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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「愛の残像」フィリップガレル

2012-06-29 19:43:52 | 映画(フランス映画 )
映画「愛の残像」を劇場で見た。
フランス映画界の鬼才フィリップガレル監督による2008年の作品だ。

若き写真家と不倫関係にあった女性が精神のバランスを崩して自殺、その後写真家が彼女の残像に悩まされるという話だ。フランス版怪談映画だ。
モノクロの画面とバックに流れるバイオリンの相性がいい。


舞台はパリ
若き写真家である主人公フランソワ(ルイ・ガレル)は、女優の撮影をしていた。
そのうちの一人キャロル(ローラ・スメット)をバルコニーで撮影する。主人公がキャロルの表情を撮り続ける間にふたりはお互いひかれはじめた。
そして激しい恋に落ちる。二人は密会を続けるようになる。
そんな時キャロルの部屋で突然、呼び鈴が鳴り夫が帰ってきた。主人公はあわてて隠れ、キャロルが夫を寝室に迎えいれると急いでその場から逃げ去る。。。。
街角で男友達と偶然に出会った主人公は、キャロルが自宅へ火を放ち、精神病院に入院していることを知らされる。

時間もたち、主人公には若い別の恋人ができていた。後日退院したキャロルとカフェで落ち合った主人公は、他につき合っている人がいることをキャロルに伝える。
キャロルは悲しみを抑えきれず、真夜中一人荒れる。彼女は自殺する。主人公は墓でたたずんだ。
1年後新しい恋人エヴ(クレマンティーヌ・ポワダツ)から妊娠を告げられる主人公だ。とまどう主人公もしばらくすると結婚に同意をするようになる。そんなある日、部屋でフランソワが鏡を覗いていると、そこにキャロルの姿が現れる。。。。


フランス映画らしい簡潔なつくりだ。
ストーリーはどうってことない。普通の恋愛物だ。それが恋人の死とともに若干色彩が変化する。
亡くなった女性が鏡の中に出てくるのだ。そして自分の元へ引きづり込もうとするのである。
怪談に近い様相を呈する。溝口健二監督「雨月物語」を連想するが、あの映画の持つ怪奇的凄味はない。
大きく心を動かされるほどではなくあっさりと映画の終わりを迎える。

途中のストーリーのつなぎに不自然な部分も多く、思ったほどの映画ではなかった。
寝室にいるときに亭主が帰ってきた後の次へのつなぎが変な感じがする。
展開の悪さに眠気すら覚えた。

ただ、映像美ということにかけては凄みを感じた。
撮影者と監督はモノクロ画面を知り尽くしているのであろう。
こうしたらこのように見えるというのを熟知した映像アングルを次から次へと見せる。
光と影のコントラストのさじ加減をよく知っているのである。
主演のローラスメットについても、撮影者にかかってはビックリするような美人に仕立てられる。
その映像の美しさにバイオリンが絡んでくる。伴奏のピアノは静かにバイオリンの音を引き立てる。
常に不安を掻き立てる響きが高らかに鳴り響く。

ローラスメットはジョニーアリディの娘で血統としては申し分ない。
ジョニーアリディは香港映画ジョニートゥ監督の「冷たい雨に撃て約束の銃弾を」で貫禄を見せた。
撮影者の巧みさのせいか、びっくりするような美しい表情を見せたが、残像として浮かび上がった
彼女が若干太めになって平凡に見えてしまうのはどうしてなんだろう。

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シルビアのいる街で 

2012-06-21 05:32:04 | 映画(フランス映画 )
映画「シルビアのいる街」は2007年のスペインのホセ・ルイス・ゲイン監督の作品だ。

フランスのある街を舞台にした。スケッチのような映画だ。
最初から動きは少なく、セリフも少ない。
主人公の一人の青年と彼に追いかけられる女性をカメラが静かに追いかけていく。
雰囲気のある映画だが、起承転結はほとんどない。

主人公の青年(グザヴィエ・ラフィット)がホテルの一室で目を覚ますシーンからスタートする。
地図を片手に街を歩き出した。
2日目、演劇学校の前にあるカフェで、青年はそこにいる女性たちをひとりひとり観察し、ノートにデッサンを描く。やがてガラス越しにひとりの女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)の姿を見つけた青年は、カフェを出て行く彼女の後を追う。後ろから女性に「シルビア」と声をかける青年だが、返事はない。それでも主人公は女性を追う。路面電車に乗り込む姿を見つけ、後を追うが。。。。

舞台はフランスのドイツ国境に近い都市ストラスブールである。
世界史で重要な位置を占めるアルザス地方だ。領土の占有は常にあっちこっちに移って行ったところだ。
古い建物のたたずまいがきれいだ。
比較的新しい車体の路面電車が斜めの線路を走りゆく。何度も何度も出てくる。
その中に端正な顔立ちをした男女がカフェでたたずむ。女性は誰もが美しい。
それを主人公がスケッチしていく。太い鉛筆でスケッチブックに描いていく。
カフェのウェイトレスが給仕している間にテーブルの飲み物をこぼしたりする。
あくまでこの映画の一人称は主人公の青年だ。彼の視線が中心だ。

その後、主人公はある女性に気づく。追いかける主人公と追いかけられる女をひたすら長く追いかける。美しい建物にはさまれた同じ路地裏での2人を撮り続ける。そののち2人は市電に乗る。その中が不思議な空間だ。2人をカメラがとらえる。2人の後ろの車窓のガラスが大きい。徐々に会話を始める。6年前に会ったシルビアさんではありませんかと。。。。

