夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

豊かな幸福生活を創る・・・たゆまず善き明るい豊かな言葉を語れ(水滴 石を穿つ)

2019年02月03日 00時51分54秒 | コラム・人文
今日は初午、祖母が53年前に私たち分家の家族の繁栄の為に 

祐徳稲荷神社の御分霊である霊代を享けて頂きました。それ以来神棚に祀っています。

博多の那珂川流域は弥生時代から稲作の発祥の地であり、

本家は先祖代々農業の神である稲荷大神を庭の一角に地祀りして奉斎して来ました。

祖母への思いを巡らせ毎年お参りさせて頂いております。

午前中はお参りが多いのではないかと思い、午後から出かけることにしました。

有明海を眺めながら50キロ程の道のりを走り抜けると、

駐車場が都合よく近くに空いていましたので助かりました。


イナリは稲生(いなり)の義であるといわれている

それが稲荷の字に改めるに至った伝説


弘法大師が、京都の東寺のそばを通ると、一人の稲を荷つた老人に出会った、

弘法大師はその老人から種々の尊い教えを享けたので、

これは神が仮に老人の姿をして教えを垂れ給うたのであろうと、

敬い崇めてその御姿を神に祀り、東寺の鎮守として稲荷大明神と敬い申した。

このことから稲荷の字が出来たのであるという。




人間は本来豊かであることを信ぜよ。


本来の人間は知恵に於いても富に於いても生命に於いても本来無尽蔵である。



言葉の創化力・・・言葉によって運命は善きにも悪しきにも変貌する。


豊かな明るい言葉が、豊かな心を創る、豊かな心が、豊かな幸福生活を創る。




たゆまず善き明るい言葉を語れ。

水滴 石を穿つ

   羅大経 中国南宋の文人


『注』

祐徳稲荷神社・・・鹿島城主鍋島直朝夫人花山院萬子媛(祐徳院殿實麟瑞顔大姉)が
                 京都御所内に奉祀の稲荷大神の分霊を勧請したのが始まり。
                 萬子媛は後陽成天皇の曾孫女にあたる。
                  貞亭四年吉田村に殿宇を建立




寒に耐えて春を迎える



有明海の不知火(漁火)





霊験あらたか祐徳稲荷神社