ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

160315 「親知らず」抜歯あと異常なし。博多駅周辺歴史探訪実施!!

2016年03月15日 | 趣味と交遊

8時半再度、博多駅前、福岡歯科大学口腔医療センターへ。昨日の「親知らず」抜歯あとの点検。抜歯あとはきれいですよ。OKです。食事も歯磨きも普通にどうぞ。しかし薬は出した分は飲んでください。痛み止めには炎症防止効果もありますので抗生物質とともに飲んでおいてください。5分で終了。

(西日本シティ銀行本店玄関横のジョエル・しゃぴろのモニュメント「WALK」)

今日はいい天気。博多町歩きマップが手元にあったのでカメラぶら下げ散策することにした。博多駅前でいつも見かける彫刻。20世紀イギリスを代表する芸術家、ヘンリームーアの彫刻作品、「着衣の横たわる母と子」

歴史探訪コースを歩くことにする。バスセンターの先を左折して出来町公園を右折して、さらに左折すると博多ウオークのウエルカムゲート、博多千年門にでる

門をくぐってその先が承天寺。1242年聖一国師が開山した禅宗寺院。国師が大陸からもちかえったうどん作りの秘伝書があり、博多がうどん発祥の地といわれる。寺社内の石庭も有名。

承天寺をでて左折、大博どおりまででて右折すると東長寺。806年、唐から帰国した弘法大師空海が日本で最初に開いた真言密教の寺。福岡藩主黒田家の菩提寺でもある。大仏殿に日本最大の木造座像「福岡大仏」がある。無料拝観。

 大仏さんの横から地獄案内の入り口がある。入ってみる。三途の川で死者が運ばれ、裁判されて、地獄道にいくか畜生道におとされるか餓鬼道においやられるか、罪の重さで決まる。地獄は縄、叫喚、焦熱、阿鼻など8つの地獄が紹介される。そこを通り過ぎると真っ暗な天国への道に入る。左手の手すりをもってそろりそろり歩いてゆく。右手がなんとかのリングに触れたら天国に行けるとか。リングにあたる。よかったね。天国にいけそう。また大仏さんの前にでる。おもしろい体験でした。

表に出て五重塔へ。2011年5月完成。高さ約26Mの総木造五重塔。

裏手に早咲きの桜がほころんでいた

大博通りを歩く。

少し先を右折。聖福寺に向かう。

栄西(ようさい)禅師が1195年に創建。禅宗形式の伽藍を有し境内は国の史跡に指定されており撮影禁止。しかし外人はこんな案内は読めないので寺社内でバチバチ。私は遠慮して猫ちゃんをとる。約1時間半散策を終え駅近くにもどる。昨日、そとから眺めていたセンタービル地下2Fの博多魚市本店に立ち寄りランチ。てんぷら、さしみ、ぶり大根、桜イカ茶碗蒸し、味噌汁とアフターコーヒーの日替わりランチ、880円也。焼酎などイサミや百年の孤独などいいのを置いている。

腹いっぱいになってしまった。また胃痛になったら大変。駅の8Fに向かう。

4月21にオープン予定のKITTE博多。日本郵便が建設中、地上11Fの大商業施設。さらに博多駅の商業集積が進む。博多駅ビル8F、丸善のフロアのバスターミナルサイドの男子トイレ。そこからなんと大博どおりが見渡せる。ということは上から構図で博多どんたくや山笠を撮れるということ。

〇秘スポット。さらに10階にあがって屋上庭園にでる。

育児休暇をとったのか不明だが若いパパが子供をおもちゃの機関車にのっけて遊んでいる

10Fの食事フロア。てんくう。磨き抜かれたフロア。

大分、胃もこなれてきた、博多駅6番線から帰路に就く。駅の光と影。

帰宅16時。久しぶりの博多駅周辺散策でした。

 

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160314 おずおずと左下奥、親知らず抜歯、20分で終了!

