夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

早朝五時の幽の幽玄なる瞑想・・・神想観 人間神の子の自覚、自己解放、四無量心への道と世界平和の祈り

2015年11月01日 13時43分00秒 | 日記・エッセイ
早朝五時の幽の幽玄なる瞑想・・・神想観の実習

人間神の子の自覚、自己解放、四無量心への道と世界平和の祈り。

朝靄の 月明祈る 七五三

恒例の月一度の仲間との道場での瞑想と三社参拝と菩提寺参りに行きました。
お寺では玄関前に常夜灯が灯り、本堂の御明かりが灯されていました。
仁王さんがそびえ立つ山門の入り口で三宝禮の後十念仏を唱え、本堂に拝礼して、一族に縁の深い薬師堂の前でお参りをしました。

神社でも七五三の準備の為か、早くから拝殿に明かりが灯り、忙しそうにされていました。
神社前では朝市が開かれ、何時もより朝参りの人との出会いが多くありました。








如何にすれば、人類が自己解放を遂ぐべき真理を自覚し得るであろうか、釈尊は、六波羅蜜すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の六つの到彼岸の道を示された。
神想観というのは、私が修業中に神授せられたる般若の智慧を禅定によって到達せる道である。
動的修行としては布施、持戒、忍辱、精進、が必要であるが、静的修行としては禅定によって般若の智慧を体得するほかはないのである。                             神想観




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