夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

争い責め合う心から、拝み合いの生活へ

2018年12月16日 18時55分55秒 | コラム・人文
お互いに祝福し合う、祈りの行事に参加し、

人それぞれの心のひだに触れ、悲しみも楽しも

共に生きている存在であることを!!!


小さな小さな菜園のカツオ菜、ブロッコリー、セロリー達も元気に成長していました。



合掌して礼拝する姿は美しい光景であります。

自分自身を拝むことを知らなければならない、

そうでなければ他の人を拝むことが出来ない。

先ずは自分を尊敬することが出来る人が、

他の人も尊敬することが出来て拝むことが出来るのです。



百丈和尚が川で菜っ葉を洗っていたら、

菜っ葉がちぎれて流れていった。

その菜っ葉を追いかけていって、それを拾って拝んで頂いて、

仏様の命の現れであると言われたのです。



日本では『もったい無い』と云う言葉があり、

物質をただの物質ではなく

『仏の生命』の現れであるとして拝み、

崇高にして謙虚な精神をもって物質を観て

とり扱っていました。