2016年03月14日 | アフターセブンティ

 今日は親知らず(知恵歯ともいう)抜歯の日。いい天気。庭のハクモクレン、サンシュが開花。

まず、プロテインを温湯で溶いたのを飲んで朝食の準備。ゆで卵をマヨネーズとともにつぶして食パンのうえに広げ、スライスチーズをのっけてオーブントースターで焼く。キャベツを手でちぎって粗びきウインナ1本を三つ切りにしてケースにいれてレンジにかけ温野菜にしてドレッシング。コーヒーメーカーでコーヒーを抽出。3点セットの朝食。

日経平均株価が上昇。持ち株を損切して、下がった段階でNISAで買い直しの作戦に出る。大損だが仕方なし。

 その後、家の前の歩道の雑草をかまで削り取りきれいにする。昼食は一昨日、食べ損じたハッシュどびーふ。冷凍してあったのを解凍して食す。うまい。12時半、図書館前の駐車場に車を置いて博多駅に向かう。車中で佐藤愛子の「老い力」を再読。べらんめー作家の本は面白い。感想はまた後日。14時前、福岡歯科大学口腔医療センターにつく。町の歯医者は親知らずはあまりぬきたがらないようだね。ここの担当医のN先生は自信たっぷり。患者を安心させてくれる。しかし、妻も、弟の妻くんも親知らず抜歯については大変だったらしい。生え方にもよるらしいね。ということで少々緊張気味で治療室へ。

 N先生が同意書をみせながら説明。親知らず抜歯によりおこりうる症状や抜歯後の注意事項が書かれてある。こんなのを見せるから患者は緊張するんだが仕方ない。サインをして早速、麻酔。14時10分。ちくっとするだけで2~3分で終わって5分間待機。いよいよ抜歯。こうしても痛くないですね?麻酔の効き目を確認。抜きますよ!思わず体に力がはいってしまう。楽にしてください!ギコギコギコギコギコ、抜けました。これです。

血止めの処置をして14時半に終了。水でかるくうがいするだけで、血ががばっとでるイメージがあったが何もなし。あっけなく終了。明日、もう一度抜いた後のチェック。10時予約。

 受付で支払い1260円也。近くのセンタービル地下の調剤薬局で抗生物質と痛み止め380円也。水をもらって薬を飲む。地下道を通って駅に向かう。途中、うまそうな魚の店。ヤリイカが店頭の水槽で泳いでいた。明日、ランチをやってるなら覗いてみようかな。現金なものだね。ついサッキまで親知らず抜歯でびくついていたのにね

16時帰宅。夕食はシチューよという。いろいろお気遣いありがとさん。しかし左奥はまだしびれて味覚はないし、あなぼこの空いたあとの血のふたが固まらないと痛みがでるらしいし私だけ時間をずらすことにする。

 琴奨菊、今日も彼らしい相撲で勝利。いままでのカド番繰り返しの大関だったのが信じられないくらいの大変身だね。1月場所の初優勝がこうすれば勝てるという絶対的な何かをつかんだようだね。連続優勝するかもしれない予感を感じさせる

 18時過ぎ、1人前のシチュウをレンジであっためゆっくり右側で食べる。おいしい。残ったスープを食パンにひたして平らげイチゴのデザート。歯間ブラシで口腔掃除。うがいはさらっと済ます。あまりやると血のふたがはずれるとか。妻は気にしすぎと馬鹿にするがなんとでもおっしゃってくださいと聞き流し、抗生物質だけ飲む。18時半。痛み止めは6時間置いたほうが良いらしく21時に飲むことにする。現在20時半、痛みは全くない。まあ、無事に終わってよかった。南無阿弥陀仏だね!!

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160313 図書館に20年前の週刊現代10冊の確保依頼!五木寛之の恋愛小説「四季・奈津子」読む!

