなく、トランペットで歌うことができるボーカリストだからではないかということだ。クリフォード・ブラウンの演奏の最大の魅力は、とにかく歌心に溢れていることで、これは他の「トランペッター」の追随を許さないところだと思う。まるで自分の声のように自由にトランペットを扱えることで、「ボーカリスト」になることができるのだ。

実は、このアルバムでドラムを叩いているマックス・ローチも最高に歌える人。美しいトーンが魅力のソロに加え、ホーンプレイヤーとの掛け合いの形になる4小節交換で、その持ち味はいかんなく発揮される。ワードレスではあるが、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチの「歌合戦」を楽しめることがこの作品に華を添えていることになる。

発売当時、廉価盤はシリーズで10枚ほど出ていたはずだが、結局手にしたのは『スタディ・イン・ブラウン』と収録曲がテレビCMに使われたことでもお馴染みの『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』の合計3枚にとどまった。『ウィズ・ストリングス』やサラ・ヴォーンとの共演盤も結局は後年に出たCD10枚組のボックスセット『コンプリート・エマーシー・レコーディングス』で聴くことになる。

件のコンプリートのボックスだが、最初はなかなか馴染めなかった。1曲1曲が独立したSP時代ならいざ知らず、LPという完成された作品として出されたものが解体され、曲は録音順に並び、しかもあるものは失敗セッションの繰り返し。とくに、レコードで持っている3つのアルバムに関する曲の場合はどうしても違和感を感じてしまう。

でも、嬉しい発見もあった。それはダイナ・ワシントンの計り知れない魅力を知ることができたこと。もちろん、サラ・ヴォーンとの共演作だって悪かろうはずがない。そこで、さらに気がついた。クリフォード・ブラウンはヴォーカリストとの相性がとてもよいのではないかということ。手前味噌になってしまうが、クリフォード自身も「ヴォーカリスト」だからそれも当然と言える。

クリフォード・ブラウンが若くして亡くなってしまったことが残念なのは、もちろんもっともっとたくさん名演を残すことができたはずなのにということに尽きる。さらに言えば、ヴォーカリストにとっても『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』のような器楽奏者との共演といったスタイルによる名盤を産み出すチャンスが失われたことも残念だったはず。

本当に久しぶりにレコードを聴いてみて、いろいろなことを想ったり感じたりした。1974年の発売なのでさすがにジャケットには黄ばみや汚れも目立つが、レコードの盤面は今でもピカピカでノイズも殆ど気にならない。仲良く並んで楽しそうに演奏している二人の姿が大写しになったジャケットを眺めていたら、やっぱりレコードは手放すことはできないという気持ちになってしまう。

◆“Clifford Brown and Max Roach”
1) Delila (Victor Yang)
2) Parisian Thoroghfare (Bud Powell)
3) The Blues Walk (Clifford Brown)
4) Daahoud (Clifford Brown)
5) Joy Spring (Clifford Brown)
6) Jordu (Duke Jordan)
7) What Am I Here For (Duke Ellington)

Clifford Brown : Trumpet
Harold Land : Tenor Sax
Richie Powell : Piano
George Morrow : Bass
Max Roach : Drums

Recorded at Los Angels, Augast, 1954, and New York, February, 1955
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