ヒッチコックの名作「めまい」では、依頼主の友人に自分の妻の尾行を頼まれ、主人公がサンフランシスコの街中を追いかけていくシーンがある。追いかけるジェームス・スチュワートと追いかけられる美女キム・ノヴァクの姿が優雅だ。「めまい」では突如としてキムが海に飛び込むシーンで急展開する。
この映画は若干違う。2人は出会うが大きくは映画は動かない。あくまで静かだ。

ここのところ、映画でフランスの街を旅する気分を味わっている。
ル・アーブル、マルセイユ、ストラスブールいずれも生きている間行くことはないかもしれない。
でもそれぞれの映画ではその街の中にいるような錯覚を与えてくれる。
特にこの映画の描写はお見事だ。

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映画「キリマンジャロの雪」

2012-06-13 18:56:40 | 映画(フランス映画 )
映画「キリマンジャロの雪」を知性の殿堂神保町岩波ホールで見た。フランス映画だ。


ヘミングウェイの同名作品と関係ないとは知っていたのであるが、この題名が持つ不思議な魅力に誘われるように劇場に入ってしまった。一つ欠点があって、字幕が非常に読みづらいというか30%程度読めない。マルセイユの港町の日差しが強いせいで白の字幕が見えないせいだけど、いくらなんでもこれはないよ。
配給会社はもう少し観客のこと考えて字幕つくってと言いたい!!

フランスの港町マルセイユの埠頭。主人公ミシェルが労働組合の委員長をしている会社も人員削減を余儀なくされ、労使間の協議で20名の退職者をくじで選ぶことになった。委員長の権限でリストラの対象から外せたにもかかわらず、彼は自分の名前もクジに入れていたのだ。

ミシェルは妻マリ=クレールに、自分がリストラにあったことを告げる。自分を犠牲にした行為が夫らしいと感じた妻はさほど落胆せずに今後も2人で歩んでいこうと考えていた。
その後、ふたりの結婚30周年を祝うパーティーが行われ、リストラされた社員も含めた多くの仲間が招待された。夫婦の長年の夢だった、アフリカ・キリマンジャロへの旅が家族から贈られた。2人と家族は喜びで満ち足りていた。

主人公と妻は、妹夫婦ドゥニーズとラウルらといつものようにカードゲームに興じていたある日の夜、突然マスクをした強盗二人に押し入られる。強盗は金品と共にキリマンジャロ行きのチケットを奪っていった。義妹ドゥニーズは事件をひきずり、日常生活を送れなくなってしまう。弟ラウルはそんな妻を見て、犯人への憎悪が膨らんでいくばかりだった。
数日後、主人公がバスに乗ると、パーティーでプレゼントとして受け取ったコミック本を持っている2人の少年に出くわした。少年を追いかけていくと、主人公の同僚の青年の家であることが判明したが。。。。

このあと、犯人である青年は幼い2人の弟を抱えていることがわかる。普通であれば同情しないが、主人公は徐々にこの2人の少年が気になる。

「ルアーブルの靴磨き」のような人情映画を期待したけれど、ストーリーの設定が相性合わない。
いくらなんでもやりすぎだ。こんなことありえるのかと思ってしまう。

マルセイユは地中海に面する港町だ。映像でわかるが日差しの強い中、オレンジ系の瓦屋根の家がきれいに立ち並ぶ町だ。主人公の生活を通じてマルセイユの庶民の生活が描かれる。そこでは昔ながらの日本の田舎と同じように、家に鍵をかけないでオープンに暮らしているのがわかってくる。明るい町の中でオープンに暮らせば、このくらいのことを考える人もいてもおかしくないのかもしれない。でも今一つ感情流入ができなかったなあ。。。
最近の2作を見て、フランスの地方の町って日本以上に義理人情に満ちあふれている世界なのかと感じたけど。本当にそうなのかなあ?
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まぼろし  シャーロット・ランプリング

2012-05-28 05:30:05 | 映画(フランス映画 )
映画「まぼろし」はイギリスの名優シャーロット・ランプリング主演2001年のシリアスドラマ
現代フランス映画の若き名匠フランソワ・オゾン監督の作品はブログで取り上げてきた。器用にもフランス語も巧みに話すシャーロットと監督の相性は抜群にいい。
夫が突然行方不明になった一人の女性の喪失感と、不在になった夫の幻影と言い寄ってくる男性の現実に彷徨う姿を描いている。


舞台はフランスだ。
南西部のリゾート地にある別荘に向かった主人公(シャーロット・ランプリング)は夫と2人で25年にも及ぶ夫婦生活をしていた。海辺に出てたたずんでいた時、ふと気がつくと夫がいない。探し回るがいない。あわてて海辺のレスキュー隊に捜索を頼むが、ヘリを使って捜索しても見つからなかった。
一人暮らしをするようになった彼女は大学で英文学を教えていた。彼女の気を紛らせるために友人たちが、彼女に男性を紹介しようとしたが、気乗りしない。彼女は家では夫の幻影と話をしていたのであった。前のように夫の面倒を見て、彼に洋服を買ってあげようとしていたのであった。
友人たちの紹介する男性の中で、一人主人公に強い好意を寄せる男性がいた。送る途中突発的に唇を奪われたが、彼女は避ける。謝る男性はあきらめず、彼女に接近していく。主人公もそのまま彼と会うようになってきたとき、家に警察から留守番電話が入っていた。夫らしき死体が発見されたという知らせだが。。。。

