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映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ナイブズ・アウト」 ダニエル・クレイグ

2020-02-12 17:36:08 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ナイブズ・アウト」を映画館で観てきました。


映画「ナイブズアウト」は007のジェームス・ボンドことダニエル・クレイグが探偵に扮して事件の謎解きをする作品である。亡くなった著名ミステリー作家が自殺なのか他殺なのか、その謎を探るために雇われた探偵が故人に関わる全員の聞き込みをまとめながら真相に迫るというストーリーだ。

スターウォーズのライアンジョンソン監督がアガサクリスティーのミステリーを意識して脚本を書いたという。通常この手のミステリー映画の場合、時代が遡る場合が多い。ここでは現代の設定でインターネットもスマートフォンも存在する。古典ミステリーに範を持ちながら現代のペースでストーリーが進む。娯楽としては一級のミステリーでそれなりに楽しめる。

人気ミステリー作家で財も残しているハーランスロンビー(クリストファー・プラマー)が誕生日を祝うホームパーティの翌朝、屋根裏の自室で亡くなっているのを家政婦フランに発見される。大豪邸にはハーランの老母、不動産会社を経営している長女(ジェイミー・リー・カーティス)夫婦とその放蕩息子ランサム(クリス・エヴァンス)、出版会社を継いだ次男(マイケル・シャノン)夫婦とその息子、化粧品会社を経営している亡くなった長男の嫁(トニ・コレット)と娘メグ(キャサリン・ラングフォード)が暮らしていた。ノドを切っているということで、自殺の線が濃厚であった。


事件から一週間後匿名の依頼主から雇われた私立探偵ブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)が警察とともに遺族からの聞き込みに訪れる。調べていくと、それぞれに事情があるようであった。大豪邸に暮らす人たちとともに、メグの友人でハーランの介護をしている専属看護師マルタ(アナ・デ・アルマス)からも事情を聞くことになった。マルタは亡くなる前夜の深夜にハーランの自室で看護していた。

ハーランの膨大な遺産を誰が引き継ぐのか、遺書が弁護士により開封されることになったが。。。

ハーランの娘婿リチャードには浮気という弱みがあり、出版事業を行う次男ウォルトは信頼がなかった。また、ハーランの長女の息子である孫ランサムはハーランと財産のことでパーティ当日もめて、その場を飛び出しているようだ。そして、長女の未亡人ジョニは学費をハーランだけでなく二重にもらっている形跡がある。警察と探偵ブノワによる個別の事情徴収をしている映像で、ハーランとそれぞれの子どもたちにさまざまな葛藤があることが示される。見ている我々はいずれも何かがあってもおかしくないと感じさせる。


その後で、マルタに事情を聞く。ハーランは自分を看護してくれるマルタを心から可愛がっていた。しかも、マルタにはハーランがなんでもしゃべっているようだ。マルタはウソをつくと、嘔吐する習癖があった。探偵ブノワの前でも体裁をつくって遺族たちをかばおうとしたらゲロを吐いてしまう。

マルタはパーティがあった前夜にハーランの自室である屋根裏部屋に付き添いで行っている。ここでマルタは看護のうっかりミスをしている。それが映像で映される。これが事件のカギになる。でもそのうっかりミスをハーランがかばうのだ。そして周囲に言うもっともらしい言い訳までハーランが考えてくれる。


こうやって証言のカゲで実際はこうなんだという映像が続く。そしてこの後でマルタがますますキーパーソンの度合いを強める。どういうオチにするのかと思いながら、最後まで目を離せない。本当に意外!という展開ではない。ロバート・アルトマンの映画のように登場人物は多い。亡くなるクリストファー・プラマーが人物設定に即した演技を見せる。これがいちばんうまいかな。

容疑者の中では突出して活躍するという人物はいない。あえていえばマルタを演じたアナ・デ・アルマスであろう。母親が不法で入国しているエクアドルからの移民を演じる。アップデートな話題である。社会的マイノリティだっただけでなくあっと驚くようなことがマルタの元に起きる。そんなプロフィルの役をライアンジョンソン監督は現代アメリカの象徴のようにスクリーンに送り出す。アナも実にうまく演じて単なる探偵モノにしない部分を作り出している。

ダニエル・クレイグは探偵らしい探偵にはみえない。それでも探偵が主役だけあって最後はらしくまとめる。
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映画「マザーレス・ブルックリン」 エドワード・ノートン

2020-01-17 18:53:19 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「マザーレス・ブルックリン」を映画館で観てきました。


エドワード・ノートン「ファイト・クラブ」以来相性がいい方だ。監督、脚本、主演というかけ持ちで撮った新作である。障害をもつが記憶力抜群の私立探偵という設定が妙に気になる。私立探偵というと1940年代から50年代にかけてのフィルム・ノワールが連想される。私立探偵の元に謎の美女ファムファタールが依頼しに来てその後事件に巻き込まれるという構図である。今回は私立探偵事務所のボスが殺されたことで動き出すということでは筋は若干違うが事件に絡む美女がいることだけは同じだ。


ジャズの要素が強い音楽のセンスは抜群である。しかも1957年という時代背景もニューヨークの街が古い街並みを残しているだけに的確に捉えている。しかし、原作となった小説の内容を織り込もうとするあまり、話が複雑になりすぎる。出てくる黒人の顔を見分けられないので、どっちがどっちと頭が混乱してしまう。自分の理解度が低いのかもしれないが、途中でどちらが味方がどうか訳がわからなくなる。映像というより言葉での説明口調になっている感じがする。それが難点で、傑作とまではいかないなあ。

ライオネル(エドワードノートン)は私立探偵、障害を持ち頭の中にいるもう1人の自分が突然奇声を発する症状をもつ。ライオネルは6才の時に母と別れ12才まで孤児院にいた。ライオネルを救って面倒をみたのが現在のボスであるフランク(ブルースウィルス)である。そのフランクが突然殺された。


ライオネルは事件の真相を追求するために、寸前までフランクが追っていた女性ローズの身辺を洗おうとする。ローズが住んでいた空き家には移転話が出ていた。ローズは弁護士の資格を持つ。都市計画に反対するグループを支持するようで市の公聴会に向かっていた。ローズを追って会場の中に入り記者を装い立ち聞きする。その会場で罵声をあげていた1人の男ポール(ウィレムデフォー)と知り合う。


