平成23年12月4日(日)
澄み切った青空が続く絶好のドライブ日よりの中、念願の鎌倉、満福寺へ行ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/37/5ca502205facfd6863267cc24558938f_s.jpg)
満福寺は知る人ぞ知るお寺で、源義経が、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と次々に平家軍を破って鎌倉に帰ってきたのに、兄頼朝は京都の権力者である後白河法皇から、頼朝の許しを得ないで官位(今で言う知事と警察庁長官を一緒にしたような役職)をもらってしまった義経に対して、源氏の勢力を二分する法皇の陰謀を受けてしまったとして、また、妬み心の深さもあってからか、義経を鎌倉に入れずに、拒否し続けた。手柄を立ててきた義経にとって、それは思いがけないことで、なんとかこの兄頼朝の怒りをとこうと考えて、この満福寺に逗留し、嘆願文を書いたとされる。それが、この寺に展示されている腰越状である。何が書いてあるかわからなかったけど、これだけ立派で長文な手紙を書いて、たぶん自分の過ちや非を嘆いていると思うんだけど、人間はなかなか一旦疑ってしまった心を変えることや動かすことはできないんだなーと感じた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/18/a3/0850e1e0b7416a0cdaea52a9b474e76e_s.jpg)
お寺の中にはその他に、義経の歩んだ人生がふすま絵に描かれていて、静御前との別れの場面や弁慶の仁王立ちのふすま絵もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/47/b5/343d8d492f8b9313792683cdf41043eb_s.jpg)
その他にも、弁慶の硯の池、腰掛石、義経公手洗いの井戸が、庭先に鎮座していました。
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また、このお寺の隣はお墓になっていて、少し高台にある。そこから見る富士山の見事な事。江ノ島の海とビルの向こうにくっきりと浮かんでいる雄大な富士。
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そこには「義経庵」という茶坊があり、ランチを食べてきた。江ノ島はしらすが名物で、しらす入りオムレツ定食にした。
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腰越から海岸線に沿って七里ヶ浜を東に走ると、稲村ヶ崎がある。鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が、三方を山に囲まれている鎌倉を滅ぼすには海から攻めるしかないと考えて、この稲村ヶ崎の海際を通って鎌倉に入ったということを、うすうすながら知ってはいたが、実際どんなところなのかを今回、その前を通ったんで、車を止めて行ってみた。
果たしてこんな絶壁をいくら海を沈める為に刀を奉納して、海の神様にお願いしたとは言っても、無理でしょうと、思った。大潮をうまく利用したのか。でも、見た目すごい荒波で、調べてみると5月21日に攻めたとなっていたが、春先は波も穏やかなのかもしれない。
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また、この稲村ヶ崎からの富士も見事だった。たくさんの人が、写真を撮ったり、絵を描いたりして、この富士の雄姿をおさめていた。
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その後、鶴岡八幡宮の裏手に頼朝のお墓があるというので、行ってみる。このお墓の左右に少しの平らな土地があったが、そこに鎌倉幕府があったということが書いたあって、驚いた。確かにお墓は、階段を上って少し高いところにあって、鎌倉の様子を一望はできそうであるが、こんなあまり広いとはいえないこんな狭いところに、日本の中枢がまあ100年余ではあるが、あったとは。
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鎌倉は世界遺産に登録を申請しているという。その中には人がやっと通れるくらいの道幅だと言われる切通しも入っていると聞いたが、もう道幅を広げてしまって、昔の面影を見られるところはあまりないのかなと思うが、機会があったら行ってみてみたい。
澄み切った青空が続く絶好のドライブ日よりの中、念願の鎌倉、満福寺へ行ってきました。