2016年03月13日 | 趣味と交遊

 大分、胃の調子が戻ってきた。が極力、量は抑制、酒もなし。明日は、福岡歯科大学口腔医療センターで抜歯の予定。3月二日に親知らずの虫歯の穴にちょこっと何かをしてくれたおかげでこの10日ばかり夜の疼痛はまったくない。どうせ不要な歯だから抜くしかないと思うが麻酔をうってペンチで引っこ抜かれるのを思うとあまりいい気分じゃない。親知らず3本はすでに若いころ抜いてしまっていて抜歯のあとの問題は何もなかったが・・・

 先般、五木寛之さんの大河小説、「青春の門」第七部挑戦編を読み終えて、市の図書館に文庫本化されていない第八部「風雲編」を読みたくて、連載されていた20年前の週刊現代が保存されていないか聞いたところ、県の図書館に保存されているので雑誌のリクエストカードを10冊分10枚書いて取り寄せの依頼をした。1993年の4月から1年ほど連載されて、理由は定かでないが連載ストップになってしまった。幻の第八部である。入荷したら電話をもらうようになっているが楽しみだ。23年前、私が48歳の頃の世相もふりかえれて面白そう。

 そこで借りてきたのが上の本。五木寛之が恋愛小説を書いてるとは思わなかった。四季奈津子のほかにもポプラ社から「冬のひまわり」や「悲しみの女」などがあるようだ。この四季・奈津子という小説、青春の門の女性版のようにも思えたね。女性読者にも結構評判だったらしい。

 高校教員の4人の娘の物語。波留子、奈津子、亜紀子、布由子の4人姉妹。長女、次女が春と夏に生まれたのでなくなった母親がつけたらしい。四女の布由子は飯塚の精神神経科の病院にうつ病で入院している。久留米の商家に嫁いだ純日本美人の波留子は四女の病気のことが原因で姑と折り合いがわるく結局、子供一人を残して離婚。奈津子は福岡の卸問屋の後継ぎから求婚されているが決めかねている。亜紀子は一番頭がよくて東京の医大はいったが過激派の活動にはまり込んでしまっている。

 布由子がぜひ見たいといってきた飯塚のボタ山でのテント張り演劇の公演にでかけた時、布由子は東京の若いカメラマンと出会い、これが奈津子の人生の劇的変化の幕開けとなる。

 人間というのはその人の性格に合った事件に出会うと芥川龍之介が言ったらしいがまさにそんな感じの展開が自由奔放な生き方を模索する奈津子の生きざまと東京での破天荒な展開がこの小説を一気に盛り上げてゆく。やはり大したもんだね、小説家の構想力、ボキャブラリーの豊富さ、驚きます。五木寛之のまた違う一面を見た思いの小説でした

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160312 庭の枕木に防腐剤塗布。原発は再稼働すべきなのか?東京電力福島本社の代表が語る!

2016年03月12日 | アフターセブンティ

庭のハクモクレンが開き始めた。花弁はこぶしと違って開き切らず、北の方角をさし、磁石花ともいわれるらしい。この時期の定例行事は年二回の庭の枕木への防腐剤塗布。

敷設して18年、20数年はもつらしいが、土の上に設置されている限り白アリが食っているかもしれないリスクがあるらしい。掘り返してみたことないがどうなのかね?

庭の鉢類をすべてどけて、きれいに箒で履いて塗布の下準備。約1時間かけて塗布。吸い込ませるようなつもりで塗ってゆく。

1センチほど埋没しているのもあるし穴もあいている。しろありの痕跡はなにかでわかるのかね?

 パソコンのネットニュースをみていたら東京電力福島本社の代表の談話がでていた。1200人の社員が派遣されているらしいがこの5年間はひたすら誠意をもって謝罪するしかななかったとのこと。被疑者への賠償金が6兆円をこえたらしい。国が融資の仕組みを作ったのでつぶれないでいるが大変なことだ。それでも代表は原発は必要との信念はゆるがないという。想定外の津波でやられてしまったが、資源のない日本がもし石油やガスの供給を想定外の事件で遮断されたらどうなるかという理屈である。