フランス映画らしく色彩が若干淡く映し出される。この辺りは原色を多く使うアメリカンラブストーリーの鮮明な美術とは違う。フランソワオゾン監督の作品は、「リッキー」「スイミングプール」「8人の女たち」それぞれ全く違うストーリーなのに流れている基調がいつも同じである。不思議だ。ストーリーの起承転結がはっきり分かれているので、わかりやすい。ゲイだと公言している彼が女性映画をとると天下一品なのはどうしてなのであろう。

自分が年をとったせいか、50代の女性を主人公としたこの映画にすんなりなじむようになってきた。この映画にシャーロット・ランプリングはまさに適役である。この映画で彼女は脱いでいる。この時55歳の彼女のヌードというと無理がある気がするが、50代の大人の恋話には必須の場面なのかもしれない。

長い彼女のキャリアで一番印象深いのはポールニューマン主演「評決」での謎の女の役である。

まだ若き彼女にポールニューマンがハマっていく姿が印象深い。インテリな雰囲気を醸し出している彼女が美しかった。その彼女が同じフランソワーズオゾン監督「スイミング・プール」で売れっ子作家の役をやった時同一人物には見えなかった。しかも彼女が最後脱ぐシーンを見て驚いた。「まぼろし」も大学教授の役だ。インテリ女性がセクシャルな違った一面を出すというパターンがうまい。


先日マーガレットサッチャーの伝記的映画を見た。あの映画で認知症になっているサッチャーが亡くなった夫の幻影と毎日会話をする場面がある。この映画も同様のパターンだ。この映画の主人公はけっしてボケているわけではない。25年連れ添って毎日会話をしていたのが突然いなくなった。それでもデイリーの動きは変わらないのである。ましてや子供がいない設定だ。こんな感じになるのは決して不自然ではないのかもしれない。

もう一つ印象的なシーンは、行方不明の夫の老いた母親と会話する場面だ。二人の会話で、生んだ自分の方が連れ添った妻よりも彼のことをよく知っているんだと言い張る場面がある。当然妻は長く連れ添った自分方が関係が深いと主張している。日本フランス世界どこへ行ってもこういう関係はどこも同じだなあと思った。

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引き裂かれた女  リュディヴィーヌ・サニエ

2012-03-24 20:24:35 | 映画(フランス映画 )
「引き裂かれた女」はアメリカで実際に起きた事件を元に描くフランス映画。監督はヌーヴェル・ヴァーグの巨匠のクロード・シャブロルだ。初老の男と若者が若い美女をめぐって取り合いをする設定はよくあるパターンだ。今回は主役リュディヴィーヌ・サニエが美しい。


高名な作家シャルル(フランソワ・ベルレアン)はTV局のお天気キャスター・ガブリエル(リュディヴィーヌ・サニエ)と出会う。それまで作家は子供こそいないが妻と幸せな生活を送っていた。同時に担当の女性編集者とも微妙な関係を持っていた。その編集者にTV出演と書店でのサイン会を頼まれたのだ。
インタビュー後に開かれた関係者のパーティーで、シャルルは若いガブリエルに見とれる。一方で若い男ポール(ブノワ・マジメル)はTV局の入口でガブリエルを待ち伏せし食事に誘う。父の遺産を相続したポールは仕事もせず、毎日ブラブラしていた。ポールはシャルルが書いた記事に不満を抱いていた。ディレクターをはじめ至る所で誘いを受けるガブリエルは無視した。
翌日、書店のサイン会でシャルルとガブリエルは再会する。その書店をガブリエルの母親が経営していたのだ。シャルルはガブリエルをオークション会場に誘う。シャルルはオークション会場で1冊の本を競り落とし、ガブリエルに渡す。帰りにリヨン市内の仕事場に行った2人は順調に愛を育んでいく。でも一方で若い男ポールも彼女を追いかけるのであるが。。。。


クロード・シャブロル作品らしく音楽は極めて少ない。静か過ぎるくらいだ。けだるい感じを醸し出す。時折出る音楽も古いフランス映画に戻ったようだ。色彩設計が若干抑え気味でいいトーンに仕上がっている。素敵な映画を見たという後味が残る。

サスペンスと言う設定なのでいつ肝心な場面がくるのかと、待っていてもなかなか来ない。けだるい恋の話を続けて見る人間をもったいぶらせるようだ。ある意味「ジョーズ」で1時間半近く人食いサメが現れないのと同じようである。このじらしがミソかな?あとは意味不明なラストシーンだ。これって何を暗示するのかなあ。

主役であるリュディヴィーヌ・サニエが魅力をプンプン振りまく。自由奔放な彼女のキャラクターにぴったりの役である。ブロンドヘアが美しく、フランス映画独特の色彩にマッチしている。彼女自体が色彩設計の軸になっている。以前「スイミングプール」に出てきたときには、あばずれな少女を演じピチピチなその豊満なバディにあっと驚いたが、今回は控えめな露出である。そこだけ不満足かな?でも日本で言えば沢尻エリカというべき小悪魔的魅力に普通の男はいかれてしまうだろう。


30くらい違う女性との恋を描くのは渡辺淳一先生の得意技、父親のいない20代の女の子は時折おじさんに狂うことがある。このパターンだろう。この映画では作家役のフランソワ・ベルレアンが妻がありながらも若い女性に狂う男だ。狂いながらも妻には「ジュテーム」と言う。困ったものだ。よくいるスケベオヤジだ。フランソワ・ベルレアンは映画「トランスポーター」の常連で現代フランス映画には欠かせない顔だ。でも今回の彼は役得だなあ。魅力を全身で発散するリュディヴィーヌ・サニエと何度もキスをする。うらやましくなってしまうくらいだ。
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悪の華 クロード・シャブロル

