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フェルメール展(東京都美術館):体幹の強さが求められる場所

これまで私が美術館に対して持っていた「静かで,上品で,知的な方々が集う場所」というイメージは,たった一度の体験によって音を立てて崩れ去った。
肘や肩をぐいぐいと押しつけられ,足を踏まれ,前に動かざるを得ない状況に追い込まれる一方,私のすぐ前で「何があってもこの場所は譲らん!」とばかりに,両足を踏ん張る女性に睨みつけられながら,もの凄い力で観るものを吸引する絵の秘密を探るべく集中力を全開にする,という複雑で過酷な体験は,人間修養という観点からは得難いものだったと言える。

仕事の合間に,ブリューゲルを観ることを目的に訪れたウィーンの美術史美術館で,「絵画芸術」を目にしてから6年。全部で37点(評論家によっては異説あり)と言われるフェルメールの作品のうち7点が,東京に揃う,と聞いては居ても立ってもいられない。
何年もかけて爪に火をともすように貯めたお小遣いを使うのは今だ,とばかりに,仕事の合間を縫って休みを取り,寒風吹き荒ぶ札幌から飛んで来ました上野の森に。

事前に目にしたニュースで「既に50万人を超える人々が訪れた」と知ってはいたが,美術館の規模も分からない状況では,果たしてそれが凄く多いのか,それほどでもないのかの判断は下せない。何か情報はないかとHPを覗いて見ると,そこには「入場待ち時間をお知らせします」なる文字が,すました顔で載っているではないか!

あせって取った飛行機は,金曜日の新千歳空港発7時20分の便。京急から山手線に乗り換えて上野に着いたのが10時過ぎ。当日券売り場に並んで入場券を買い求め,入場待ちの列に並び,そこから更に30分を要して入場したまでは順調,もとい平和であった。冒頭に記したバトルのゴングが鳴り響いたのは,フェルメールの7作品を二つのブースに分けて展示してある2階のフロアに上がった瞬間だった。

「静謐」や「秘めた情熱」,「日常の中の永遠」といった言葉を想起させるフェルメールの作品の特性を,逆説的に際立たせるという意味では良かったのかもしれないが,とにかく,かつて私が経験したことのない熱気と圧力に圧倒された2時間だった。
「小路」を筆頭として,筆致と構図と光のそれぞれに物語を宿したフェルメールの作品群は,どれもじっくりと味わいたい魅力に満ちていたのだが,周期的に発生する津波のように押し寄せてくるフェルメール・マニアの貴婦人と紳士の群をかわす術を持たない私は,前述した複数の課題をこなすべく,繰り返し津波の最後列に並び直すしかなかった。
しかし,私と同様に同じ絵の前で行ったり来たりしている中年紳士の姿を見た刹那に浮かんだ印象は,まるで「小路」の手前で遊んでいるように見える子供みたいだ,ということだった。そこもまた,体力と忍耐力を必要とされることを除けば,「小路」で描かれたデルフトの街並みと同様に,「特別の空間」としか言えない場所になっていたのかもしれない。
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