 世界1厳格な可動基準だからこれをクリアした原発は再稼働すると首相はいう。経営コンサルタントの大前研一氏は福島原発事故の真因は信じがたいルールミスがあったことは明らか。政府に答申をしているがきっちり読んだ政治家は民主党の細野氏だけだという。そのルールさえ改善すれば原発事故は防げるともと原発技術者であった氏は訴える。規制委員会の委員長はこのことを知っているのか言及はなかった。裁判所の判断で稼働中の原発が停止に追い込まれている。大前氏の提言の中身はわからないがいったいこの国の真実はどこにあるのか・・・と思ってしまうね

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160312 庭の枕木に防腐剤塗布。原発は再稼働すべきなのか?東京電力福島本社の代表が語る!

2016年03月12日 | アフターセブンティ

庭のハクモクレンが開き始めた。花弁はこぶしと違って開き切らず、北の方角をさし、磁石花ともいわれるらしい。この時期の定例行事は年二回の庭の枕木への防腐剤塗布。

敷設して18年、20数年はもつらしいが、土の上に設置されている限り白アリが食っているかもしれないリスクがあるらしい。掘り返してみたことないがどうなのかね?

庭の鉢類をすべてどけて、きれいに箒で履いて塗布の下準備。約1時間かけて塗布。吸い込ませるようなつもりで塗ってゆく。

1センチほど埋没しているのもあるし穴もあいている。しろありの痕跡はなにかでわかるのかね?

 パソコンのネットニュースをみていたら東京電力福島本社の代表の談話がでていた。1200人の社員が派遣されているらしいがこの5年間はひたすら誠意をもって謝罪するしかななかったとのこと。被疑者への賠償金が6兆円をこえたらしい。国が融資の仕組みを作ったのでつぶれないでいるが大変なことだ。それでも代表は原発は必要との信念はゆるがないという。想定外の津波でやられてしまったが、資源のない日本がもし石油やガスの供給を想定外の事件で遮断されたらどうなるかという理屈である。

 世界1厳格な可動基準だからこれをクリアした原発は再稼働すると首相はいう。経営コンサルタントの大前研一氏は福島原発事故の真因は信じがたいルールミスがあったことは明らか。政府に答申をしているがきっちり読んだ政治家は民主党の細野氏だけだという。そのルールさえ改善すれば原発事故は防げるともと原発技術者であった氏は訴える。規制委員会の委員長はこのことを知っているのか言及はなかった。裁判所の判断で稼働中の原発が停止に追い込まれている。大前氏の提言の中身はわからないがいったいこの国の真実はどこにあるのか・・・と思ってしまうね

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160311 東日本大震災から5年、復興に26兆円の国費が投入されというが悩み万人万様!!

2016年03月11日 | 辛口ひとりごと

 5年前の3月11日金曜日、午後2時46分、ボーリング仲間と練習しているときにTV画像に東北に大震災が勃発したことを知り、しばしTVにくぎ付けになっていたことをおもいだす。今日もボーリングの予定だったが昨夜来からの胃の調子が悪く昨夜は晩飯抜き、今朝近くの町医者に薬をもらってきて、結局ボーリングは休み。なにか胃が重く昨夜は微熱もでていた。こちとらはちょっとした体調不良だが被災地の方々はまだまだ大変な、憂鬱な気分を引きづっている方々が何十万とおられるのだろう。その中身は万人万葉。

 26兆円も巨額の国費が震災集中復興予算として被災地に投入されたというがほんとに被災民のかたがたの復旧、復興、復活に効果を上げているのか、いまだ避難されている人が17万人もおり、仮設住宅から出れない人も5万を超す。住宅と生計の道を奪われた多くの人たちのこの5年間の復旧復興ぶりはどうなのか。できたこと、できていないことを項目別にリストアップして白黒の星取表をつけてみてもらいたいものだ。九州にいて、いったいどうなっているのか実態がさだかでない。