2012-02-10 05:50:38 | 映画(フランス映画 )
映画「悪の華」はフランス映画の巨匠クロード・シャブロル監督による2003年の作品だ。
2010年に監督が亡くなり、昨年劇場公開された。サスペンスの香りもするが、流れるタッチはいかにも50年代から60年代にかけてのフランス映画のタッチである。


フランス・ボルドーの豪華な屋敷が映し出される。
止まっている車が古い。回想シーンのようだ。邸宅の中をぐるりとカメラが徘徊し、部屋のベッドの横で殺されている男が映し出されるシーンでスタートする。
現代フランスにカメラがチェンジする。3年ぶりにアメリカから息子のフランソワが帰国する。空港に車で迎えるのは父親ジェラールだ。薬品関係の仕事をしている。車は優雅な邸宅に戻り、彼の帰国を喜ぶ義妹のミシェルと叔母リンがいた。義母アンナは市長選挙に出馬し多忙な日々を過ごしていた。
そんな時アンナの元に一枚の中傷ビラが送られてくる。このビラでは、家族の裏側に隠されていた陰部が暴かれていた。昔その家であった殺人事件の話の書いてあった。しかし、それにもめげず選挙活動に励む義母だ。フランソワとミシェルは再会を喜び、2人は海辺の別荘へと遊びに出るのであるが。。。。


男女関係がハチャメチャである。これはフランス映画にはありがちな設定である。
夫婦でありながら、お互い勝手なことをしている。
横溝正史の小説を思わせるような展開で、近親相姦も含めて何でもありだ。クロード・シャブロル監督はヌーヴェルヴァーグの巨匠の一人で、もともとは「カイエ・デュ・シネマ」の評論家であった。
画像はカラーだが、鮮明な色を使っていない。わざとだろう。インテリアもあっさり目だ。音楽もどんくさい。一体どうしたの?といった感じだ。70年代くらいにまでタイムスリップしている感覚である。そういうところがいいと思しき人もいるだろう。
個人的には、昔ながらの邸宅のたたずまいや別荘地での映像コンテでいくつかのショットにはしびれるものはあった。

ただ、宣伝文句ではヒッチコックを意識させる画像と聞いていたのでかなり期待したが「あれ!」という感じだった。サスペンス性に期待するとがっかりするであろう。
どちらかというと、一時代前の「知識人」向けの映画といった印象だ。
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しあわせの雨傘  カトリーヌドヌーヴ

2011-09-25 12:48:07 | 映画(フランス映画 )
「しあわせの雨傘」はカトリーヌドヌーヴがフランスの若手名匠フランソワ・オゾン監督と組んだ新作だ。コメディと一言で片づけるのはどうかと思う。今のカトリーヌドヌーヴの存在感が強い映画である。夫が病気に倒れ、有閑マダムが会社の経営を任されるという話だ。その会社が傘会社ということもあり、「シェルブールの雨傘」のオマージュと思わせる色彩設計である。登場人物も個性派ぞろい。飽きさせずに100分間楽しまさせてくれる。


時代設定は1977年、主人公スザンヌ・ピュジョルことカトリーヌ・ドヌーヴは、優雅で退屈な毎日を送る有閑マダムだ。ジャージ姿で豪邸のまわりをジョギングするのが日課だ。結婚30年になる夫は雨傘工場の経営者で、妻には仕事も家事もやるなと命令する典型的な亭主関白だ。娘は、家を顧みない夫との関係がうまくいかない。一方、息子は芸術家志望で工場を継ぐことには全く興味がない。


そんな中、雨傘工場はストライキに揺れていた。労働組合の要求を断固拒否した夫は社長室に監禁される。妻は昔からの知り合いの市長に力を貸してくれと頼みに行く。市長は共産党系だ。今でも彼女のことが忘れられない市長の尽力で夫は解放される。ところが、ストのショックで心臓発作を起こし倒れてしまう。そんな騒動が起き、ビジネスと無縁のカトリーヌがいつの間にか工場を運営する羽目になる。しかし組合との交渉で、創業者の娘でもある彼女は、父親の代から勤める従業員たちに対して家族のような思いやりを持って接しストは終結してしまう。息子や娘の力も借りながら、思いがけず会社はいい方向に進んでいくのであるが。。。。。

カトリーヌドヌーヴは若き日の美貌の面影は当然残っているが、動きが緩慢で多少ふくよかになった。そのせいか、コメディタッチが似合う女優になった。動きが妙におもしろいと思ってしまう場面が多い。60年代の彼女には考えられない。2つ違いの吉永小百合がいまだに美しい体型を維持して二の線から変わらないのとは対照的だ。
そんな彼女が突如として社長になってしまう。そのあとのストーリーはあんまり不自然と感じない展開だったので飽きずに見ていられた。70年代後半はディスコブームの時代で、カトリーヌが昔軽い関係のあった市長とディスコで踊る場面がある。それはそれで見ていて楽しい。


