2月恒例のお楽しみイベントとして完全にスケジュールに組み込まれたジオカローレの演奏会。私自身は3度目だが今回が第11回目となる。果たして今年はどんな曲を取り上げてくれるのかと案内が届くのを心待ちにしていた。
今でこそ弦楽四重奏イチバン!なんて言っている私だが、ジオカローレの演奏に出逢うまではクラシック音楽の1ジャンルに過ぎず、特別に関心を持つこともなかった。バルトークもラヴェルもドビッシーも音楽に惹かれたからCDを持っていたようなもの。ハイドンの作品はナクソスの分売CD(コダーイ弦楽四重奏団)で全曲を集めたが、それも「ハイドンの曲はとにかく何でも聴いてみたい。」という気持ちから。魅力的な室内楽作品を多く残したアーノルド・バックス(英国人)も然りで、全作品の中に3曲の弦楽四重奏曲が混じっていたとのが正直なところ。
ちなみに昨年の第10回の演奏会は節目としてシューベルトやベートーヴェンの作品が取り上げられた。しかしながら、後者の「セリオーソ」の位置づけ~中期と後期を繋ぐ過渡的な作品~ということも知らないような弦楽四重奏ファン失格のような状態。やはり避けて通ってきた(わけではないけれど)モーツァルトやベートーヴェンやシューベルトの作品もじっくり聴かなければということで全曲を収めたボックスセットを買い集めたのだった。
上で挙げた3人の作品を聴いてみて、そして改めてハイドンの全作品をじっくり聴いてみて、ようやく弦楽四重奏の歴史をひもとくことができたことに気付く。ディヴェルティメントから着実にステップアップを重ね、後輩のモーツァルトとタッグを組むような形で弦楽四重奏の世界を発展させたのがハイドン。その2人の偉業に載っかるような形で弦楽四重奏の世界をさらにひとつ上の完成形へと導いたのがベートーヴェンであり、新たな音響空間を作り上げようとしたのがシューベルト。だからこそ、バルトークがありショスタコーヴィチもある。
ジオカローレの演奏に触れることがなかったら、弦楽四重奏の真の楽しみを知ることはなかったかも知れないと思うと感慨深いものがあるのだ。
前置きがすっかり長くなってしまった。ジオカローレが第11回演奏会で取り上げるのはメンデルスゾーンの『弦楽四重奏のための4つの小品』、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、そしてグリーグの弦楽四重奏曲ト短調。新たなチャレンジを感じさせる作品が並んでいることに、ジオカローレらしさを感じたのだった。
♪メンデルスゾーン『弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81』
メンデルスゾーンの魅力は何と言っても(けして派手ではないが)鮮やかな色彩感覚。画の才能にも恵まれていた人の作品は音で描く風景画そのものだ。音楽に留まらずあらゆる分野に非凡な才能を示したメンデルスゾーンだが、スポーツファンとしては「運動能力にも優れていた」という点に強く惹かれる。実際、メンデルスゾーンの作品はリズムのキレが抜群で交響曲第4番『イタリア』などは舞曲を思わせるスウィング感が堪らない魅力となっている。
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲を聴いていると、演奏者はさながらスポーツでいい汗を流したかのような感覚を味わいながら演奏しているのではないかと思ったりもする。しかし、ここで聴かれる4つの作品はスポーティな感覚よりも豊かな色彩感覚がいかんなく発揮された方のメンデルスゾーン。これから始まるチャレンジの幕開けに相応しい清涼感のある演奏で楽しめた。
♪ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番ハ短調 Op.110』
常に当局の関心を惹く存在であり、慎重な姿勢で作曲に望まなければならなかった交響曲。その対局を行くが如くの自由な作風がショスタコーヴィチの弦楽四重奏の魅力と言える。ある意味、交響曲では露わに出来ないホンネが吐露されている点で面白い作品も多いのだが他の作品群に比べても注目度が高いとは言い難いのが残念。この日取り上げられた第8番は有名な作品だが、第1番や第2番など初期(といっても中期)にも魅力的な作品が多いのでいずれジオカローレの演奏で聴いてみたいと思う。