男によると、住居移転による都市開発はモーゼス(アレック・ボールドウィン)という男が仕組んでいる。ある意味市長よりも力を持つという。ローズはジャズクラブの店主ビリーの娘であった。ライオネルは店へ行き事件のカギを探ろうとしているうちにクラブの裏に連行されて痛みつけられるのであるが。。。

⒈ジャズクラブ
ローズの父親が経営するジャズクラブの雰囲気がいい。トランペットのリーダーのもとでクインテットが演奏している場面がでる。マイルスデイビスを思わせる。時代設定の1957年はサックスのジョン・コルトレーンと組んでいる50年代の黄金時代だ。パリへ行って「死刑台のエレベーター」の音楽を担当したころでもある。今回はウィントン・マルサリスがトランペットを吹く。当代きってのミュージシャンの参加は強い援軍だ。ただ、いいのはそれだけではない。場面の情感を高める音楽のセンスが抜群で胸に響く。

⒉都市開発
モーゼスのおかげでマンハッタン島に橋が架けられたし、街が出来上がってきたというセリフがある。アレック・ボールドウィンはこういう役をやらせると実にうまい。1500万$の土地を50万$で仕入れて街をつくるというせりふもあるけど、地上げ屋ってそんなもんでしょう。その単体だけで価値がでない土地を商品にする訳ですから致し方ないことだと思う。別に悪いやつではない。


こういう公聴会というのは反対がつきもの。普通だともっと下っ端が出て俗に言う黒幕的な上の人間は出ないと思うけど、それでは映画のストーリーが成立しないからね。
結局直感で解決の糸口が見えてくる。フランクの遺品にもライオネルを意識して残しているものがあった。
奇声の面白さで思わず笑えるのも映画の見どころだけど、ピリッと推理をする探偵ではなかったなあ。

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映画「家族を想うとき」 ケン・ローチ

2020-01-05 18:04:02 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「家族を想うとき」を映画館で観てきました。


じつにやるせない映画だ。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」ケン・ローチ監督の新作である。宅配業や介護に従事する人の労務環境が悪いのは日本同様英国でも同じようだ。一生懸命に働く父母のことを思えば、少しはまともに生活しようとするのが普通であろうが、息子はぐれるし、娘はさみしがる。子供の面倒を見たくても忙しくて時間がないという八方塞がりの姿を描く。

作品情報にあるケンローチの新自由主義に対する批判はずいぶんと稚拙という印象を持った。でも、映画の作り方はうまい。主人公をはじめとした出演者に圧倒的な試練を与える。行き場のない状態に落とし込む脚本の設定が残酷である。それ自体は現実性をもっている。それだけにやるせない気分になる。

英国ニューカッスルに暮らすリッキー・ターナー(クリス・ヒッチェン)は、マイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意する。妻アビー(デビー・ハニーウッド)の車を売り、仕事用の大型車をローンで手に入れ、「ノルマあり」「保証なし」「ペナルティあり」という理不尽で過酷な労働条件の下、家族のために働き続ける。

母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日14時間週6日、働いている。遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが介護先へバスで通うことになった。アビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。

両親の不在により、家族がバラバラになってしまった子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。リッキーがある事件に巻き込まれてしまうのであるが。。。


1.宅配業と労務環境
ネット通販の隆盛は世界中変わらない。英国でも同様で、宅配しているものはネット販売の品物のようだ。宅配時に本人確認のためにIDないしは身分証明書を要求しても素直に提示しない人もいる。宅配先で狂犬にかまれることもある。着ている服装にケチつけられることもある。きっと日本の宅配でも同じような面倒なことは起こっているのであろう。当局の指導で大手運送業は労務環境を改善しているようだが、この映画のように外注の宅配業者というのもいる。


現状、大手会社は労働基準局の査察を異常に気にするようになった。自社の社員について労働時間が三六協定に違反しているかどうかは厳格に査察されるが、外部委託であれば当然管理外である。働き方改革が進めば進むほど、コスト度外視で外部への業務委託が増加せざるをえない現象が散見される。ケン・ローチはどちらかというと経済音痴でコストを考慮して外部委託が増えていると述べるが違うなあ。

主人公の雇い主を悪者にしようとする気配が映画に充満するが、雇い主からすると依頼した仕事を完結するかどうかだけの問題なのだ。自営なら家庭の事情で仕事ができないならそれをなんとしても補う必要がある。仕事が完結できないなら違約としてのペナルティがあるのは当然である。

2.介護
宅配業と介護福祉士とはずいぶんとやっかいな設定にしたものだ。妻は真面目な介護士である。家族で団らんの時を過ごしているときでも、面倒見ている人から困っているという知らせが入るとすぐに駆けつける。だからといってエクストラの残業代はもらっている気配はない。これこそサービス残業である。


3.子供の呼び出し
脚本の設定だから仕方ないとは思うけど、この息子も困ったものだ。両親が生計を立てるために懸命に働いているのに、知ったこっちゃないといった感じだ。校内でけんかして相手をけがさせたのか、このままだと起訴するぞと学校から脅され呼び出しをくらう。両親ともに時間がないのに迎えに行くため無理やり時間を作る。仕事にもしわ寄せが来る。一難去ってまた一難で次は万引きで呼び出しだ。そんな状態なのに親からの説教に対しても、息子は手元で携帯をいじくっている始末、最悪だ。


こんなに大変なら仕事やめてしまったらどうかと思うが、そうはいかないのであろう。夫には両腕にタトゥがある。それなりの人生を歩んできたと考えてもおかしくない。この映画を観て、日本はまだ弱者救済の観点ではましな方だという感を持った。安倍晋三総理は最近批判されるけど、どちらかというと、右翼ずらのふりをして、やっていることは金持ちイジメで中国よりも社会主義者的な政策ばかりだから。
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映画「ブラック・クランズマン」 スパイク・リー

2019-11-06 09:16:04 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ブラック・クランズマン」は2019年公開のスパイク・リー監督作品


2018年アカデミー賞脚色賞受賞作品だ。でもスパイク・リーの作品にはどうもなじめない部分もある。気にはなったが時間調整できず後回しになり、DVDスルーとなった。でも観てみたら実に面白い映画であった。デンゼルワシントンの息子ジョン・デヴィッド・ワシントン「パターソン」のひょうひょうとしたバス運転手役が良かったアダム・ドライバーとのコンビが絶妙で、70年代のソウルフルな独特のムードに気分は高揚する。

