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冷戦時代に聴いたソ連のジャズ(4)/BCLで世界中の音楽に親しむ

2014-04-12 20:05:52 | 地球おんがく一期一会


ワールドバンドラジオは私のBCLライフ、いや生活自体も変えた。朝は起きてから学校に行くまで、夕方も帰ってきてから寝るまで、ラジオのチューニングダイヤルを4つの短波帯にまたがって上から下へ、下から上へ、そして上から下へとひたすら回し続けた。お陰で何度かダイヤルが空回りするようになってしまい、ラジオがその度に修理工場に入院した。また、自宅周辺に(文字通りの)ロングワイヤのアンテナを張り巡らしたりして、たまたま社宅だったから大目に見てもらえたのかも知れないが、本当にやりたい放題だった。

◆日本短波クラブに入会

ラジオのダイヤルを回していればいろんな放送が聴ける。とはいっても、やはり自分が聴いている放送の電波はどこから飛んで来ているのかなどなど、知りたいことは山ほど出てくる。そこで、BCLとは何たるかを深く知るために、件の新聞記事で紹介されていた日本短波クラブに入会した。会員番号は3267番。ちょうど同じ頃入会したT君という同い年の少年がいて、文通して情報交換したりしていた。ちなみにT君はアマチュア無線用の通信型受信機(トリオの9R59DS)を所有する本格派で、BCLとしてのレベルも高く羨望の的だった。

日本短波クラブは月に1回、会報を発行していた。その内容は、海外放送に関わる最新情報や受信のテクニックの紹介はもちろんのこと、会員が1ヶ月の間に受信した放送の記録を集めて周波数順にリストアップすることに重きをおいていた。後者は会員の報告をもとに構成されているのだが、誰でも受信できるような放送局のものは採用されない。掲載されるのは、受信が難しい放送局や、日本での初受信と言ったような話題性があるものに限られるという暗黙の了解があった。毎月レポートを眺めるだけでも、日本には世界中の至る所から電波が届いていることに驚かされた。と同時に、自分も会報に載るような報告をしてみたいと思うようになった。

こうなると必然的に聴取の対象は、日本語放送などの国際放送よりも、各国の国内向けの放送ということになってくる。いつしか、中南米やアフリカの放送や近隣のアジア地域でも珍しい国からの電波を追い求めるようになっていた。何回かクラブに報告を送って初めて自分の会員番号が会報に載った時はとても嬉しかった。当時、BCLの話題は電気関係の雑誌にも載っていた。たいていの記事は初心者向けなのだが、「電波技術」という雑誌のレポートはひと味違っていた。いつしか「電波技術」にもレポートを送るようになっていたのだが、ある日突然、雑誌社から現金書留が送られてきた。少しテーマ性を持たせた内容のレポートが雑誌の記事になり、その原稿料を頂いたというわけだ。でも、「自分が好きでやっていることをただ書いただけなのに...」という感覚で、なぜお金がもらえたのかが理解できなかった。その後2回ほど500円から700円くらいの受け取ったと記憶している。

◆ベリカード(受信確認証)のこと

BCLを話題にするなら、後に空前のBCLブームをもたらす上で起爆剤になったベリカード(Verification Card:受信確認証)についても触れておかなければならない。前にも書いたように、短波は時間帯によるだけでなく、季節、そして経年でも伝わり方が違うという性質がある。通信衛星を使う必要がない代わりに、電波を送るにあたって絶えず電離層の状態を確認する必要がある。といっても電離層の状態を直接知ることはできないため、その確認は電波の受信状態をモニタリングしながらの間接的な方法になってしまう。したがって、国際放送を行っている放送局にとっては、ターゲットの地域で自分達の送った電波が確実かつクリアに受信できているかが大きな関心事となる。そこで役に立つのがリスナーから送られてくる受信状態に関する技術的な情報(受信報告書)。放送内容に対する意見や感想が関心事の国内放送の局との大きな違いはここにある。