ミッテラン大統領となるのは81年だが、その前もフランスは左翼思想が強い国であった。組合問題をストーリーに組み込むのは不自然ではない。組合問題を話し合いで解決するというオチを作るだけでなく、その雨傘会社に芸術家希望の息子ともどもデザインの概念を持ち込む設定はフランス映画らしくていい。彼女の代表作「シェルブールの雨傘」の色彩感覚は実に鮮やかであった。この映画も原色の雨傘でうまく色鮮やかに化粧されている。これ自体もけっして大胆ではない。現代アメリカラブコメの色彩感覚より若干抑えられている印象がある。そんな美術設計や現代フランスのセンスある色彩感覚も楽しめるのでいい感じだ。


それにしてもフランソワオゾン監督の映画ってたのしいなあ。ついこの間も「リッキー」で思いっきり楽しまさせてくれたけど、この映画もいい。でもカトリーヌには相当気を使っている。最後のカトリーヌドヌーヴの歌をもってくるあたりのやり方は、60年代のスター歌謡映画のタッチでこれはこれで笑えた。
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すべては彼女のために(ラスト3デイズ)  ダイアンクルーガー

2011-08-31 16:44:15 | 映画(フランス映画 )
「すべては彼女のために」(pour elle)はフランスのサスペンス映画だ。ラッセルクロウ主演でアメリカ版がリメイクされ公開される。無実の罪で投獄された妻と、彼女を救うために全力を尽くす教師の姿を描く。タランティーノ作品でその美貌ぶりが注目を集めたダイアンクルーガーが悲劇のヒロインとなる。短い時間にうまく編集された映画でスリリングだ。



パリが舞台だ。国語教師である夫ヴィンセントランドンと妻ことダイアンクルーガーは、まだ赤ちゃんの息子オスカルと共に幸せな生活を送っていた。そんなある日、自分の衣服に血が付いていることにダイアンが気づく。気がついた瞬間、警察が突如として家に押し入り、ダイアンが上司を殺した容疑で逮捕される。なんでと驚く夫と泣きじゃくる赤ちゃんだった。
妻の無実を晴らすため、夫はいろいろと手を尽くしたが、状況証拠は妻が有罪と判断されるようなものしかなかった。やがて三年の時が経ち、ダイアンに二十年の禁固刑が宣告されてしまう。無実の罪を必死に主張するダイアンの元を何度も夫が面会に訪れる。しかも、幼い息子は母親にはなつかない。ダイアンは次第に衰弱し、精神も不安定になっていく。面会しても錯乱する。一方で夫はあきらめなかったが。。。。


先入観なく映画をみた。いきなり警察が入ってきてとらえられた時には、一瞬夫が何かやったのかと思うような場面だった。その後妻がつかまえられていく。真実を探るために夫が証拠探しに動くと思われたが、どうやっても無実が晴れる訳ではない。しかも、何をやってもうまくいかない。八方塞がりのような状態だ。でも男は周到に作戦を立てていく。部屋に写真を貼りながら、地道に計画を立てる。ビジネスプランを立てるような感じで興味深かった。


そこからの展開はハラハラドキドキの続く展開であった。余計な説明はつけずに、実行する男の姿を追っていく。リュックベッソンがいい例だが、フランス人は意外に短気なのか凡長な映画はすくない。映画としては簡潔にうまくまとまっていると思う。ダイアンクルーガーの美貌ぶりはここでも光る。共演者がうらやましい。
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リッキー フランソワ・オゾン

2011-08-02 05:52:56 | 映画(フランス映画 )
リッキーはフランスの巨匠「スウィミングプール」や「8人の女たち」のフランソワ・オゾン監督による奇妙な赤ちゃんの映画だ。

シングルマザーの工場で働く女性に、移民の恋人ができる。二人は急速に魅かれ赤ちゃんが生まれる。その赤ちゃんが普通ではなかったという話だ。途中まで普通のフランス人女性が主演の普通の話であった。途中でアッと言わせる。その展開がおもしろい。観客を飽きさせずに1時間半突っ走る。

舞台はフランス、シングルマザーのカティことアレクサンドラ・ラミーは、7歳の娘ことメリュジーヌ・マヤンスと2人で郊外の団地に暮らしている。主人公は毎朝バイクで娘を学校へ送ったあと工場で流れ作業をする日々を送っていた。ある日、主人公はスペイン人の新入り工員パコことセルジ・ロペスと恋に落ちる。パコは、カティの家に同居するようになる。

母親と2人きりで暮らしてきた娘は反発するような態度を取り、家庭内にギクシャクした雰囲気が漂う。そんな中、二人の赤ちゃんが誕生する。娘がリッキーと名付ける。母親がリッキーにつきっきりになってしまい、娘は寂しい思いをしていた。しかし、仕事に行き詰った男と、育児に追われる主人公は、夫婦喧嘩が絶えないようになる。そんな中主人公は、リッキーの背中に赤いあざを見つける。カティは男が殴ったのではないかと問いただす。否定するが、気がつくと一か所増える。もう一度男を問いただす。疑われたことに傷ついた男は家を出る。その後、幼児ベッドに寝ているリッキーを母娘で見に行くが、、リッキーはベッドにいない。ベッドには血が。男に幼児虐待を受けたのではと一瞬疑うが、なんとリッキーはタンスの上にいた。。。。。


余分な解説がいいづらい映画だ。赤ちゃんのポスターを見て、一体どんな映画かと思っていた。
見て驚いた。ファンタジー的要素がつよい。一瞬ETすら想像した。
奇妙なストーリー考えるものだなあと思いながら、最後まで一気に見た。おもしろかった。

