夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

クリスマスケーキ・・・・・覚仏から行仏へ

2015年12月22日 22時17分24秒 | 日記・エッセイ
クリスマスケーキ・・・・・覚仏から行仏へ

クリスマスケーキを宅急便で送ろうと思ったら、生クリームは送れないと言われ、家庭で十二時間冷凍してからでないと送れないと説明を受けました。
伝票を書き終えたところで言われました。
人間は自分の思いのままにいかないと心にストレスが貯まります。
しかし思い直して四個のデカイケーキを持ち、自宅に帰ると四個も冷蔵庫に入らないと叱られました。
丁度孫が遊び来ていたので帰りに、一個ケーキを持たせました。
アー! 残りは取りに来て貰うか、己が持って行くしかないかと思案にくれました。
冷蔵庫に入らないケーキは食べたらと言われ、イブには早いですが切り分けて頂きました。
甘いものを食べると不思議なもので心が冷静になりました。




今日は長崎で今年最後の研修会でした。
自分の醜い心を懺悔して浄める研修会でした。
自分の心を浄めた筈なのに、暫くするとストレスが心の隙間から這い出てきます。
人は常に神、仏の御心、明るい心を把持することが必要であります。
この為一日に一回は時間を決めて、出きる事なら雑用を始めない、清清しい早朝の時間に、
希望に溢れた祈り、瞑想等、また聖書の言葉、経典の読誦、明るい思想の本等を読み、
クーエの自己暗示のように、心を明るい方向に向け、光明生活へと一日のスタートを始め、
就寝時には全てのものに感謝して、神、仏に祈りを捧げ、眠りに入ると安眠ができます。





覚仏から行仏へ

神を敬し礼拝し、祖先の祭祀を怠らず、神、祖先、父母に対して感謝報恩の念を起し、
何らの形で恩に報ずる実践をしなければならないのである。
恩という字は『因(もと)』と『心』の合字である。
われわれの生存の本源者。原因者を知る心が、恩を知る心である。
それを知るだけでは、『覚仏』であっても『行仏』にならないのである。
それを行為に実践するとき、『行仏』になるのである。
行仏となって、はじめて埋もれた仏性が顕在となって活きてはたらくことになるのである。







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