 これから2020年までの復興方針を安倍総理が発表していたが具体性がなく手詰まり感を感じさせる内容。首相の発言はどうも空虚だね。震災後の復旧ではなく復興、新創造だと騒がしかったがそのビジョンはいったいどうなったのか。福島原発のメルトダウン事故などがよけいにこの復興対策をむつかしくしているのはわかるが国と県市町村の各司令塔が1枚岩になって、さらに民間もいれてことにあたらないと被災地被災者格差がさらに拡大することになるだろうね。被災者個々の要望をきいていたら改革案がまとまらない。この辺りを調整しきる現場の強いリーダーシップが必要だがそんな人物がいるのか、これまた?だね

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160310 小津安二郎ワールド、「長屋紳士録」飯田蝶子主演。昭和22年、私が2歳の頃のにっぽん!

2016年03月10日 | 趣味と交遊

昭和20年5月生まれの私。幼少時の記憶が不鮮明。この映画は昭和22年封切。戦後焼け跡時代の日本の風景がみれるかと思って映画を見た。白黒72分、俳優も10名足らず。主役は飯田蝶子。若かりし笠智衆が脇役ででている。

柱時計、瀬戸物の火鉢、バラック建ての長屋、竹竿の物干し、子供の遊びはべったん。川べりでの魚釣りなど。時代はマッカーサー占領下の敗戦日本、物資不足でハイパーインフレ。国民は苦しい生活を余儀なくされ、労働争議が頻発。650万人結集の二一大ゼネストはマッカーサーによってストップ。帝国憲法改正の草案がGHQ指導の元、おこなわれ昭和21年11月3日、日本国憲法として成立、翌22年5月3日施行、主権在民の憲法体制がスタート。

 映画は笠智衆が親にはぐれた男の子を長屋に連れて帰り、一泊させてやってほしいと頼むがたらいまわしで誰も断る。くじで当たった飯田蝶子が子供をしぶしぶ預かるが寝小便した子供につらくあたる。2~3日後また寝小便、ひどく叱ったあと子供はどこかへ出てしまう。捜し歩くが行方わからずがっかりする。だんだん子供への愛着が出始め寂しくしているところに笠智衆が連れ戻す。子供と写真館で写真を撮ったりしてづっといてよいよと子供にはなす。そんな時、父親が迎えに来て子供はでてゆく。昔は向こう3軒両隣仲良く生活してきたが戦後日本はエゴの固まりになり自分さえ良ければという風潮になってきたことを反省する。といった筋書き。

 まあ戦後70年、物質的には豊かになったが心は荒んでいる感じではあるね

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160309 妻のパソコン復旧。福岡市美術展視察、行き帰りで青春の門、第七部挑戦編読了!

2016年03月09日 | 趣味と交遊

新規購入も考えたが経費節減もあり、妻のデスクトップパソコン、近くのPCライフサポートのS社長に依頼してハードディスクを交換してもらいウインドウ7の初期状態に復旧、メール設定もしなおして最初の状態からやり直し。税込み27000円の出費になったがとりあえず妻のライフスタイルも復旧といったところ。

ハードディスクはパソコンの心臓部だが寿命は3~5年らしいね。量販店の長期保証も5年になっている。やはりデータは外付けのハードディスクやUSBメモリーなどに別途保存しておかないとだめだね。

久しぶりに大濠公園横の福岡市美術館に出かける。写真仲間が出品している市美術展写真部門を視察。大濠公園はカモがいっぱい。

 市美展は過去一度だけ出したことがあるが選外。今年は450点ほど出品されて入選は3割ほどだったらしい。入賞はそのなかから10%ほどとか。差がどこにあるのか微妙ではある。審査員の好みもあるらしい。しかし明らかにレタッチソフトで加工修正している作品が多い。メインの被写体に何を組み合わせるかによって入選が分かれるみたいだね。まあ考えてみれば絵画などは自由に絵の具を駆使してかけるわけだから写真の世界も自由に加工して創造性を競ってもいいのは確かだ。フォトショップとやらのレタッチソフトに2万円ほど投資して研究してみるかね