子役がかわいい。リッキーの姉役の女の子が特にかわいい。将来の大女優だろう。
個人的に赤ちゃん映画が妙に好きなのは何でなんだろう。こうやってみると、男の赤ちゃんもかわいいもんだな。ゲイのフランソワ・オゾンはどういう心境で赤ちゃん映画つくったんだろう?
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地下鉄のザジ ルイマル

2011-04-06 20:13:17 | 映画(フランス映画 )
フランス・ヌーヴェルヴァーグの代表格ルイ・マル監督が『死刑台のエレベーター』、『恋人たち』に続いて撮り上げたのが『地下鉄のザジ』だ。前2作のイメージとは別人のタッチだ。戦前のコメディを意識した早回しやコマ落としなどの、映像トリックをふんだんに使っている。
ルイマルは1人の10歳の少女をパリの街の中に放つ。そして数多くの奇人変人と出くわさせる。カラー作品のこの映画では60年のパリの風景、風俗、ファッションが色つきで楽しめる。コメディ感覚は多少自分の感覚とずれるが、次から次へとパリの街を奥深く見ているのは楽しい。


十歳の少女ザジことカトリーヌ・ドモンジョは母とパリにやってきた。駅では母の弟が待っていた。母の恋人も待っていて、2日後にまた会おうと母はザジを預け恋人と消えてしまった。叔父さんはナイト・クラブの芸人だった。ザジは地下鉄に乗りたかった。でも地下鉄はストライキで動いていなかった。叔父さんの友達で運転手シャルルの車で家に向かった。家では美人の叔母さんが出迎えた。
翌朝もザジは地下鉄の乗り場に行った。門は閉っていた。落胆して泣き出したザジのそばに一人の得体の知れぬ男が近寄った。ザジは男とノミの市に行ったり、レストランに入ったりした。その男は一緒に叔父さんの家に向かう。美しい叔母さんに色目を使って叔父さんにつまみだされた。叔父さんはザジを連れてエッフェル塔に出かけたが。。。。。


このあとザジはパリの街を縦横無尽に走り回る。そして、奇人変人と次から次へと出くわす。
ロケが中心で、街の片隅からセーヌ川のほとり、エッフェル塔まで次から次へと映像が変わっていく。展開は早い。ザジは監督の無理のある指示に答えて、変態と思しき奇人たちと互角の演技をする。常に全力疾走だ。10歳に似あわぬ大人の会話もする。これはすごい。また、エッフェル塔の高所でのロケにも恐れ知らずに立ち向かっていく。エッフェル塔の非常階段でのロケは日本では到底無理なシーンだろう。あんな高いところで撮影したらたちまちストップが入るはずだ。見ている自分の方が肝を冷やす。

タッチとしてはチャップリンを思わせる。基本はドタバタコメディだ。最終に向かいその色彩をより強くする。ハチャメチャぶりには正直驚かさせる。

パリの映像では車に注目した。いわゆるクラッシックカーと思しき、40年代以前と思われる車が数多く走っていた。意外に思えた。フランスの代表車亀型シトロエンも走っているが、そうは目立たない。80年にパリに行ったことがある。その時は至る所に亀型シトロエンが目立った。もう型が変わりつつあったときだと思う。フランスは一つの車を大事にする傾向があるのであろうか?車ファンにも楽しめる映画だ。
あとはこの観光バスが傑作である。セーヌ川の遊覧船を思わせるそのスタイルが凄い。


余計なことだが、亀型シトロエンは私の大好きな車である。子供のころ、フランス映画で「ファントマ」というのを見た。これが実におもしろかった。ジャンマレー演じる主人公怪盗ファントマが乗っていたのがシトロエンである。追いかける警察を後ろに見ながら、手前のスウィッチを押して空に飛んでいく。ほくそ笑むファントマ。あの雄姿に憧れた。幼稚園から小学校にかけての親友の家にシトロエンがあった。彼の家でシトロエンをいつも舐めるように見ていた。凄いなあと思っていた。父にその話をしたら、その車は彼の家の車じゃないよと言っていた。そもそも普通のアパートに住む彼の家にあるわけないとの話であったが、実のところ彼の親はお偉いさんのお抱え運転手だったようだ。そんな身近にあった車が今でも好きだ。


コメディのセンスは合わないけど、パリの風俗研究家には必須の映画かな?
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死刑台のエレベーター  ジャンヌ・モロー

2010-11-02 21:16:49 | 映画(フランス映画 )
前は映画をみても記録に残していなかった。それが2007年に思い立って、観た映画を記録するようになった。記録を始めてから気が付いてみると1000作目にあたった。
1000作目は記念になるものをと思い、ロードショーを見渡して、これしかないと思ったのが1958年のフランス映画「死刑台のエレベーター」だ。渋谷でひっそりとルイ・マル監督の特集をやっていた。ジャンヌモローにとっても代表作。映画館の暗闇の中に映る夜のジャンヌモローが素敵だ。マイルスデイヴィスのトランペット演奏がクールにしみわたる。