ベリカードは、そういった貴重なレポートを送ってくれた人へのお礼といった形で送られるようになった経緯がある(と記憶)。ひとつ前のブログにも少し紹介したが、ベリカードは綺麗でお国ぶりが反映されたものが多い。ただ、国際放送局もより確実な情報を得る目的で各国にモニターを配置するようになったため、欲しいのは受信報告よりも放送内容に対する意見や感想の方になっていく。サービスの余力がある国際放送局はまだしも、国内放送局の場合は外国から送られてくるベリカードを要求するような受信報告はかえって迷惑だったりする。でも、珍しい放送を受信したことの証が欲しいコアなBCLは、どうしてもベリカード(あるいはベリレター)が欲しい。そこであの手この手のいろんな「テクニック」が開発されることになった。

ベリカードの返送には当然郵送料がかかる。そこでIRC(International Reply Coupon)と呼ばれる返信用の切手と交換できるクーポンを2~3枚同封することが常識となった。また、レポートも放送関係者ではなく、技術に関心を持っている「チーフ・エンジニア」に送る方が喜ばれて効果的というような方法を見つけた人も居た。英語が通じない国も多いので、日本短波クラブではフランス語やスペイン語の受信報告用紙を会員向けに販売していた。中には、ベリカード欲しさにクラブの会報などに載ったレポートを利用して受信報告書を捏造する輩まで現れた。このため、ベリカードを受け取るべき人が受け取れないという事態まで発生し問題になった。

かくいう私も、当初は海外から送られてくるベリカードに魅力を感じたひとりだ。でも、ベリカード熱は割と早く冷めてしまった。受信報告書を書くためには、放送局に受信内容を確実に確認してもらえるような内容を記録しなければならない。ダイヤルを回している間にも、克明にログ(記録)を取る必要があり、さらにその後レポートを仕上がるのに手間がかかる。さらに、BCLに熱中するうちに、別のことへと興味関心が移っていったことも大きい。それは、自由気ままに世界中から届く音楽に耳を傾けるということだった。



◆世界の民俗音楽

私が少年時代に熱中した音楽番組のひとつに小泉文夫さんが案内役を務めた「世界の民俗音楽」があった。小泉さんは日本における民俗音楽研究の第一人者で、自ら録音機材を担いで世界中を回り貴重な音源の収集に奔走した人でもある。BCLをやることにより、興味を持った世界の音楽を毎日聴くことができるのだ。人が未知の音に接したときにとる態度は、「ヘンな音」で興味を持たずに終わってしまうか、「なぜこの音なのか?」が気になって探求するかのどちらか。「世界の民俗音楽」に魅了された少年は、BCLラジオを通じて飛び込んでくる「ヘンな音」の背景には何があるのか?により強い興味を抱くことになる。もっとも、異文化を「エスニック」という言葉で片付けてしまうこと自体が「ヘンなこと」で、立場が変われば欧米の音楽も立派なエスノ音楽なのだが。

◆あるBCL少年の1日

民俗音楽に興味を持ったBCL少年の朝は早い。早朝でまだ近隣諸国が放送を始めていない時間帯はアフリカや南米方面からの電波を捉えるチャンスでもある。トロピカルバンドとも呼ばれた5MHz帯(60メーターバンド)では西アフリカ方面からの安定した電波が届いていた。発展途上国の放送局は概ねニュース以外の時間には音楽を流しているだけの場合が多いが、ここが狙い目なのだ。9MHz帯(31MB)や11MHz帯(25MB)ではブラジルやアルゼンチンと言った南米からの電波が届く。雑音や混信との戦いでもあるのだが、現地から届く歯切れのいいスペイン語やポルトガル語に混じって聞こえる音楽がまた魅力的だった。

学校が終わって帰宅してからまたラジオのスイッチがONになる。夕方から夜にかけては、13MBや16MBの高い周波数では安定して聞こえる欧州方面、60MB(5MHz付近)、49MB(6MHz付近)、31MB、25MBで聞こえる南米方面がターゲット。ちなみに地球の裏側の南米大陸は朝のため、東のブラジル、ウルグアイ、パラグアイから西のチリ、ペルー、エクアドル、コロンビアといった具合に時々刻々と放送が始まる国々からの電波が届く。総じて南米方面の局は出力が小さいため、安定した受信は望めない。しかし、日によっては普段は聞こえない放送も入るので、そんな日はダイヤル回しにも熱が入る。東洋の5音音階の旋律にも通じるところがあるアンデス風味の音楽は格別だ。