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満福寺は知る人ぞ知るお寺で、源義経が、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と次々に平家軍を破って鎌倉に帰ってきたのに、兄頼朝は京都の権力者である後白河法皇から、頼朝の許しを得ないで官位(今で言う知事と警察庁長官を一緒にしたような役職)をもらってしまった義経に対して、源氏の勢力を二分する法皇の陰謀を受けてしまったとして、また、妬み心の深さもあってからか、義経を鎌倉に入れずに、拒否し続けた。手柄を立ててきた義経にとって、それは思いがけないことで、なんとかこの兄頼朝の怒りをとこうと考えて、この満福寺に逗留し、嘆願文を書いたとされる。それが、この寺に展示されている腰越状である。何が書いてあるかわからなかったけど、これだけ立派で長文な手紙を書いて、たぶん自分の過ちや非を嘆いていると思うんだけど、人間はなかなか一旦疑ってしまった心を変えることや動かすことはできないんだなーと感じた。
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お寺の中にはその他に、義経の歩んだ人生がふすま絵に描かれていて、静御前との別れの場面や弁慶の仁王立ちのふすま絵もあった。
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その他にも、弁慶の硯の池、腰掛石、義経公手洗いの井戸が、庭先に鎮座していました。
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また、このお寺の隣はお墓になっていて、少し高台にある。そこから見る富士山の見事な事。江ノ島の海とビルの向こうにくっきりと浮かんでいる雄大な富士。
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そこには「義経庵」という茶坊があり、ランチを食べてきた。江ノ島はしらすが名物で、しらす入りオムレツ定食にした。
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腰越から海岸線に沿って七里ヶ浜を東に走ると、稲村ヶ崎がある。鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が、三方を山に囲まれている鎌倉を滅ぼすには海から攻めるしかないと考えて、この稲村ヶ崎の海際を通って鎌倉に入ったということを、うすうすながら知ってはいたが、実際どんなところなのかを今回、その前を通ったんで、車を止めて行ってみた。
果たしてこんな絶壁をいくら海を沈める為に刀を奉納して、海の神様にお願いしたとは言っても、無理でしょうと、思った。大潮をうまく利用したのか。でも、見た目すごい荒波で、調べてみると5月21日に攻めたとなっていたが、春先は波も穏やかなのかもしれない。
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また、この稲村ヶ崎からの富士も見事だった。たくさんの人が、写真を撮ったり、絵を描いたりして、この富士の雄姿をおさめていた。
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その後、鶴岡八幡宮の裏手に頼朝のお墓があるというので、行ってみる。このお墓の左右に少しの平らな土地があったが、そこに鎌倉幕府があったということが書いたあって、驚いた。確かにお墓は、階段を上って少し高いところにあって、鎌倉の様子を一望はできそうであるが、こんなあまり広いとはいえないこんな狭いところに、日本の中枢がまあ100年余ではあるが、あったとは。
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鎌倉は世界遺産に登録を申請しているという。その中には人がやっと通れるくらいの道幅だと言われる切通しも入っていると聞いたが、もう道幅を広げてしまって、昔の面影を見られるところはあまりないのかなと思うが、機会があったら行ってみてみたい。
実際 義経はハンサムじゃなかったという話ですが、男性に慕われていたから 人間的に魅力のある人だったんでしょうね。
そう言えば、先日の”大河ドラマ・平清盛”の講習会で
「親族で殺しあう源氏に比べて、平家はそういうことは無い」という話がありました。
冬休みの間に見に行きたくなりました!
それに、平家物語には、清盛が白河上皇の落胤とする説が記されているんだってね。知らなかった~。最近読み終わった本(渡辺淳一の「天上紅連」)の準主役が白河法皇なので、これも偶然の一致でつながりがあるな~と思って、驚いたのよ。これで、ますます大河が楽しみになってきたよ。対面の場面もあるんだって。
読書日記にその本を載せるので、その時はまた連絡します。
来年の大河ドラマでも、この説を採用して展開していくとおっしゃっていましたよ。
その渡辺淳一さんの本、主人公はどなたなの?
やっぱり歴史&恋愛小説なんでしょうね