コロラド州コロラドスプリングスの警察署で、初の黒人刑事として採用されたロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、新聞でKKK(クー・クラックス・クラン)のメンバー募集の広告に目を留める。その番号に電話をかけ、白人のふりをして人種差別発言を繰り返し、面接の約束を取り付ける。


同じ部署の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)がロンのふりをして面接に向かう。2人は電話と対面を分担し、一役を演じながら潜入捜査を進めていくが。。。(作品情報より)

1.ブラックパワー炸裂
黒人大学生が参加する集会に主人公のロン警察官が行く場面がある。黒人の政治団体集会で熱く語るクワメ・トゥーレという黒人指導者のスピーチが強烈だ。でも、その集団は黒人嫌いの白人警察官にボロクソにやられる。拘束される。ロンは大学黒人学生組合の会長の女性パトリス・デュマスと仲良くなり、食事をする仲になる。ただ、パトリスは黒人を虫けらのように扱う警察官に対する印象が悪く、ロンは自分で警察官といえない。そんな中話は進んでいく。


この映画はオタクっぽい雰囲気もある。「黒いジャガー」「スーパーフライ」のどっちが好きなんて、画面分割の映像で両方のジャケットを見せる。ロンと彼女が探偵かポリスかと言って選択する場面が好きだ。いずれも70年代前半の映画で、テーマソングはヒットする。スーパーフライは中学生の自分にはあまり面白くなかったけどね。


2.白人至上主義団体
ドナルドトランプ大統領は白人がマイノリティーになってしまうことを恐れるアメリカ人の圧倒的な支持を受けている。2040年代には白人が全米人口の50%を切るというデータもある。日本でいえば、右翼のようなものだが、KKK という白人至上主義組織があるという。トランプ政権が主張する流れに対して、こういった主題を取り上げるのはタイムリーである。


主人公はなりたくて警察官になったが、世間では黒人警察官は少ない。いきなり雑用係をやらせられ、イヤなので潜伏捜査をやると志願する。まずは黒人の政治集会に潜入して周囲の信頼を得る。そのあとKKK が募集をやっているとことに気づき、白人のふりをして黒人の悪口を言いまくって受け入れられる。ただ、黒人の立場で行くわけにはいかない。先輩の白人警察官に代わって行ってもらう。電話の時だけ本人だ。

ここでの白人警察官にユダヤ人じゃないかという疑いを持つ組織員がいる。この白人至上主義団体はユダヤ人も嫌いだ。「パターソン」で演じたマイペースなバス運転手の時と同じように、白人至上主義団体での潜入を飄々とかわしていくアダムドライバーの動きがいい感じだ。もちろん疑いを寄せるKKKの迫害主義者も好演、典型的な有色人種嫌いをうまく映し出し、対象感をだす。
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映画「荒野にて」

2019-11-04 07:36:10 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「荒野にて」は2019年公開の作品


「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督による天涯孤独となった15才の少年が処分が決まった馬とともに荒野をさすらう話である。いかにも米国らしい荒野の風景だ。住んでいるポートランドからワイオミングに向けてのロードムービーとも言える。

チャーリー(チャーリー・プラマー)は赤ん坊の頃に母親が家を出て行ってから、教養も経済力もないが愛情深い父親(トラヴィス・フィメル)と2人で暮らしている。15歳になり、父親の仕事の都合で、誰も知り合いのいないポートランドに越してきたチャーリーは、家計を助けるために、近所の厩舎のオーナー(スティーヴ・ブシェミ)を手伝い始める。父親が突然亡くなり、天涯孤独となったチャーリーに追い打ちをかけるように、愛情を注いで世話をしていた老競走馬ピートの殺処分が決まってしまう。チャーリーはピートを連れ出し、疎遠になっていたマージー伯母さんが暮らしていたワイオミングを目指す。(作品情報より)


1.天涯孤独となった少年
もともと母親は小さい時にいなくなっている。今は父親と暮らしている。ところが、父親が人妻に手を出してしまい、夜襲を受ける。ガラスの破片が入って身体中に毒がたまり敗血症を起こしあっけなく亡くなる。


病院関係者は天涯孤独となった少年を施設で預ってもらおうとするが、その場を逃げ出す。少年は厩舎の主とたまたま知り合い、競走馬ピートの面倒を見るようになっていた。父親がやられた自宅は物騒で、厩舎でこっそりピートと暮らす。でも、馬が殺処分されることになり、馬の輸送車で一緒に飛び出してしまうのだ。お金は厩舎でもらったわずかなお金、ガソリン代につかってすっからかん。無銭飲食しようとしたら、警備員にも捕まってしまう。最悪だ!

2.ララミー牧場

おそらくはララミー牧場の名前に記憶があるのは60代以上であろう。10チャンネルすなわちNETで昭和38年までこの番組をやっていたようだ。その頃には生まれていたけど実際に自分が見たのは再放送だろう。内容はまったく記憶にない。


ただ、ローレンローレンローレン「ローハイド」同様に「ララミー!」という主題歌の歌声は耳について離れない。デュークエイセスのコーラスだったんだ。主人公が向かうワイオミング州の街にララミーという文字を発見し懐かしくなった。

3.もし少年と同じ境遇になったのなら?
15才といえば、高校に入った年だ。ほんの少し時代がずれていれば、戦争がからんで自分も中卒で働いていたかもしれない。戦火のもと父母と離れ離れになっていたらどうなんだろう?少年は行った場所で運良くバイトで稼いでいたりしたが、無銭飲食で警察に突き出されそうにもなった。親切な人にも恵まれたこともあったが、逆もある。空腹に耐えきれない場面が数多く見られる。自分がこの映画のようにたくましく生きられたかは疑問?11年前父母両方とも亡くなったけど、大人か少年かは大違いだ。


それでも最後に向かって若干の光が見える。それがなかったら救いようがない。トコトン主人公をおとしめる手もあったけど、この位にしておかないとバチもあたる。
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映画「ジョーカー」 ホアキン・フェニックス

2019-10-10 06:44:38 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ジョーカー」を映画館で見てきました。


