夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

先祖供養の功徳について ② (私の不思議な体験)

2015年10月07日 20時32分58秒 | 真理の言葉
以前仏壇の前で何時ものように先祖様を勧請して、何時もの通りお経を読んでいますと、私の口より私の声でない、武士の口調で誰かがお経を読んでいます。お経が終わりますと表現が出来にくいですが、右側の頭上より、一筋の煙のようなものが上空に消えていきました。その時はお父さんの口より別人の人がお経を読んでいると、家族中が大騒ぎでした。
この霊媒的な現象はご先祖様が私と一緒にお経を読誦しておられると感じていました。
今思えば有りがたいことでした。








霊界に於いて霊魂の背負う“悪業”を浄化消滅する自然の道は、苦しみによって償うことによって、その悪業が清算されるのであるが、それには長時間かかる。しかし現世に於ける縁者がそんな長期間“苦しみの
霊波”感受して病気をつづけていてはたまらないのである。それで、祖先及び自分の家系に属する縁者の
霊魂が霊界で苦しんでいるのを急速に救う道を講じてやらなければならなうのである。これを救い得たならば、霊界の霊魂自身及びその影響を受けるべき現実界の両様の救いとなるのである。

幸いにして、霊界の浄化というものは、霊界は物質ではないから、洗濯機にかけて霊魂を摩擦のしめ木で
拷問的叩きのめさねば浄化できぬというものではないのである。霊魂に浄化は消極的には“懺悔”と積極的には“真理を悟る”という二つの方法によって主として行われる。“懺悔”というのは、今までの行為は悪うございました。人間の為すべき本来の姿ではございませんでした。今後一切いたしません“と過去の悪業を心の世界で否定することで、過去の悪業を否定消去してしまうのである。
真理を悟るというのは人間の実相は本来“如来”であり“神の子”であるという真理の述べた経典を現実界の縁者から読誦して貰い、その真理の霊波を霊界で感受して、人間本来“如来”であり“神の子”であり本来“無罪の実相”をその霊魂が自覚して、悪業存在の世界から解脱して如来の“実相地”に超入することである。
この実相地(如来の境地)に入ることを成仏するというのである。
祖先及び縁者の霊魂を成仏させてあげるのが、現実界の子孫及び縁者の義務でもあり、それはまた自分自身に報いられて来て家族ぜんたいの健康ともなり、繁栄ともなるのである。 人生を支配する先祖供養








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