日々の事など

時には、旅人

準備!

2013-03-27 | 日記
 旅の楽しさは、準備から始まります。いま、スーツケースに洋服を詰めたり、出したり。帰りに捨てて帰れるように、よれよれのシャツやら、もうこれは捨てたいなというものを選んでいます。しかし、いつもの1週間用ではお土産までは入れられないので、もう1サイズ大きいのを買うべきか?悩んでいます。ポーランド語の先生から、クラクフに行ったら、この人に連絡しなさいと有難い連絡先もいただきました。将棋をさす、日本語もOKのポーランド人って、どんな人なのでしょう?拙いポーランド語でメールをうたなければと、今考え中。
 
 言葉のほうは、もうどうでもいいやと開き直ってしまいました。20代、ロシアに行ったとき、辞書とスケッチブックで、お互いの年収まで分かってしまいました。こんども、どうにかなるさ、だんだん歳とともに図々しくなってきたし、多分、大丈夫!へんに自分を励ましています。というわけで、ルーマニア語は、日本のツアーに現地参加にしたのでここのところ勉強していません。買い物ぐらい、なんとかなるさ!ブカレストまで、ブロツワフからどういくのかな?これも旅行社がなんとかしてくれるはず。東京在住のポーランド女性が、ルーマニアは、アルバニアの次に行きたくないところとメールをよこしました。素敵なフレスコ画のある教会の地が、そんなはずはないことを祈ってます。そんな訳でツアー参加にしてしまいました。どんな旅になるのでしょう。




うえのぼけた写真はポーランドの滞在先の住居

旅の準備、ちゃくちゃく!

2013-03-27 | 日記
 ポーランドの知人から、部屋を借りる手配が済みましたと、連絡がありました。なんと、写真付きで!コンパクトで綺麗な部屋、住みやすそうです。3か月、滞在よていです。何ができるか楽しみです。周辺の町に出かけたり、カフェでスケッチしたり、ポーランド語を習ったり、楽しみです。

 机の上、整理してたら、シエナのスケッチが出てきました。2001年の8月、娘がキジアーナ音楽院の講習会に行くのについていきました。11泊したので、シエナの路地という路地を歩き回りました。「なんだ、イタリアは怖くない!」と路地裏歩きをしました。娘が講習を受けてる時間は、お絵かきとお散歩になりました。井戸のある絵は、キジアーナ音楽院の中庭です。回廊の天井にフレスコ画、教会の中のフレスコ画、シエナ派のなんとも品のあるブルー、ここに住んでもいいかなと思ったほど居心地のいい町でした。
 宿の近くのサンドメニコ教会にふらっと入ったとき、インパクトのあるステンドグラスに出会いました。新しいものでした。でも光を通してそれは、強烈でした。その教会の裏のレストランのピザもパスタも、毎日食べても飽きないと思わせる美味しさでした。2日連続でいきましたが、地元の人たち、特に年取ったご夫婦の奥さんが何くれとなく、旦那さんの面倒をみていたのが印象に残っています。

 
 
 

ポーランドの旅  Voyage en Pologne

2013-03-18 | 日記
Voyage en Pologne ポーランドの旅

Bonjour ! Chers tous
Je vous enverrai mon blog en avril . Il sera comme ça .
Je suis à Brocwaf . C’est formidable ! Je suis contente .
 

皆さん、こんにちは! 
わたしのブログを4月に送ります。それは、こんなふうになるでしょう。
私は、ブロツワフにいます。なんとすごい!私はすっかり満足しています。

なんてことを、日本語とフランス語、ポーランド語で書けたらいいなと思ってます。ポーランドでは、旅の合間にポーランド語の個人授業も受ける予定です。多分、子供が書いた作文みたいになるかと思います。足りない部分は、日本語でがんばります。


なぜ旅をするのか? Pourquoi partir voyager?

2013-03-15 | 日記
 ブログの練習の練習もそろそろ終わりに近づいてきました。余り、上手ではないけど、まあ、こんなもんでいいかなと、、、。願わくば、ポーランドでは、ポーランド語でも書きたい、フランス語の先生にフランス語でも書きたい。

 なぜ、いい年して旅に憧れるのか?若い時、遠くに行ってしまいたかった、デラシネになりたかった。しかし、それは叶わぬ夢でしかありませんでした。デラシネになるには、余りにも真面目すぎたのです。それなりに普通な人生でした。悪くもなかったようです。いま、デラシネの真似事ができそうな気分になってきました。

 昨日、初めての職場で出会った友達が亡くなりました。「わたし、春ごろ死ぬわ。」その言葉どうりになりました。色白のきれいな人でした。早口で機関銃のようにしゃべりました。私も、早口だったので、二人の会話は岩手の友人には理解不能だったそうです。はっきりと、思ったことを言うので、人との付き合いが不器用でした。でも、ほんとはとてもいい人でした。私が、困ったときは、いつも遠くから駆けつけてくれました。今そのことを思い出したら、涙がボロボロでてきました。ありがとう、Kさん!あなたに似合うピンクと藤色の花を持って、家族葬に参加させてもらいます。

今日は、スケッチはありません。
    


 

また、思い出の旅ブログです

2013-03-13 | 日記
 今は、むかし、1977年。春、スペイン、アンダルシアを巡るツアーが新婚旅行でした。ポルトガルにも足を延ばしました。明るい光があふれて、人は素朴で温かかったことが思い出されます。いつか、仕事が終わったら、スペインの田舎町に一年ぐらい住もうねと話をしてました。時々、人生は計算が違って来るものらしく、一人残った私は、ポーランドやルーマニア、マケドニア、ロマネスクの教会やら、フレスコ画に憧れるようになりました。古いアルバムをめくっていたら、フラメンコの踊り手のスケッチがはってありました。建物のスケッチは、アルハンブラ宮殿の入り口だったと思います。耳のおくに、踊り手のカタカタという足音、カスタネットとギター、歌い手の手拍子やらがのこってます。運動神経がよかったら、フラメンコ習いたいなどともおもいました。