「バッドマン」でのジャック・ニコルソンダーク・ナイトヒース・レジャーの2人が演じたジョーカーはいずれもすごい存在感があった。いずれも映画史を代表する傑作である。その2人の面影を心に持ちながら、映画館に向かう。ここでは1人のさえないコメディアンが狂人ジョーカーになっていく過程を描く。ホアキン・フェニックスのワンマンショーといってもいいだろう。ロバート・デニーロが有名ニュースキャスター役で登場する。監督はハングオーバー」のトッド・フィリップスがつとめる。

重厚感のある映画である。映像に迫力がある。音楽も肝心なところで響き渡るが、いやらしさはない。架空の都市ゴッサムシティではあるが、70年代前後のニューヨークを意識していることは明白、ネットや携帯電話とは無縁の一時代前を舞台にする。

地下鉄内での格闘が最初のヤマ、一時代前のニューヨークの地下鉄である。映像が進むにつれ徐々に緊迫感が高まりジョーカーが銃を取り出すところで、心臓の鼓動が高鳴る響きを感じる。ヤマはそれだけでない。二重三重に波をうつ。構成的にはお見事である。傑作だと思う。

孤独な男アーサー(ホアキン・フェニックス)は、「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを目指している。介護している母親は若干ボケが入っている。若い頃、母は大富豪のウェイン家で働いたことがあり、生活苦を訴え手紙を書いているが、返信はない。笑いが止まらない病気をもち、繊細で不器用なアーサーは周囲になめられている。しかも、本人が悪くない不祥事に対しても周囲は厳しい。


同僚から押し付けられ持っていた拳銃を子供たちの目の前で落としてしまい、大道芸人の仕事をクビになる。ピエロメイクのまま地下鉄に乗って帰宅途中に、絡んできた男性3人を撃ち殺してしまう。しかし、その後何もなかったように月日は流れる。同じアパートに暮らす黒人女性のシングルマザーであるソフィーに密かに好意を寄せながらコメディアンとしてステージにも立てた。


そのパフォーマンスが注目され、人気テレビキャスターであるマーレイ・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)が司会を務める、憧れのトークバラエティ番組への出演依頼が届くのであるが。。。


この映画ではジョーカーことアーサーは黒人のシングルマザーに心を寄せる。偶然だが、ブログアップしたばかりの映画「パリに見出されたピアニスト」でも主人公は黒人女性と恋人関係にある。ここに来て、人種の境を超えることが諸外国では普通になってきたのであろうか?

1.ピストル
ピエロの格好といってもサーカスというわけではない。街頭での呼び込み宣伝のようなものだ。昔で言えば、チンドン屋が近いか。街頭でパフォーマンスをしていたら不良少年たちに看板を取られてしまう。懸命に追うが、看板はつぶされてしまう。そんな悲惨な姿からスタートだ。事務所の幹部からは怒られ最悪である。それを見かねた同僚がピストルをアーサーに預ける。周囲になめられないようにということだ。このピストルが映画の最後まで重要なツールになるのだ。


2.バッドマンとウェイン家
ジョーカーのルーツ話に対して、バッドマンのルーツも語られる。ジョーカーことアーサーの母親は若い頃、バッドマンことブルースウェインのウェイン家で奉公をしていたようだ。アーサーの母親は若干妄想癖があり、アーサーはあなたの息子だとブルースの父親トーマス・ウェインに手紙を書いている。手紙をのぞきみて、もしかして自分はウェイン家の息子だったのかと乗り込んでいく場面がある。でもこれも真相がわかっていき、怒りをいろんな方向にぶつけるようになる。

3.覆面デモ
貧富の差の激しさに対して、立ち上がろうとするデモが繰り広げられている。ウェインの経営する証券会社で働くエリートビジネスマンが3人殺される。目撃した人によると、犯人はピエロのような風貌だという。世論ではリッチマンが銃で撃たれたことに支持する新聞記事が多い。格差に反発したデモは増長する。

みんながピエロの覆面をしている。いかにも香港の若者が中国当局や香港政府に反発するデモを連想される。当然、そんなこととは関係せず映画は作られている。公開と重なるタイミングで香港で覆面禁止となったのがすごい偶然である。これってタイムリーだ。




「クリーム」のホワイトルームが最終に近い場面で高らかに流れる。ジャック・ブルースのリードボーカルに、若干音痴な歌をきかせるエリック・クラプトンのボーカルが続く。ホワイトというのはジョーカーのメイクを意識しているのか効果的な使われ方をしている。


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映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」 ジェシー・アイゼンバーグ

2019-10-02 20:55:22 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」を映画館で見てきました。


金融商品の0.001秒を争う超高速売買は素人投資家にとっては別世界、日経平均株価採用の大型株の値動きなどを見ても特に朝のうちは目まぐるしい。実際には自分たちがボードで見れる以上の動きをしている。ライバルの一寸先を行くためにウォール街の一角でより早い高速売買のシステムを構築している人がいる。この映画では高速回転売買でこうやって儲かるというのは特には語られない。高速売買用の回線を通すために奮闘する若き2人に焦点を絞る。

主演のジェシーアイゼンバーグといえばフェイスブックのマーク・ザッカーバーグを演じた映画「ソーシャルネットワークの早口セリフが思い出される。機関銃のように放たれるセリフを聞いて当時圧倒された。ウディアレンは自分と似た早口タイプと思ったのか、「ローマでアモーレ」「カフェ・ソサエティ」でジェシーを起用する。その特性が活かされる。

主人公は行動力があり、前進あるのみの男である。遠大な構想を実現するため計画を立て、スポンサーに取り入って資金を調達する。地上げも着実に実行して行く。働き方改革で軟弱になりきった若者と比較すると、こういう人物を見ていると気持ちがいい。

ヴィンセント・ザレスキ(ジェシー・アイゼンバーグ)と、従兄弟のアントン(アレクサンダー・スカルスガルド)は、ニューヨークで株の高頻度取引を進めるトレス・サッチャー社で働いていた。株の取引はミリ秒(0.001秒)単位の差で、莫大な損得が発生するので、システムを構築することに血眼になっていた。トレス・サッチャー社では、マイクロ波タワーの建設や光ケーブルを計画中だが、巨額となる予算などに難航していた。


ヴィンセントが思いついたのは、カンザス州にあるデータセンター近辺と、ニュージャージー州にあるNY証券取引所のサーバーまで、1,600kmの直線距離に光ファイバーケーブルを敷くことだった。シカゴとニューヨークの間での最短アクセスが可能になり、大金をもたらすという仕組みだ。

