夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

天皇誕生日・・・・・天皇様の御心

2015年12月23日 12時25分50秒 | コラム・人文
天皇誕生日・・・・・天皇様の御心

天皇様は一瞬、一瞬に到る処で国民と共にあり、国民一人一人の喜びと悲しみに常に身をよせ、国民の幸福と日の本の弥栄(いやさか)と世界の人々の平安と平和を深く祈り続けられています。

いにしへの人も守り来し日の本の森の栄えを共に願わむ
                             平成三年 歌会始め
いにしへの我が国人(くにびと)の踏みし地を千年を越えて我ら訪(おとな)ふ 
                               平成四年 西安
なゐをのがれ戸外に過す人々に雨降るさまを見るは悲しき
                              平成七年 阪神・淡路大震災
四年余も続きし噴火収まりて被災地の畑に牧草茂る
                             平成七年 雲仙普賢岳の被災地を訪れて  
うち続く田は豊かなる緑にて実る稲穂の姿うれしき
                             平成九年 歌会始め
戦いの痛みを超えて親しみの心育てし人々を思う
                               平成十年 国賓として英国ご訪問
語らざる悲しみもてる人あらむ母国は青き梅実る頃
                                                平成十年 国賓として英国ご訪問
                                『注』英国にて元捕虜の激しき抗議を受けし折り、かって『虜囚』の身となりしわが国人の上
                                        しきりに思われて詠まれたもの。 

国のため尽くさむとして戦に傷つけし人のうへを忘れず
                             平成十年 日本傷痍軍人会創立四十五周年にあたり
聖なる帝に存(ま)して越ゆるべき心のありと宣(の)らしき  
                               平成二年 明治神宮御鎮座七十年にあたり
                         『注』しづかなる心のおくそこにこえぬべき千年の山ありとこそきけ 
                               明治天皇御製

いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思えばかなし
                                                 平成十七年 サイパン島
                          『注』終戦六十年に当たる平成十七年六月、両陛下はサイパン島に慰霊の旅を果たされ、
                         この御歌は、絶望的な戦況の中で島の果ての断崖に身を投じていった女性のことを思われてお詠み
                         になったもの。


天狼(てんらう)の眼も守りしか土の中に生きりゆく幼児還る

                                                 平成十六年 幼児生還
                           『注』中越地震の被害者の一人であった幼児が、四日ぶりに土石の下から
                             救出された喜びを読まれた御歌。
                             空におおいね座のシリウス(天狼星)が登る季節
母吾を遠くに呼びて走り来し汝を抱きたるかの日恋しき
                                                 平成十七年十一月、紀宮
                           『注』平成十七年十一月、紀宮殿下は黒田慶樹様と結婚された。これは、
                          小ないころの宮様との日々を思い起され、嫁ぎ行く宮様に思いを寄せられ
                          お読みになったもの。






新しく遷り変わるものは真理ではないのである。
真理は最も古くして最も新しきものでなければならないのである。
日本人が日本人でなくなり、日本人である前に先ず『人類』であるべきと云うのであるが、
その精神内容の真実は人間は日本人でなく、先ず『外国人』であるべきが理想であることを主張しているのである。

一盛り三百円の実物の茄子よりも、又その茄子の写真よりも、その生命を描いた竹内栖鳳の『茄子の絵』の方が、その茄子の生命(理念)を捉えた点に於いては一層真実であり、価値多きものである。

君民一体の生命把握の自覚(君民一体の理念)

中心と周辺とを分割するような思想は、日本的なものでない。天皇と臣民とを分割するような思想は、日本的なものではない。日本人は天皇に於いて自分の生命の本源の象徴を見出し、
天皇はみづからの手身(たみ)であるところの国民を見出したのである。
頭首は手身(たみ)なくして生きないし、手身(たみ)は頭首なくして生きない。
君臣一体の生命把握が、日本民族の最初の中枢的自覚であった。




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