夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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人間は霊的実在である・・・・・その⑤ 死後の消息(修行の未熟な霊)

2016年01月13日 22時18分11秒 | 真理の言葉
人間は霊的実在である・・・・・その⑤ 死後の消息(修行の未熟な霊)
 
修行が足りている霊魂はっきりと意識を持ち、自らを客観的に見ることが出来て、何の苦しみ、苦痛をも感じないで
速やかに霊界へと移行することが出き、霊界へ移行した後もそのまま覚醒した意識を持ち続け、
周りの状況を見たり聞いたり、また心の中を知ることが出来ます。
いはゆる大往生と云われています。
しかし意識の未発達のな霊は生前の『心の思い』、『口で述べる』、『身(からだ)』で行なった不浄なる行為の三業を浄めるために、病気等の苦痛、苦しみを受けます。
前章で述べたように、苦痛は心を浄めんがための一つの過程であります。
苦痛、苦しみを神の恵みの摂理により、意識を失う、いわゆる気絶のような方法で逃れるようになっています。
そして意識を失った状態で暗いある駅の待合室のような所に移行します。
断末魔の苦しみを神の慈悲で意識を失った霊魂はこの人事不省の無意識状態が続きます。
人それぞれに意識を回復するには間もなく回復する者もいますが、なかには数十年間も無意識状態を継続する人もいます。
いずれどの様な状況な於かれた者でも丁度夢から覚めるように、霊界で意識が回復します。
しかし即死の場合は、急な火事の時には何も持たずに逃げるように、即死の時には生前に執着した諸々の迷い、苦痛等を何も持たないで霊界に移行します。
即死の功徳とも云われたりします。




意識が回復すると、生前の臨終の時の状態が記憶の心に再現されます。
まだ自分が死んだことさえ気がつきません。
仏教の葬儀の時に僧侶から戒名(解脱名)を授かりますが、これは法名を授かると同時に貴方は既に真理の言葉を享け実相を覚り、この世を去って霊界(極楽世界)へ移行したのであることを告げることなのです。
つまり貴方は既に死んだのであることを告げることと同じことなのです。
『引導を渡す』とはこのことです。
自分がこの世を去り、自分は既に死んだことを知ることは大事なことなのです。
死んだことを自覚ないと既に肉体は焼かれて無いはずなのに、まだ生前の肉体がまだ存続していると思い、病気の苦痛、苦しみを再現して浮かばれないことになります。
例えば癌の病を思い出し、癌の症状の苦痛に苦しむことなのです。
地縛霊なども同じであります。
癌等の病、事故、自殺などで苦しんだ人はその苦痛が蘇り、癌等の病の症状、自らを殺めた状況などを自分の幽体に映して苦しみます。

人間は霊的実在であり、既に肉体が焼かれて無いのですから、肉体の病気も罪も悩みも穢れも苦痛も苦しみも無いはずなのであります。
・・・・・続く




『注』
三業―・・・意業・口業・身業の三つの悪業)
断末魔―・・・末魔に触れて命を絶つこと。末魔は身体の中にある急所。それに触れて激しい痛みを起して死ぬこと。
           これを転じて人が死ぬ時の最後の苦しみを云う。
戒名・法名。解脱名―・・・三帰戒を受けて仏門に入った者につけられる名。
                現在では死者に対して師僧侶から与えられるが、もとは生前に授けられた。
                真宗は授戒の作法がないので法名とか決号と名づけてます。
引導―・・・人々を導いて仏の教えに引き入れること。
      導師の僧が死者に法語を与えて涅槃常住の世界へ行くべきことを教示すること。
地縛霊―・・・亡くなった場所、時間、物、人に対して自らの執着の念、苦しみにより、自らを縛り付けてその場所、時間、物、人から
        離脱が出来ない霊。
        戦死者が戦死した場所に『荒霊』として永く眠ることがあります。
荒霊―・・・波動が荒々しい肉体そのもの近い霊であり、墓などに亡骸を祀った場所、戦地など死んだ場所等に眠ります。
一霊四魂―・・・古神道では人間を物質的な肉体として観ないで霊的な魂(みたま)として扱っています。
         神道では人間の一霊を四魂に分けています。実相の霊を直日霊(なおひるのみたま)と云い、奇霊(くしみたま)・
         和霊(にぎみたま)・幸霊(さちみたま)・荒霊(あらみたま)と四っのはたらきとして分けています。
       
         そのはたらきは後に詳しく説明したいと思います。

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