現在、17ミリ秒かかるアクセス時間を、16ミリ秒に縮めるだけで、このケーブルを使えば年間500億円以上の収益が見込めるはずだと、ヴィンセントは確信する。掘削とケーブル用のパイプ埋設のプロフェッショナルであるマーク(マイケル・マンド)とも手を組み、アントンと一緒に会社を辞めたヴィンセントは早速、ケーブルが通る土地を所有する、一万もの物件の買収に取り掛かった。

最初は不審に思った土地の所有者たちにも、高額の配当をちらつかせ、買収は順調に進んだ。水平掘削機によってケーブル敷設が進むが、直線距離で通過するアパラチア山脈は国立公園であるうえに、花崗岩を掘削するのが難しい。16ミリ秒を達成するのは不可能だと考えるアントンを横目に、ヴィンセントは大風呂敷を広げて政府にコネをもつ要人も説得。国立公園内を横断する掘削についての許可を取り付ける。


ヴィンセントとアントンが突然会社を辞めたことに、上司のエヴァ・トレス(サルマ・ハエック)は怒り狂っていた。ヴィンセントはともかく、ミリ秒短縮のアルゴリズム作成の天才であるアントンを手放したくないのだ。エヴァは退職後の彼らの行動を監視。カンザス/ニュージャージー間のケーブル計画を知る。

0.001秒を短縮するために、ホテルの部屋にこもりきりとなったアントンの居場所も突き止めたエヴァが、ヘリコプターで乗り込んで来た。そして、かつて社内の重要コードを持って退職した元社員に対し、FBIの力も借りて罪を着せ、エヴァはアントンを脅迫する。(作品情報 引用)

主人公ヴィンセントには葛藤がいくつもある。技術者である従兄弟のアントンに言うこと聞かせるのもストレスだ。
⒈元会社の上司からの妨害、⒉土地買収、⒊資金繰り、⒋予測が難しい工事進行状況、⒌病魔 このくらいストレス要因があれば、誰しもが身体を悪くするだろう。胃がんになってしまう。主人公には女の影はない。ひたすら仕事をするのみである。

54班に分けた分業とはいえ1万軒もの土地買収というのは半端じゃない。中には強行突破することもある。通させてくれないというのなら、30メートルより下の地下掘削を試みる。地下深くは石油などの利権がなければ普通の所有権とは別だというのだ。抵抗に遭いながら、深く掘る。配管工だったという父親の血筋をひいているがごとく。


いとこのアントンは超高速回転売買をするためのシステム構築に向けてチームを組んでいる。プライドの高い口うるさい女上司から叱責をうけながら、懸命に取り組んでいた。でもいとこのヴィンセントの勢いにおされ、カンザスからニューヨークの回線を通すためのプロジェクトに参画する。回線スピードを0.001秒単位で縮めるシステムサポートに着手する。うまく行く保証はない。狂気と紙一重のレベルでその才能を生かそうとする。

乱気流という言葉で取り乱すくらい飛行機が怖い。もともとは小心者で普通に娘をかわいがるいいパパなのだ。元の上司のプレッシャーにも耐えながら、技術面を請け負っていく。


最終的にはハンフリーボガード「黄金」イヴ・モンタン「恐怖の報酬」の匂いも感じさせる作品である。
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映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」レオナルド・ディカプリオ&ブラッド・ピット

2019-09-02 20:24:06 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ワンスアポンアタイム・インハリウッド」を映画館で観てきました。


待ちに待ったクエンティン・タランティーノ監督の新作である。しかも、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが夢の共演をする。ロマンポランスキー監督の元夫人シャロンテート殺人事件を題材にしているという触れ込みである。TVから映画に主力を移して、人気が落ち込んでいる俳優とそのスタントマンのハリウッドでの日常を映す。

タランティーノの構想にあったハリウッドネタを詰め込んだ感じ、プレイボーイ・ハウスでハリウッドの遊び人が入り乱れる派手なパーティのシーンもある。各出演者にダラダラとしたセリフをしゃべらせ話を展開させるのは、いかにもタランティーノ映画らしい。


60年代後半のポップスがふんだんに流れる。どの曲もきっとタランティーノ好みなんだろう。知らない曲も多い。短いけど、S&Gのミセスロビンソンが印象的で、「カリフォルニアドリーミング」や「キープ・ミー・ハンギング・オン」はオリジナルとは別バージョンが流れ、ジョニミッチェル作詞作曲で映画「いちご白書」挿入曲であるサークルゲームも印象的に使われる。そんなポップスが流れる中、ブラッドピットが軽快にオープンカーを走らせる姿がかっこいい。優雅な感じがする。全体を通じて、人気俳優の裏方として汚れ役を買って出るブラッド・ピットの方が自分にはよく見える。

スパーン映画牧場でのブラッド・ピットのパフォーマンスはこの映画では極めて重要な場面である。ここで出会うブルースダーン演じる牧場主は盲目、教祖的なその感じはO真理教のAを想像してしまう。


1969年、ハリウッド。俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、テレビから映画へのキャリアチェンジがうまくいかず悪役への転向を言い渡されさえない気分だった。彼のスタントマン兼付き人のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は、変わらぬ忠誠心をリックに捧げ続けており、2人は固い友情で結ばれていた。


リックは隣に越してきた、ロマン・ポランスキー監督と妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)に刺激を受ける。その後オーダーがあり、イタリアで4本の作品に出演したあとにイタリア女を娶って8月9日帰国する。リックが自宅で過ごしていると、ヒッピー風の若者たちが運転する車が私有エリアに入り込んできたのであるが。。。

⒈ブルースリーとのトラブル
今度のスタントはグリーンホーネットのスタントがいるんで出られないよとディカプリオがブラピに語るシーンがある。小学生の頃テレビで「グリーンホーネット」を見ていた。グリーンホーネットの助手で空手の達人であるカトーという役があった。日本人名で親しみがあった。ブルースリーであることを知ったのは「燃えよドラゴン」で大人気だった頃である。

ここではカトーことブルースリーが小柄のイキがった奴として登場する。その姿に嘲笑を浴びせるのがブラッドピット演じるクリフだ。そこで一戦交えるのには思わずうなってしまう。


