夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

サディズム・マズヒズム(sadism,masochism)の世界。 罪悪意識が無意識の根底にある根源的マゾヒズム意識(道徳的マズヒズム)を打ち破る為に。

2018年01月07日 16時09分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
九州名物の高菜の苗が寒さにも負けずに元気に根付いていました。

さすがですね!!

新年度の活動方針の研修会でした。

今年初めての研修でしたので、新年の挨拶を交わすことで

お互いの無事の確認と今年への熱気が感じられました。


罪悪意識が無意識の根底にある根源的マゾヒズム意識(道徳的マズヒズム)を打ち破る為に。

宇宙の神秘のように、普段に意識している心では知ることも、理解をも出来ない

人間の心の奥底のうごめている潜在意識の不思議さ。


サディズム・マズヒズム(sadism,masochism)は一般には性倒錯(目標倒錯)の一種として扱われています。

名前の由来はM・サド、S・マゾッホの二人の作家の作品に登場する人物等からとられたものです。

フロイトは『本能とその運命』において他を攻撃し・支配して、屈服させる『サディズム』は支配欲動にかられたものであり、

『マズヒズム』はそのことが自己にふり向けられ、または能動的なものが受動的なものへと転換した二次的に生ずる副産物であると考えました。

攻撃している『サディスト』は攻撃されている対象と空想的に同一化していると云う。

一人では生きてはいけない小さな立場に自分自身を置き、内部的抵抗の破壊を求め、

穢されることを相手に求める『女性マズヒズム』。

自分自身は意識してはいないが、自ずから自分自身に苦痛を強いて、

それを耐え忍ぶ、自分の理想としての超自我に充分答え切れない

無意識的な罪悪感に由来する『道徳的マズヒズム』、

または神に罰せられたい、苦痛を受けることによって罪を償いたい願望として出てくることも『道徳的マズヒズム』である。




多くの宗教は、受難礼賛の『マゾヒステック』信者を集めて、

断食水行、朝参り等肉体的苦痛を伴う修行を課するほど、魅力を感じてはなれることが出来ないのであります。

人間の心の奥底には『苦しめられたい欲望』がひそんでいるのであり、

それによって過去世以来の罪障を償いたいという潜在意識があるからであります。

この意識は人類共通の観念である。

『道徳的マズヒズム』にとらわれている限りは、人類は決して幸福の世界へ出ることは出来ない。

新しきキリスト教はすでにキリストの十字架によって、罪は償われてしまったのであるから

『罪は存在しない』と宣言するのであり、

『神はこの世界を造ったのであり、神は善であるから、罪は造らないのであるから、罪は存在しない』

と彼らは叫ぶ。

そして彼らの宗教は実際に治病等に実績を挙げ得ているのは、

人間の無意識に存在する『罪悪感』の洗浄を果することによって、

その罪悪感が拭い去られたことに起因している。




人間は神の子であり罪なし、病なし、迷いなし、恐れなし、

神のすべての徳を享けついだ善なるものであり、素晴らしい永遠の存在である。






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