いきなりアップのジャンヌモローが「ジュテーム」を連発するシーンからスタートする。
主人公の技師ことモーリス・ロネと社長夫人ことジャンヌ・モローは不倫の仲だった。邪魔者である社長を殺すことを考えた二人は完全犯罪を計画した。殺害計画実行の日、モーリスはバルコニーからロープをかけて上り、社長室に入り、社長を射殺し、自殺と見せかけるべくその手に拳銃を握らせた。巧みに中から鍵をかけた形にして、モーリスは再び一階下の自分の部屋に降りた。何もなかったように電話交換手とビルの管理人と共に、エレベーターでおり、外に出て自分の車に乗った。しかし、手すりに昇降用のロープを忘れて来たことに気付き、エレベーターに乗った。ところが、ビルの管理人が電源スイッチを切って帰ってしまい、突然エレベーターは止まってしまった。モーリスは脱出せんと試みたが無駄だった。その時ビルの外にあったモーリスの車を花屋の売り子とチンピラ男が盗んでパリ郊外に走り出た。ジャンヌとの約束の時間はどんどん過ぎていった。ジャンヌは手掛かりのあるところをさがしまわったが見つからない。。。。



アップを多用するカメラワークがいい。ジャンヌモローをアンリ・ドカエが手持ちカメラで追いかける。ジャンヌはツンとお澄ましした顔がよく似合う。笑顔が似あわない。そんなクールな表情は夜のムードにぴったりだ。ジャンヌモローが出演しミケランジェロ・アントニオーニが監督した1961年の「夜」という映画がある。マストロヤンニと愛の不毛を描いた映画だ。にこりともしない彼女のクールさが際立っていた。比較すると「死刑台のエレベーター」の方が美しさが際立つ。



そのクールな画面にマイルスデイヴィスのトランペットがからむ。ジャンヌモローがパリの夜を彷徨うシーンにはぴったりだ。映画を見て即興で作曲して、古く憂鬱な建物でムードを出しながら吹いたという。さすがだ。でも正直ちょっと画像に合わないなあと思う曲もあった。
この当時マイルスはジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリージョージョーンズの初期のゴールデンカルテットを組んでいた。恋人ジュリエット・グレコが行っていたこともあり、57年の秋から冬にかけてパリに長期滞在をする。パリにいる現地のメンバーとクラブに出演していたらしい。そんな時飛び込んできた映画音楽の話だ。
車を盗んだ二人がパリ郊外に走る場面では、かなりアップテンポに演奏する。ミュートが冴える夜のムードが基調の曲もいいが、アップテンポもなかなかいい。

現代の映像技術からすると物足りない部分はいくつかある。でも小道具の使い方がうまく、それが最後まで効いている。若干25歳のルイマル監督の英知がみえる傑作だ。これは映画館の暗闇の中で鑑賞してよかった。夜のジャンヌモローは映画館ではえる。1000作記念忘れられなくなった。
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レッド・バルーン  ジュリエット・ビノシュ

2010-06-24 21:32:13 | 映画(フランス映画 )
アルベール・ラモリス監督「赤い風船」にオマージュを捧げた、中国の巨匠侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の「レッド・バルーン」である。パリを舞台にして映像美に重点がおかれた映画だ。



7歳の少年が赤い風船をパリの街角で発見する。風船はふわりと空に浮かび上がった。風にのってパリの街の中を飛んでいく。メトロに乗った少年は、停車駅でさっきの赤い風船を見つける。
少年の母ジュリエット・ビノシュは人形劇の声優。公演を目前に控え、準備に忙殺されている。そのせいか情緒不安定となっている。その息子は、ベビーシッターの中国人・ソンと、パリの街を遊び歩く。ソンは映画を学ぶ大学生。シモンはソンに、別居中の父親や姉のことを話して聞かせる。。。。

静かなピアノとあわせた叙事詩のような映画だ。ある家族の日常を描いているのにすぎないが、ファンタジーを挟み込むことで普通の映画とは違う味わいをだす。パリの街をとらえた映像が素晴らしい。高架線を走るメトロ、カフェ、ジュークボックス、ピンボールマシーン、公園、人形劇……。パリの風景が、侯孝賢という異邦人の眼差しに応えて、新鮮な表情を見せている。

でもちょっと地味すぎるかな?刺激が少なすぎるのもさびしいところだ。
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クリーン マギーチャン

2010-06-11 22:29:32 | 映画(フランス映画 )
マギーチャンは大好きな女優の一人である。
私のブログのプロフィルにある写真を「花様年華」から今のところ変えてはいない。
彼女が2004年にカンヌ映画祭で主演女優賞をとった「clean」は日本未公開で
DVDも観れなかったのは残念であった。昨年ミニシアターで上映の話を偶然FM放送で聞いて、
行こうと思ったらあと2日で終了とのこと。結局DVD発売を待ってようやく観れた。



カナダバンクーバーでロック歌手の彼を再度売り込もうと躍起になっているマギーチャン。
周りはインディレーベルでの復活を果たそうとするが、彼女は不満で意見に隔たりのある中
事件がおきる。なんと彼が薬物中毒で死んでしまったのである。
その時、彼女にも薬物使用の形跡があり収監される。半年留置され、薬物治療のあと
ようやく出て来た時、息子は夫の両親のもと育てられていた。母親が薬物の件で悪者になっていることもあり、彼女は以前住んだことのあるパリに移り住むことになった。
パリでは中華料理店のウェイトレスとして働こうとするが、うまくはいかない。
ジプシーのような生活となり、友人たちのコミュニティの中で立ち直っていこうとするのであるが。。。。。

マギーチャンは英語、仏語、中国語の3国語を器用にあやつる。
英語、仏語がこんなにできるとは知らなかった。どうも小さいころはロンドンにもいたらしい。
マギーチャンには華麗なチャイナドレスの印象が強すぎる。でも普段はほぼスッピンなのは有名である。
割と汚れ役で、こういう雰囲気はそもそも彼女の好きなパターンなのかもしれない。
それにしても冷静に考えてみると、この撮影時点でオリビエ・アサヤス監督とは離婚していたようだ。
よくやるな!?といった印象だ。