2.架空の俳優
レオナルドディカプリオ演じるリックダルトンは架空の俳優である。TVシリーズで人気がでたあとで、悪役に転向させられてしまう。元気がなく子役の女の子にグチって涙してしまう。割と強気な役が多いレオナルドディカプリオには珍しいシーンだ。それでもイタリアで一瞬にしてまた人気俳優になってしまう。イタリア女を妻にめとってアメリカに帰国する。セルジオ◯×監督の作品に出演というセリフからして、モデルは明らかにクリント・イーストウッドでしょう。架空だけにキャリアの時期は合うわけもない。「夕陽のガンマン」を撮ったのはもっと前だしね。



3.最後に向けて

マーゴット・ロビー演じるシャロンテートの出番は多い。白いロングブーツにミニスカートなんていで立ちは、日本ではデビューまもない黛ジュンの十八番でもあった。それと丸善石油のCM「Oh!モーレツ」小川ローザを連想する。一世を風靡したこのCMも1969年だ。元ビデオ店の店員で驚異的な量のビデオを観ているタランティーノがひょっとして小川ローザを知っていたりして。

有名な事件が起きた日のシャロンテートをメキシコ料理屋から自宅まで徹底して追いかける。4人で遊んでいたようだ。へんな奴がビバリーヒルズの邸宅にやってきて、ついに来たと感じるが、ここからが予想外の展開だ。さすがに強烈な見せ場を作る。でも、もう一発来るかと思ったら、終わりに近づいたようだ。この意図は??


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映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」

2019-08-12 08:14:59 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」は2018年日本公開のエリッククラプトンの人生を描いたドキュメンタリー


エリック・クラプトンをはじめて知ってから50年になる。早いものだ。車を運転するときはエリック・クラプトンの曲を流している。タイミングが合わず、映画館にはいけなかったが、今回貴重な映像の連続でうきうきしてしまう。エリック・クラプトンが好きだという最近の若い人にクリーム時代の歴史的名演「クロスロード」を聞かせたことが何度かある。クイズをだす。このギターは誰でしょう?唐突な質問なのかもしれないが、わからない。エリック・クラプトンの名前をだすとみんな驚く。こんな攻撃的で激しかったのかと。

エリック・クラプトンのギターもすごいが、リズムセクション2人のテクニックもすごい。自己顕示欲が強いんじゃないかと思われる若き3人の技巧を競い合う演奏はロック史上最高のプレイだ。


1.ブルースへの傾倒
英国に生まれたエリッククラプトンは子どものころ内気な少年だった。そのころの映像を見るとアルバム「リプタイル」のジャケットを思い出す。エリックは周囲で誰も注目しない黒人のブルースに傾倒していく。やがてヤードバーズに参加して、そのギターで一目置かれるようになる。しかし、ポップス系の音楽づくりに嫌気がさし脱退、ジョン・メイオールのバンドへ移る。そこでは黒人ブルースを基調にした曲がつくられていた。

ある時、エリックはエレクトリックギターとマーシャル製アンプの組み合わせの妙に気づく。ご機嫌なサウンドがでるのだ。ますますエリックは開眼、ハーモニカのリトル・ウォルターの影響もうけながらそのギターのフレーズに磨きをかけていく。このころのエリッククラプトンは上昇あるのみといった感じである。



2.クリーム

1966年ドラムスのジンジャーベイカー、ベースのジャックブルースとともにクリームを結成する。ジョン・メイオールのバンドから突然脱退する。ジャズの素養がある高いレベルのテクニックをもつ2人とのコンビで一世を風靡する。室内の録音ではサイケデリックなギターの音色が際立つ。ライブではお互いの腕前を競い合う異次元のサウンドでファンを沸かせる。コンサートでは延々40分にわたっての演奏することもある。フィルモア・イーストでの伝説のライブはアルバムにもなり、世界中のロックファンを熱狂させた。しかし解散、クリーム結成前から元々不仲だったジンジャーベイカーとジャックブルースの二人の喧嘩が絶えないのも原因の一つである。


3.ジョージハリソンとの友情と女性問題
エリッククラプトンはそのギターの腕前を買われて、様々なミュージシャンのバックで演奏するようになる。1967年12月アレサフランクリンのアルバム「レディソウル」「Good to Me As I Am to You」ではアレサのボーカルに絡むようなブルース調のリードギターを披露。


親友だったジョージハリソンに誘われビートルズの録音にも参加、「ホワイトアルバム」の中の「While My Guitar Gently Weeps」ではリードギターを披露する。ポールマッカートニーのピアノにリンゴスターのハイハットが絡むイントロに、泣きの入ったエリック・クラプトンのギターがからみつく。映画ではビートルズのセッションの映像がでてくる。
1971年8月、ジョージハリソン主催のバングラデッシュ救済チャリティコンサートでは「While My Guitar Gently Weeps」エリッククラプトンのリードギターが聞ける。これは版権の問題でしばらくは輸入盤しかなく、あわてて高い輸入盤をねだって買った自分はレコード針がすり切れるくらい聞いたものだ。
ジョージ追悼コンサートにて↓


このころエリック・クラプトンにはシャーロット・マーティンという恋人がいた。ジョージハリソンの妻であるパティと4人で会う関係であったが、次第にパティに魅かれていく。

4.デュアン・オールマンとの出会い

クリームが解散して、スティーブ・ウインウッドとブラインドフェイスというバンドを結成するが、アルバムを一作だけ出して解散する。そのころ、オールマン・ブラザース・バンドのリードギターであるデュアン・オールマンのコンサートを見て衝撃を受け、一緒にセッションをするようになる。1970年8月人妻パティへの思いを募った「レイラ」で気があったデュアンオールマンとツインギターの共演をする。


当時所属したデレクアンドドミノスには結局デュアン・オールマンは参加しなかった。その後1971年10月デュアン・オールマンはオートバイ事故で死亡、前年に亡くなっていたジミ・ヘンドリックスと合わせギターの盟友をなくし、エリック・クラプトンは落胆する。そしてドラッグに溺れる日々を過ごすようになるのだ。

このあたりまでが自分にとっては親しみやすいところ。
酒とドラッグで転落そして復活というのはおきまりの構図だが、転落前の上昇基調のころをみているときが楽しい。1970年代初頭中学生になったころ、はじめてロック雑誌「ミュージックライフ」を買った。ニューロックがブームになりつつあるときで、次から次へとロックミュージシャンが来日していた。星加ルミ子編集長率いる雑誌上ではエリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスどっちが上かなんて議論がされていた。懐かしい。

