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『近代の心のない心理学 』 &  意識は心的現象の必然的条件(conditio sine qua non)であり、心そのもである 。

2018年03月17日 19時06分24秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・霊的実在
春の歓び

雲ひとつない、春日和の野原に、

スマートな土筆がひょっこり顔をだし、

自慢げに悦んでいました。




心のない心理学

意識は心的現象の必然的条件(conditio sine qua non)であり、心そのもである。

近代の『心のない心理学』は、すべて意識心理学であり、

そこには無意識の心的現象は存在しないのであります。

19世紀の後半にいたって『心のない心理学』が生まれました。

自然科学的唯物論の影響を受けて、目で見、手でさわることのできないものは、

すべて疑わしいと思われるようになりました。

いやそれどころではありません。『形而上学』くさいからというので、

汚らわしいとさえ思われるようになりました。

『科学的』とみなされ、したがってともかくも許されることになったのは、

物質とみとめられたものか、

さもなければ感覚によって知覚できる原因から演繹されたものだけに限られました。

精神の実在性に対する信仰は、物質の本質的実在性に対する確信がしだいに

台頭するにつれて影がうすくなり、とどのつまりは―ほぼ四世紀のあいだに

ヨーロッパの思想および研究者の先端的意識は、

精神をば物質的諸原因にまったく依存するものとみなすようになりました。




むかしは、存在する一切のものは精神的な神の創造的意志から生まれたものであるということが、

自明な前提であったように、

十九世紀は一切が物資的な原因から生じるという、

同じように自明な真理を発見したのであります。

今日では、心の力が肉体を組み立てるのではありません。

あべこべに物質がその科学的現象の中から心を生み出すのであります。

この転換は、もしそれが時代精神の偉大な真理の一つでなかったら、

とんだお笑いの種でありましょう。

そのように考えることが時の流行なのです。

したがって、礼儀になかなっており、理性てきであり、科学的であり、正常なことなのです。

精神は物質の随伴現象であると考えなくてはならないのです。

『精神』といわず『心』という場合にも、

また『物質』といわずに『脳髄』

とか、『ホルモン』とか、『本能』とか、衝動などという場合にも、

すべては、この結論に帰着するのです。

心の独立の実在性を与えることは、時代精神に反することなのです。

そんなことをすれば異端者にされてしまいます。

      
                        1934 カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)



眼は物を視ない、耳は音を聴かない、脳髄はものを考えない。

視るのは心であり、聴くのは心であり、考えるのはこころである。

心は自分の便宜のために眼を創造し、脳髄を創造したのである。

ここにいう『心』とは野髄から出る作用ではない。

脳髄を設計したところの『心』である。

それは脳髄を設計したところの『心』である。

それは脳髄以前の『心』であるから『生命』とも『神』と同意義に解してもよい。



『注』

形而上学(けいじじょうがく)・・・五官の感覚ないし経験を超え、相対性を超えた世界を真の実在としてとらえ、
                 弁証法を用いずに、普遍的な原理について理性的な思惟によて探求して
                 認識しようとする学問。
                 『形而上学』に相対する用語は『唯物論』。



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