★ 私が夢見ているのは、ごく短いテクストです。ところが書き始めると、いつでも分厚い本になってしまうのです。それにもかかわらず、「これはどこから生まれたのか」と問うことが、まったく意味をもたないような種類の書物を書くことを、いつも夢見ているのです。ほんとうの意味で道具として使える思想を作りだすことを夢想しているのです。それがどこから到来したかは、ほとんど重要性をもたない思想を。まるで落ちてくるかのように、訪れる思想です。大切なことは、ある道具を手にしていて、それを使って精神医学や、監獄の問題を考察することができるということなのです。
<1975年インタビューに応えて;シェル・フーコー『わたしは花火師です』(ちくま学芸文庫2008)>
★ この仕事の方法は、文学的モンタージュである。私のほうから語ることはなにもない。ただ見せるだけだ。価値のあるものを抜き取ることはいっさいしないし、気のきいた表現を手に入れて自分のものにすることもしない。だが、ボロ、くず――それらの目録を作るのではなく、ただ唯一可能なやり方でそれらに正当な位置を与えたいのだ。つまり、そのやり方とはそれらを用いることなのだ。
<ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論 第3巻』(岩波現代文庫2003)>
★ 「墓はからっぽだな」とゴーストが言った。「墓石があるだけだ」
私も実は父の墓に向かって立ったとき、漠然とそう感じたのだが、何となく気おくれがしてそう意識化するのをためらっていたのだ。こういうとき、たいてい彼が現れる。
<日野啓三『台風の眼』(講談社文芸文庫2009)>