1974年から北欧のツアーにでるエリッククラプトンが映る。「アイ・シャット・ザ・シェリフ」がエリックにとって初の全米ヒットチャートナンバー1になるのも1974年9月だ。マイアミを思わせるジャケットとサウンドにイメチェンした感じを当時持ったが、まだまだアル中から抜けきれなかったんだなあ。いろいろあったけど、ご子息の高層ビルからの転落死は不運としか言いようにない。現在のいいパパぶりは悪い路を通り抜けた感がある。


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映画「アラジン」ウィル・スミス

2019-06-09 16:38:20 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アラジン」(字幕版)を映画館で観てきました。


娘と2人で楽しい時間を過ごせた。
ディズニーのファンタジーだし、当然絢爛豪華な映像にお金がかかっている。こういう映画だとストーリーの信憑性とか難しいことは何も考えなくてよい。映画が始まってすぐ「ディズニーシー」のアラビアンコーストの中にいるかのような音楽が流れ、気分もディズニーの世界に頭の構造がチェンジしていく。そこに映し出される猥雑な感じのアグラバーの街、主人公アラジンが活劇のように立ち回るのを観ているだけでハイな気分がますます高まる。そこにジーニー役の(ウィル・スミス)が大魔神のような存在感を持って出現、ファンキーな彼のキャラにピッタリだ。

ストーリーが進んでいくが、内容ははっきり言ってどうでもいい。ただ、ひたすらディズニーのアラビアンコーストの世界に身を任せているだけだ。

アグラバーの街で相棒の猿・アブーと貧しい暮らしをしている青年アラジン(メナ・マスード)は、お忍びで王宮の外にでた王女ジャスミン(ナオミ・スコット)と出会う。


ジャスミンを侍女だと思ったアラジンは監視の目をかいくぐり宮殿に入り込む。ところが、王国を乗っ取ろうと企む、邪悪な大臣ジャファー(マーワン・ケンザリ)に捕まってしまう。ジャファーは強大な力を得るために魔法のランプを狙っている。そのためにアラジンとアブーを洞窟に忍び込ませて持ち帰らせようとするが失敗する。その窮地を“ランプの魔人”ジーニー(ウィル・スミス)に助けられる。しかも、ジーニーには“3つの願い”を叶えてあげるといわれる。アラジンは王子になりたいとジーニーに願い、ある国の王子ということでアグラバーの街に凱旋するのであるが。。。


1.ミュージカルの要素
「ディズニーシー」のアラビアンコーストにいるような音楽が鳴り続ける中で、王女ジャスミン(ナオミ・スコット)の華麗な歌が響き渡る。これがいい。ヒロインにピッタリのなかなかの美貌である。エキゾティックな風貌は中東の血が入っている女優さんと思いきや英国人だ。母親がインド系移民というプロフィルだそうだ、なるほど。ディズニー映画の名作曲家アラン・メンケンと、「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」のチームによる新曲はいずれもいい。そこに名曲「ホール・ニュー・ワールド」も肝の部分で流れる。空飛ぶじゅうたんに乗って2人があちらこちら飛び回るシーンは映画館ならではの臨場感で十分楽しめる。

2.アラジンと魔法のランプ
ストーリーの流れのベースは一緒である。悪者がいないと葛藤が生まれないので邪悪な大臣ジャファーが活躍する。ふとしたことで魔法のランプがジャファーに渡り、それをこするとジーニーが出てきて、ジャファーの言うことを3つかなえるという。宮殿もアラジンもピンチである。そういったピンチも作りながらストーリーは流れる。怪人、魔人いろんな言い方があるけど、ウィル・スミスはうまいなあ。どちらかというと最近はシリアスな映画にでていることが多い。やっぱりコメディタッチがいいよね。


実写版っていいよ。本物の声を聞きたいから当然字幕で。ジャスミン(ナオミ・スコット)の声がきれい。評論家筋は一部高評価だけど、あとはどちらかというと低め、賛否両論の映画は見ろ!というのは鉄則でこれは正解だった。最後はインド映画のように全員でダンスだ。これでファンキーな気分をますます高揚させる。映画が終わって食事、イスラム史好きの娘とは言えさすがに中東料理はないので「ディズニーシー」アラビアンコースト同様のインド料理で昼食、楽しい映画なので辛めにして食も進んだ。
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映画「グリーンブック」ヴィゴ・モーテンセン&マハーシャラ・アリ

2019-03-21 18:23:34 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「グリーンブック」を映画館で観てきました。


「グリーンブック」は2018年度アカデミー賞作品賞に輝く作品。黒人差別問題が顕在化していた1960年代の物語である。ソ連レニングラードの音楽院で学んできたインテリ黒人ピアニストが米国南部の差別が激しいエリアでコンサートツアーを行う。その時に運転手兼ボディガードで雇ったイタリア系白人の主人公と一緒の珍道中を描いたロードムービーである。

1960年代を描いた美術と時代を感じさせる音楽も素敵、きれいな色合いで心地よく見ることができる。この当時に黒人ピアニストがカーネギーホールの階上にある高級アパートに住んでいるなんて話も凄いが、白人ボディガードを雇ってツアーに回るなんて話は興味深い。最初から最後までエピソード満載である。しかし、白人とはいえ、イタリア移民である。決してアッパー層ではない。

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。(作品情報より)


1.1960年代の黒人差別
この映画の時代設定である1962年からしばらくたっても、黒人差別問題は変わらずにあった。グレゴリーペックが黒人の冤罪を晴らそうとした弁護士を演じた「アラバマ物語」が1962年、この作品でアカデミー賞主演男優賞を受賞した。ここでの差別はちょっと残酷だ。シドニーポワチエが敏腕黒人刑事を演じた「夜の大捜査線」は1967年、南部エリアにいるだけでとんでもない仕打ちを黒人が受けることを示す。キング牧師暗殺の1968年となっても状況は変わっていない。陸上200m走の表彰台で黒人メダリストが差別に抗議をこぶしで示したのも1968年のメキシコオリンピックだ。

グリーンブックとは1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブックのことを言う。高尚な会場で正装で演奏しても、黒人差別問題で特別扱いされない。黒人にしか入れないモーテルに泊まる。「グリーンブック」でその場所を探す。

差別の激しい南部エリアで軽く酒を飲もうとバーに入ると、現地の白人たちにボコボコにいじめられる。そういう場面で何度か腕っぷしの強いイタリア系白人運転手に助けられるのだ。取り締まりの警察官にブタ箱にぶち込まれたりたいへんだ。でもここで窮地をすくったビッグネームがでてくる。見てのお楽しみだが、彼も数年後とんでもない目に合う。


ドン・シャーリーことドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーという名を聞くのははじめて、チェロとウッドベースを従えて演奏する音はジャズというよりも、ポップスの色彩が強い音楽だ。ただ、リトルリチャードの「ルシール」がラジオで流れているのを聞いて運転手トニーにこれって何?と聞く場面がある。おいおいどういうこと?それまではクラッシックしかやっていなかったのか。今回南部のツアーはいつも満員だけど、この当時に南部でも知名度あったのかな?というのが疑問?