夜になると、近隣諸国の放送や海外からのアジアに向けた放送が始まることで、25MBや31MB
は大変な賑わいを見せる。そんな混雑を避ける形で、ターゲットは東南アジア(ベトナム、マレーシアなど)から南アジア(インド、パキスタンなど)のローカル放送に移る。夜も更けてくると、アフガニスタンやソ連の中央アジアからの放送が良好に聞こえてくるようになり、部屋の中は日本とは違ったアジアが満喫できる状態になる。さらに深夜の時間帯には近隣諸国の放送が終わった間隙をつくかたちで欧州やアフリカ方面からの電波が浮き上がってくる。

とにかくラジオのダイヤルを回しているだけで世界を自由に飛び回っているような感覚を味わえることがBCLの醍醐味。そんな毎日を送っているうちに、感覚的に季節や時間帯でどの国からどの周波数帯で電波が届くかがわかるようになっていた。また、ラジオから流れてくる音を聴いて、それがどの地域からのものなのかも掴めるようになっていた。隣国同士でいがみ合ってはいても、両者の音楽が特別違ったものではなく、影響し合っている部分だってある。電波という媒体を通じて自由に地球上を飛び回る音楽が思わぬ形で国際交流、ひいては相互理解を促したことだってあるはず。



◆興味関心は中央アジアからコーカサス地方へ

いろいろな音楽を聴く中で、とくに興味関心を抱くことになったのはソ連の中央アジアからコーカサス地域(シルクロード)の音楽だった。ソ連は広大な国土をカバーするために短波を最大限に活用していた国だった。各地にある送信機からは、中央のモスクワ放送の電波だけでなく、地方局が独自に制作した放送の電波も送られていた。それらの放送は、モスクワからの放送とは違い、ローカルカラーを色濃く反映した音楽を流していてより魅力的だった。

カザフ共和国のアルマアタ(アルマトイ)、キルギス共和国のフルンゼ、タジク共和国のドゥシャンベ、ウズベク共和国のタシュケントからの電波は安定して日本に届いていた。また、襲い時間帯にはコーカサス地方のアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアからも電波が届く。アフガニスタン、トルコやイランも含めた中近東地域からの音楽がとりわけ心に響いたし、昼間から良好に聴くことができたインド、パキスタンの音楽、そしてクウェートからのアラブ音楽も刺激的だった。

◆空前のBCLブームに想うこと

私がBCLを始めたのは1969年だが、それから数年を経た70年代中盤には状況が大きく変わっていた。史上空前とも言われるBCLブームの到来で、電気店にところ狭しと多くのメーカーがこぞって製作したBCL用受信機が並ぶという、今ではとても信じられないことが起こっていた。火付け役は前にも書いたとおりベリカードだった。単刀直入に言うと、「BCLをやってベリカードを集めよう」に集約される。本来のBCLの目的は、興味を持った国の情報収集であったり、語学学習だったり、音楽などの異文化に触れたりすることだった。マニアックだが、珍局を求めてダイヤルを回すというのもありだと思う。でも、ベリカードをもらったら一丁上がりではブームも長続きするはずがない。

せっかくのBCLブームなのに、それがうまく国際交流の促進とか外国人との相互理解という方向に発展していかなかったのが残念に想えてくる。島国で海外を体験する機会が乏しい日本なのだから、電波の力を借りない手はなかった。それはさておき、中近東やコーカサス地方の音楽の楽しみを知ったBCL少年のその後だが、「ブーム」に反比例する形でBCLからは遠ざかっていくことになる。大学生になった頃には、永年の酷使でBCLラジオも瀕死の状態となり手放してしまった。このままBCLから完全に離れていたらソ連のジャズとも出逢うことはなかったわけだ。皮肉にも「ブーム」が去った頃に秋葉原で入手した通信型受信機が新たな路を切り拓くことになった。

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