福岡天神までの往復時間、普通列車に乗って座って青春の門、第七部挑戦編を読み終えた。688ページの長編、文庫本ででている最後のもの。第八部の風雲編は前半で週刊現代の連載が終わってしまい、今、読もうと思えば国会図書館にいって週刊現代を閲覧するしかないらしいね。第七部は今までの五木氏の実体験的な流れから一転、再び北海道をベースに一大フィクション大河ドラマに変調しておりこれまたなかなか面白かった。

 未知の時代を目前に、嵐の前の静けさが日本を覆っていた一九六〇年。伊吹信介はタバ風の吹き荒む江差にいた。そこで会ったオーストラリアの友人・ジョンの「あなたは一度日本を出てみるべきです」という言葉に惑う信介。特攻船やソ連との関係に揺れる函館を訪れたとき、彼の背中を押す風が吹く。 1960年といえば、まだ終戦から15年。私が15歳、高校生の頃。記憶をたどると、1960年代は日本も徐々に生活が豊かになってきた。が一方で、それ以前の生活がままならなくなった人も、たくさんいたことでだろう。戦後の北方領土近海の漁業も、大きな打撃を受けたはず。「特攻船というソ連領海での密漁が日ソ間の暗躍、密約によって取り仕切る大きな闇組織が、信介やカオルを巻き込みんでゆく。


当時は、日本が経済大国として世界に羽ばたく直前。若者たちが、「変化」や「解放」を求めて様々に活動した時代で、信介も、江差で知り合ったオーストラリア人のジョンさ背中を押され、とにかく日本を飛び出し、新たな世界を求めてみる決心をする。みずからの真の生きる道を求めて、信介は広大なシベリアの凍土へ、どんなリスクが待ち受けているかもしれないなか、死ぬも生きるも命は一つという人生観で未知の世界に旅立つ。さあ第八部の下巻や、完結編はどうなるのか、83歳の五木寛之先生にがんばって書いてもらいたいものだね

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160305 田辺昇一さんのお別れ会、懐かしき人々と一挙に再会!

2016年03月05日 | アフターセブンティ

 93歳で昨年末なくなられたタナベ経営創業者田辺昇一氏のお別れ会が三日の日、リーガロイヤル大阪で行われ、出席。日本の経営コンサルタンとのパイオニアとして中堅中小企業の発展に絶大なる貢献をされた氏の功績があらためて再認識されるとともに、氏の薫陶をうけ、ともにがんばってきた同胞や氏の志を継承している現役の人たちとの再会をはたし誠に貴重な一日であった。

 朝、6時半に家をでて、軽キャンをJR二日市駅横の駐車場において博多駅にむかう。2日間の駐車料金2000円也。このほうが何かと便利でリーズナブル。駅から自宅までタクシーで1800円ほど。バスで片道310円だからね。4日の夜11時半くらいの帰福になるのでそのまま車中泊、5日早朝は天拝山にのぼって自宅には9時帰還というプラン。

 8時4分の「のぞみ」にのって、久しぶりに日経新聞を買って大阪に向かう。現役時代を思い出す。10時40分、新大阪につき、Uさんに電話をしようと思ったのだがそのUさんの名前が浮かばない。ボケの症状かね、がっくり。とにかく地下鉄で大阪にでる。高層ビルがさらにふえてるね。桜橋口からホテルのシャトルバスにのり約10分。ホテル2Fクロークは参会者であふれ3Fの会場にあがるとすでに献花する人たちの長い列。正面に菊の花に囲まれた田辺昇一氏の穏やか笑顔の大写真。氏と出会って40年、しみじみと感慨がわきあがる。