2.二人の出会いとヴィゴモーテンセン
ニューヨークの「コパカバーナ」といえば知る人ぞ知る有名ナイトクラブだ。そこで用心棒をしていた主人公トニーは、店で暴れる酔客を店外でボコボコにする。マフィア系にも睨まれている存在だ。そんな日常であったが、店が改装でしばらく閉店となり、日銭を稼ぐ必要がでる。そんなとき見つけた働き口が運転手の仕事。ドクター○と聞き、面接に行ってみるといかにもアフリカの服装を着た黒人がいる。何それ?!一旦は交渉不成立であったが、南部での仕事を考えてトニーがいいという推薦もあり採用する。


紆余屈折があり、次第に友情が深まる。そこからの話は省略するが、妻への手紙の推敲をドンが手伝ったりステキな話が多い。今回はマハーシャラ・アリが助演男優賞となった。フレディーマーキュリー役と主演男優賞で対したのはちょっと不運だが、ヴィゴモーテンセンの演技は称賛に値する。役づくりで少し太った。「偽りの人生」(2012)、「ギリシャに消えた嘘」(2014)での演技も好きだ。今回は太目なイタリア系のいでたちで迫力を見せる。

でも、彼は「ヒストリーオブバイオレンス」(2005)で見せてくれた役柄が何といっても一番かっこいい。テンポがよく、日活全盛、いや高倉健の「夜叉」を彷彿させるようなストーリーでアクション映画としても傑作である。当然今回よりはシャープでしまった元殺し屋である。やせている彼の方が凄みを感じる気がするが、今回のパフォーマンスでこれからやるのかな?


この映画の一番素敵なのはエンディング、こういう終わり方でよかった。トニーの妻役のかわいらしい演技が素敵だ。

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映画「クリード 炎の宿敵」マイケル・B・ジョーダン&シルベスター・スタローン

2019-01-26 20:34:38 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「クリード 炎の宿敵」を映画館で観てきました。


クリードの登場にはあっと驚かされた。いい作品だったと思う。
公開から2年がたち、その興奮を忘れていたが、今回再登場である。もちろん見るしかない。「ロッキー4」で登場したアポロを死に追いやったドラゴの息子が登場する。当然、あっさり退けるという設定では観客は喜ばない。物語の定石をたどるかがごとく、紆余屈折がある。それ自体に大きな意外性はない。それでもロッキ-シリーズが持つエネルギーは我々を興奮に導く。


映画の前半戦でタイトルをゲットしたアドリス・クリードの姿が映る。恋人ビアンカへのプロポーズも実り絶好調の時、ドラゴとその息子が挑戦をテレビで表明する。ロッキーは挑発にのるのはやめろという。相手にするな!ということだ。ところが、挑発はエスカレートし、結局アドリスは挑戦を受託する。ロッキーはセコンドに入らない。それで大丈夫なのか?

1.設定の巧みさ
「ロッキー」の第一作のあの興奮があったからこそこのシリーズが続いているんだと思う。考えてみればロッキー1作目の日本公開は自分が高校を卒業してまもない時、あれ?いつ見たのか忘れてしまった。例にもれず大興奮、最終の「エイドリアン」はいつ見ても涙なしではいられない。これは自分だけではないだろう。第1作目からなんと42年、自分と同世代か少し下の人間でなければ1作目をリアルで見ていない。よく続くなあ。

1作目が1976年度のアカデミー賞作品賞をとったとき、ライバルがすごい。「タクシードライバー」、「ネットワーク」、「大統領の陰謀」と今もDVD屋には必ずある名作だ。これらの作品を凌駕するんだから、全米が自分と同じようにロッキーの下克上に興奮したわけだ。


そして引退していたロッキーが宿敵アポロの息子をコーチするという「クリード」の設定に大興奮した。前作はよくできた作品だと思う。それで終わらず、今回も強敵を登場させる。物語はライバルの強さがすごいものであるだけ興奮させる。最初の試合は反則負けとは言え、ボロ負け状態。体格の違いから勝てるわけない相手だと思われる。すばらしい設定だ。

2.強すぎる挑戦者
今回も強敵を登場させる。ライバルがジョージフォアマンの全盛期を思わせる強さだけに面白い。最初の試合は反則負けとは言え、実質的にはボロ負け状態。ヘビー級はどんなにでかくてもそれ以上のクラスはない。体格とパワーの違いから勝てるわけない相手に見える。すばらしい設定だ。 いくらやっても勝てないと我々に思われる挑戦者の再挑戦を受けるため、再度ロッキーの助けを求める。出来すぎの感はあるが、きっとハッピーエンドなんだろうと思いながらもなんかわくわくする。


3.虎の穴
思わず吹き出してしまうような日本語訳があった。「虎の穴」だ。負け同然の戦いをした後、ロッキーの指導の下、特別な訓練所に向かう。そこで相手の強打に耐える練習を重ねる。その場所を「虎の穴」と訳していた。自分の小学生までタイムスリップしてしまうが「タイガーマスク」で、孤児院で育った主人公伊達直人がプロのレスラーになるため鍛えられた養成所を「虎の穴」という。「虎の穴」が次から次へとタイガーマスクに刺客を送るのがストーリー。我々は言葉を解するけど、40代より下の人はわかるのかなあ?


訓練の成果は次の試合にはでてくる。それでもつらい試合だ。
ただ、前回ほどの感動はなかったなあ。経済学でいう「限界効用逓減の法則」のようなもので、一杯目のビールが二杯目よりうまいというようなものだ。



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