ただ映画自体はそんなにすごい映画だとは思わなかった。
ブログでいつも絶賛している撮影のエリック・ゴーシュに関してもここではすごいとは思わなかった。
義理の父親であるニック・ノルティがなかなか味のある演技をしている印象はある。
マギーチャンのファンはとりあえず見ておいたほうがいいだろうといった程度かな?
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夏時間の庭  ジュリエット・ビノシュ

2010-05-30 14:28:46 | 映画(フランス映画 )
パリ郊外の大邸宅で老婦人が亡くなり相続が起きた。その相続人の3人、兄妹弟のふるまいを描く。著名な画家たちの美術品を数多く貯蔵された古い邸宅での3人の姿をじっくり描くフランス映画だ。監督は香港の女優マギーチャンの夫オリビエ・アサヤス、撮影はエリック・ゴーティエで、このブログでも「イントゥザワイルド」「モーターサイクル・ダイアリーズ」の2作の素晴らしい撮影を絶賛した名手である。個人的にジュリエット・ビノシュとの相性がよく観た。地味な作品だが印象に残る。

母親の75歳の誕生日に3人の子供が誕生日祝いに来ている場面からスタートする。パリ郊外にある緑美しい大邸宅である。価値ある美術品がたくさんある家だ。娘のジュリエット・ビノシュは美術学校を卒業した後デザイナーとなり、現在はアメリカに滞在している独身女性、兄シャルル・ベルリングは経済学者となりそのままパリにいる。弟ジェレミー・レニエは経済発展著しい中国に行って、事業をしている。バラバラの家族であるが、母親は長男を呼んで、自分が死ぬときにはおまえが相続をまとめてくれと話をする。



そして母親が死んだ場面に移る。家族の誰もがその家に住むことを望まない。かなりの相続税がかかることがわかり、美術品をオークションにかけたり、オルセー美術館に寄贈することも相談することになる。でもパリに残る長男はさびしそうだ。。。



最後まで大きな起伏はない。相続をめぐって大きな争いが起きるわけではない。
静かにストーリーが流れる。
オルセーにある美術品を実際に使っているとのふれこみであるが、そんなに素晴らしい作品が前面に出ているわけではない。でも映像は非常に上品にまとまっている。
妙に整理整頓が行き届いているわけでなく、どことなく乱雑に小物をちりばめていて、美術担当のセンスのよさを感じる。そこを巧みに名手エリック・ゴーティエが撮影している。取り合わせの良い料理といったところか?

この映画は観る立場によって感じることが異なる気がする。
自分は同じように父母に家のことを託されたことを思い出しつつ、長男としての思いに共感した。品川の家にまだ大量にいろんな雑多なものがある。この映画と違ってオルセーに寄贈するような素晴らしいものは何もない。でも遺品に対する思い入れは強い。
であるから整理されないままになっている。
同じように70くらいの女性が観ると、被相続人である母親に自分の気持ちを照らし合わせるのではなかろうか?老いた母親が3人の子供とのパーティを終え、見送り別れるときのさびしげな後ろ姿が妙に印象に残る。

傑作とは思わない。でも兄弟3人の演技はいずれもよく、脚本もダブりなく表現した簡潔なセリフでいろいろなことを観ている我々に何かを考えさせる作品であった。
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ロルナの祈り  ジャン=ピエールetリュック・ダルデンヌ

2010-05-16 19:53:39 | 映画(フランス映画 )
カンヌ映画祭の常連ジャン=ピエールetリュック・ダルデンヌ兄弟監督の映画
「ロルナの祈り」はヨーロッパ映画独特の不毛のにおいがする。テーマはどす黒い。国籍売買、偽装結婚など隣国中国ではあるが、日本ではないような話を題材とする。共産主義崩壊によって東欧、西欧の双方への人口流入があることで裏取引が蔓延しているどきつい話が基本となる。

アルバニアからベルギーに来ている主人公ロルナことアルタ・ロブロシは、ブローカーの手によってヘロイン中毒の男と偽装結婚してベルギー国籍を得る。男はうだつの上がらない男で、常に身体の不自由を訴え、わがままし放題。それでも彼女への情が移り、更正をしようとする気持ちは持っている。しかし、彼女は彼と離婚して、ベルギーの国籍を売ってロシアの男のもとへ行こうと試みる。ちょっとした狂言ばりに暴力ざたを夫が犯したと台本を考えて、男にもそれに協力するように話をするが。。。。



ショートカットの女性主人公をカメラがひたすら追う。手持ちカメラで臨場感を出し、社会の底辺の人間の卑しい行為を舐めるようなカメラワークで追いかけていく。それにしても下劣である。でも途中から違った心が彼女に生じてくる。あっと驚くラブシーンもある。本気度が強いと思わせるハードさである。明白ではないが、その転換が映画の主題となっていく。

この監督が映画で主人公にする人たちはみな下劣である。今回のユーロ通貨危機で感じることであるが、思っている以上にヨーロッパ諸国がいい加減であることを感じさせる気がする。日本企業は強いユーロを背景に輸出でリーマンショックの前はかなり儲けてきた。それが1ユーロ170円近かったのが今は114円台だ。為替市場からの不信任は彼らの低俗さから来ているというのを、ヨーロッパ系底辺の人物像を描いた映画を観てなおのこと感じる。
ちょっと言い過ぎかもしれないが。。。
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