 12時献花を終え、会長社長に挨拶をして隣の立食懇談の会場に入る。いきなり宮崎のTさんが満面の笑みで近づいてきた。今は独立してコンサルをしてるがともに戦った同胞。コンパニオンから水割りをもらってとにかく会場をぐるっと回る。Kさん、Nさん、Dさん、広島時代のM女史、Kさん、30数年前、預かり社員制度で福岡にきておられた広島のY社長があいさつに来られたのには驚いた。Sさん、Mさん、Tさん、そしてUさん。現役で大活躍の東京のNさん、Oさん、福岡のMさん、北陸のOさん、Tさん、あげきらないほど多くの懐かしき人たち。会場に掲示された企業発展の歴史をかたるモニュメント。13時、現役役員幹部に見送られて参会。大変有意義なお別れ会でした。

 その後1Fの喫茶コーナーでS、M、U氏らと歓談、3時U氏と場所を梅田のグランフロント北館に移動、ドイツビールを楽しみながら歓談。18時、先般、死傷事故のあった新阪急ホテル前、ロビーでタナベ同期のMさん、Uさんと6年ぶりに再会、Mさんのコンサル先の32番街のステーキハウスで21時まで歓談。気の置けない同期生はやはり最高だ。しかし、昼から食べたり飲んだりの連続で胃がパンク状態。21時、福岡での再会を約して二人と別れ22時前、京阪関目の弟宅に到着。腹ぱんぱん、苦痛で弟に失礼してやすませてもらう。

 翌朝、まあ胃の調子はなんとかおさまったがやはり少々重い。24時間ぶろに入らせてもらい、イオン洗浄機付きシャワーで洗髪、高級高質シャンプー&シャワーで頭すっきり。ジェットバスをオンにして全身マッサージ。弟の家は5~6年前に一条工務店で作ったものだが完全断熱やミクロンレベルの空気清浄、空調、床暖房というわけで我が家と違って相当ハイレベル。無水調理なべで作ってもらった朝食、昼食、そして話題満開、休みなき歓談をして13時半に辞去。できてすでに22年になるが行ったことがなかった梅田スカイビルをめざす。

35階まで高速エレベーターであがり、入館料800円を払って、あとはエスカレーターで屋上へ。ぐるっと淀川から大阪湾まで見渡せる。あいにくカスミがかかったような空だったが眺望はすごい。

15時半、大阪駅を経由して新大阪へ向かう。ここでもくまモンが活躍している。

新大阪でみやげに伊勢の赤福餅を買い、地下食堂街で味噌汁付きかつ丼を食べる。胃の調子は大分戻っている。17時35分の博多行きこだま(レイルスター)にのる。実はこの列車、JTBで片道5000円で買ったもの。値段は三分の一だが時間は倍、5時間かかる。各駅停車の新幹線初体験。600ページの青春の門、第七部「挑戦編」をこの「こだま」、移動書斎で読もうという目論見。ワンカップとカニカマを仕込む。

 新大阪、新神戸、西明石、姫路、相生、岡山、新倉敷、福山、新尾道、三原、東広島、広島、新岩国、徳山、新山口、厚狭、新下関、小倉、博多。クイズに出てきそうだがみんないえる人は少ないのではないか。各駅をスナップしていったが同じ景観ばかりで当て外れ。ライトアップされた福山城をばっちり撮るつもりがいまいち。徳山の工場夜景は反対側で写真は思惑外れ。アルコールがはいると眠くなるので「青春の門」も500ページどまりで博多に10時40分についてしまった。そして在来線にのりかえて二日市へ。軽キャンパーのシェラフにもぐりこんだのは午前零時。中身多彩な二日間の大阪旅でありました。

 翌朝5時半起床、駐車料金二日分2000円を払って出庫、セブンイレブンでモーニングコーヒ&卵サンド。トイレをすませて天拝公園横の駐車場に車をとめ、標高220Mの天拝山にのぼる。菅原道真のつくった短歌を詠みながら頂上へ。朝日は樹木が邪魔でまともに見れない。最初は体が重かったがしだいにこなれて7時すぎ頂上へ。展望台は塗装工事中ということでブルーシートがかかっていたが確かにさびでぼろぼろ。手すりが穴だらけ。

いきかう登山者たちとあいさつを交わしながら下山。帰宅は8時半でした。まだまだ元気ですね、吾輩は!!!

 

 

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