さて、ショスタコーヴィチの作品を取り上げるというだけでも「チャレンジ」を感じたのだが、この日の演奏ではもうひとつのサプライズがあった。曲が始まる前に第1バイオリンの辻谷さんと第2バイオリンの野中さんが席を交替したのだ。エマーソン弦楽四重奏団のように曲によって第一と第二の奏者を意図的に入れ替える団体はあるが、ジオカローレももしかしてと思ったり。プログラムの解説の執筆も野中さんだから、相当にこの曲、いやショスタコーヴィチへの想い入れの強さを感じずには居られなかった。実演でも、そのことは十二分に伺われ、一音一音、そして4人が一体となって生み出すサウンドにもそのことはよく現れていたように思う。演奏が終わった瞬間、「ブラヴォー」の声が上がったことでもわかるように、冷徹な中にも熱い響きが一際感動的だった。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を生で聴いてもうひとつ感じたこと。それは、ベートーヴェンの後期の作品の持つ世界の継承だ。ベートーヴェンも第9交響曲を書き終えた後に5曲も弦楽四重奏曲を作曲している。孤高の世界というか、本当に言いたかったことを5つの言葉(作品)に分けて語っているのではと思ったりもする。ショスタコーヴィチの場合は交響曲とバランスを取りながらとベートーヴェンとはスタンスは違っても同じ趣を感じる。このあたりは両者の作品をじっくり聴き込んでいくことで感じ取っていきたいところ。
♪グリーグ『弦楽四重奏曲ト短調 Op.27』
グリーグと言えばピアノ協奏曲や劇音楽『ペール・ギュント』が有名どころ。ピアノの『叙情小曲集』も魅力的な作品だ。しかし、実は弦楽四重奏曲も作曲していることはあまり知られていないのではないだろうか。とにかくこのジャンルは名曲過多であるがゆえに、有名曲がある作曲家ほど取り上げられる機会が少ないように思われる。ピアノ協奏曲とまではいかなくても、オープニングから印象深い旋律が飛び込んでくる。ただ、『ペール・ギュント』のような甘味な旋律が少ないことが取り上げられる機会が少ない理由なのかも知れない。
プログラムの解説で辻谷さんが「休むところがないと感じた。」と書いている。曲想はけっこう変化に富んでいるのに何故という想いでいたのだが、旋律の変化の裏に一貫して流れているものがあることも確か。『ペール・ギュント』にしてもピアノ協奏曲にしても曲を通して(明るい部分でも)感傷的なムードが途切れることはない。それと、弦楽四重奏とは思えない重厚な響きが強く印象に残った。ショスタコーヴィチの曲でも感じたことだが、過去2回と比べても、今回の演奏は全般を通してより4人の絆の深まりがあったように思う。ショスタコーヴィチ以上に多くの「ブラヴォー」の声が上がったことを付け加えておく。
さてさて、鳴り止まない拍手の中でアンコールに選ればれたのは『ペール・ギュント』からの「朝の歌」だった。実はグリーグでも一番好きな曲だったのでこれは嬉しいプレゼント。甘味な中にも感傷をそそるフレーズが頭の中でなり続ける中で、来年のジオカローレはどんな曲を取り上げてくれるのだろうか。進化し続けることを止めないジオカローレの演奏を通じて、私自身の弦楽四重奏への愛着と理解も深まっていく。そのことがこの演奏会の醍醐味であり愉しみであることを改めて実感した。
弦楽四重奏団は地味ではあるが専属の優れたプロ団体が多く、日夜素晴らしい演奏を繰り広げている。しかし、ジオカローレのように真摯かつ意欲的に4人の絆を大切にしながら音楽に取り組んでいるアマチュア団体もある。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のように時間をかけて取り組むことで見えてくるものもあるはず。これからもそのような発見をもたらしてくれるような演奏を聴かせて欲しいと願う。リクエストというわけでもないのだが、27曲の交響曲を残したミャスコフキーは私にとって未知の領域だし、ヤナーチェックの2曲の深い感情表現も魅力的。ボロディンも「ノクターン」で有名な第2番の他にオープニングに相応しそうな隠れ名曲の第1番がある。ヒナステラの第1番はエマーソン・レイク&パーマーを彷彿とさせる元祖プログレッシブロックの世界。そんないろいろな想いと期待を胸に家路についた。
Shostakovich The String Quartets : Emasrson String Quartet | |
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